4.
正直何を話したものかと思ったが、店主の妻は大層お喋りな人で食卓は明るい。
「奥さんは」
「
なんか他人行儀でしょう、と彼女は言った。他人だろうと思いつつ樹はわかりました、と愛想笑いを浮かべる。
「なんで、『喫茶トーリ』なんですか?どなたかのお名前なんです?」
店主に以前聞いたところ、引き継いだ際に名前を変えたたこと、名前は彼の妻が決めたこと、そして。
『機会があればきいてごらん』
人の良さそうな笑みで彼はそう答えた。どうやら初めて会った時に会話に困らないように、という配慮だったらしいことを知る。なお、店主の名前は
「これ、桃李成蹊の『トーリ』なの。漢字だと近寄りがたいでしょう?」
喫茶桃李成蹊、と書かれているのを想像して、たしかに読みづらくはあるなと思った。
「……素敵なお名前ですね」
樹のそれは心からの称賛だった。良い店であれば客は必然的に来る、を心情にしているのだと理解する。
「ありがとう、色々悩んだんだけれどやっぱり短い方がいいしね」
最近は純喫茶がブームらしくて、若い人も来てくれるから嬉しいわ、と彼女はにこにこと答える。
食事が終わり帰ろうとした時、もう少しだけいいかと美子に引き止められた。断る理由もなかった樹は、雪見障子の向こう、広縁に置かれたローチェアに、勧められるがまま腰掛ける。
「樹くん、桃のアレルギーとかある?」
「いえ、ないです」
コトン、と置かれたのは、ガラスの小さな器に盛られた桃。まるまるひとつ分はありそうだ。
「お客さんから貰ったんだけれど、二人じゃ食べきれなくて……」
美子さんの笑みは僅かに引き攣っている。視線の先にある廊下には、桃の段ボールが一つ。
「ありがたくいただきます」
持ちつ持たれつというもの大変だなと思いながら、樹は口に放り込む。果物は高いので、そう買えるものではない。
珍しい桃だなと思いつつ、しゃくしゃくと咀嚼する中、美子は言った。
「ねぇ、樹くん。また呼んだら来てくれる?」
信じられない思いで、樹は美子を見返す。
「もちろん、です」
「……良かった」
今日こうして話すことで分かったことはいくつかある。有名私立の大学を卒業したと思われる美子は、恐らく自分より一回り近く上だ。落ち着いた雰囲気や話し方は想像される良家のお嬢さんという感じで、時折教室で見るクラスメイトの女の子とは比べられないほど。
しかし、近くで見れば見るほど彼女は年齢不詳で、その容貌は時に自分と同い年くらいに感じられた。
「私、あまり友達が多くなくて。だから、バイトの後、時々こうして話し相手になってほしいな」
ずっと、憧れているだけだった。近づけば粗が見えるかと思ったがそんなことはなく、思ったよりずっと親しげで。
だから、好きになるなと言う方が無理があった。
「……はい」
窓の向こう、いつの間にか降り出した雨の音が聞こえる。
「しばらくすれば止むらしいから、それまで宿題でもしていくといいわ」
「ありがとうございます」
結露で曇るガラスに、彼女は指先で傘のマークを描く。その白い手に、樹は視線を奪われる。
そんな彼た彼女はくすりと笑うと、邪魔にならないように本を持って来るわと椅子から立ち上がった。
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