第5話

 周りを見ずもせず、すぐに彼女のもとへ走った。

 残りわずかの時間を無駄にはできない。

 走っているどうやって彼女を救えるかをできるだけ考えた。

 まずは爆心地から東矩へ、阻止いて堅牢な建物を目指さなければならない。


 あの爆弾にも耐えられ、地下がある堅牢な建物。 

 近くにあるのか。

 いや、ある。

 日本銀行広島支店。

 彼女が歩いている方向にあり、金庫が地下にある。

 しかも空爆に耐えられる設計だ。

 ここしかない。


 そう決めた時、彼女の後ろ姿が見えた。


 「斎花」今度は優しく、だが怪しまれない程度で声をかけた。

 彼女は俺の方を振り向いて眉を顰めたが。だが前と違い、俺を拒絶していない。

 「なんで戻ってきたんですか」」

 「最後に伝えたいことがある。少しだけでいい。歩きながら話そう」俺は焦りを隠し、できるだけ穏やかに言った。

 「…」


 始めは気まずい沈黙があったが、徐々に彼女の強張っていた顔が少し柔らかくなった。

 心の中は焦り狂っていたが、平穏を装うと努力はした。

 彼女の会話はうろ覚えだが、俺が「君のため」と言ったことを後悔していることは伝えた。気まずい会話だが、悪い気はしない。普通の会話をしていると、自然に心が落ち着いた。彼女の声も初めの鋭さと違い、柔らかいものになっていた。

 だが目的は忘れない。

 斎花を絶対救う。


 銀行まで歩く間の時間は永遠と思われるほど長く感じた。

 やっと視界の中に入った時、思わず安堵のため息を吐いてしまった。


 チック チック チック


 時間が残りわずかだと直感的にわかった。

 俺はとっさに言った。

 「斎花、俺を信じてくれるか」

 「え」彼女は驚いた顔で俺を見た。

 俺は彼女の手を握り、走った。


 微かにB-29が聞こえる。

 時間がない。


 チック チック チック


 死ぬ物狂いで走っても届かない、そういう未来しか見えない。

 時間が。


 チック チック チック


 時間が。


 チック チック チック


 必要だ。


 チック チッ チチカ チ チ カカチチッチ カチチ チカ


 走馬灯のような感覚にあった。実際そうかもしれない。

 全てが遅く感じる。いや、周りが遅く動いているように見える。俺と斎花が普通の時間にいるみたいだ。


 「痛っ…」頭が金槌に打たれるような鈍い痛みを感じた。だが痛みのおかげで意識が現実に戻った。

 「大丈夫ですか」斎花が心配して言った。

 「ああ、とにかく走ろう。時間がない。突然ですまん、だが俺についてきてくれるか」

 彼女は少しいぶかるが、俺がこの異常について知っていることに気づいたのか、信じてくれた。


 止まった足に力を入れ、銀行まで走った。

 不思議な光景だ。止まってはいないが、不自然なほど周りの動きが遅い。


 銀行の門を通った時、周りの動きが普通になっていた。

 安堵したが、すぐにその感情は終わってた。


 ドン


 あの爆弾が落ちた。銀行ないはすぐに悲鳴で埋め尽くされた。

 銀行の壁から少し振動を感じた。

 だが同時に頭に強烈な痛みに打たれた。

 その痛みはどんどん強くなっていき、立つことさえできなくなった。

 体が裂けている、そう思うほどに痛かった。


 「蒔田さん!」突然倒れた俺に驚き、すぐに近寄り。

 「ゔうゔゔ」地下に行けと伝えようとしたが、呻き声しか出せなかった。


 「あ゛あアア゛!」階段の近くにいた人が火達磨になり、苦痛に叫んだ。

 一人の行員が火を消そうとしたが、階段から降りてくるあの炎は異常だった。

 生きているように動き。

 石床の上をも通り。

 雷のようのに速く動く。


 銀行の壁と天井を這い登り、門を火柱で塞ぎ、全員を一瞬で取り囲んだ。

 火は一人ずつ燃やしていき、そのたび断末魔が響き渡る。

 一つ一つ、火は声を消していった。

 そして残った音は痛々しく鳴る木製品だけとなった。


 火は俺と斎花に向けて炎を解き放った。


     ここで死ぬんだ


 その考えが頭の中に埋め尽くされた。

 だがまだ駄目だ。

 「斎花、逃げろ…」力を振り絞って立ち上がり、身を盾のようにしようとした。しかし周りは歪に曲がったように見え、体がまだ鈍い痛みを訴え、今でも吐きたいほどの眩暈が俺を引き留めようとした。

 それでも彼女には生きていて欲しい。

 

 しかし俺を止めたのは痛みでも目眩でもない、斎花だった。


 彼女は俺を押し戻し、炎の前へ立った。

 「生きてください、私がいなくても、前へ進んでください」

 聞こえない程に弱々しい声だったが、強い願いと覚悟で響いていた。


 「斎花アァァァァ!」下に這いつくばりながら、彼女のところまで行こうとした。


 斎花は叫びもしなかった。炎が彼女の目の前にきても、前に行くことも躊躇わなかった。

 彼女の灰は中に舞い、雪のように下へ降りていった。


 銀行の中は何もなかったように静かで、ただ虚しい焼け跡しかなかった。

 痛みも目眩も消えている。


 チック チック チック


 全ての行動に代償はついてくる。

 より長い時間のため、火を加速させてしまった。天罰を喰らった。

 俺のせいでここにいる全員を殺した。

 斎花を殺した。


 チック チック チック


 「なんでなんでなんで。なんで!」

 斎花、なんで。

 俺も助かる状況で物ないのに。

 どうして。

 俺が死ぬはずだったのに。

 あなたが生きていたかもしれないのに。


 チック チック チック


 斎花の灰を震えている手で掬った。


 チック チック チック


 「救わしてくれ」


 チック チッ ヂ ヂ チ チッチチヂッヂヂ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る