3.

 驚いた顔の樹に、店主の妻は知らなかったのね、と笑う。

「美子さんは、うちに住んでいるのよ」

「そう、なんですか」

 美子は、樹のためにスリッパを取り出して彼の前に置く。心なしか嬉しそうな彼女を直視できず、樹は僅かに俯く。

「せっかくバイトに来てくれたのに悪いので、お誘いしたんですよ」

「すみません、突然押しかけてしまって」

 緊張でうっすらと赤らんだ樹の耳を見て、美子は目を瞬いた。

「……いいえ。いつも三人のところ二人になってしまって、さみしかったくらいだから」

 樹が顔を上げると、美子は柔らかく微笑んでいる。その綺麗な微笑みが眩しく、樹はそれとなく目を逸らした。


 テーブルには既に食事が並んでいた。これから食べる、というところだったらしい。樹は扉から一番近い席に促されるまま腰掛ける。そわそわと落ち着かず、首を大きく動かさない範囲で部屋を見回した。

 どこか、祖母の家を彷彿とさせるような木造家屋だった。テーブルの下は板張りだが、障子の向こう側にある板間に置かれた椅子が旅館のような雰囲気を演出している。昔のドラマのセットの中に入ったかのようで現実味がない。

「この家にお客さんなんて久しぶりですね」

「そうですね。……おばさま、来客用のお箸ってどこに仕舞ってありましたっけ?」

「美子さんは、樹さんのお相手をお願いします。私の方で支度しますので」

「ありがとうございます」

 そんな上品な会話が台所から聞こえてきて、樹は思わず背筋を伸ばした。落ち着いた足音が近づいてくる。

「ごめんね、バタバタしちゃって」

 斜向かいの席に腰掛けた美子は、喫茶店で会う姿とは違い長い髪を下ろしていた。穏やかに目を細めて首を傾げる。

「いえ、あの、なにかお手伝いできることはありますか」

「大丈夫。お客さんなんだから、ゆっくりしていて」

 そうは言われたものの、樹は戸惑って視線を彷徨わせた。

「マスターは過労と伺ったのですが」

「喫茶店って、表で見るよりも作業が多いからね……、仕入れを考えると意外と重労働で」

 憂うように彼女が目を伏せる。白磁の肌に、長い睫毛の影が落ちて樹は息を呑んだ。

 改めて、恐ろしく綺麗なひとだと思った。均整の取れたパーツのせいで、どこかのモデルと言われても信じられる。

「はい、ご飯ですよ」

 主人の妻は、そう言って嬉しげに樹の前に配膳をしていく。白米、焼き魚、味噌汁、肉じゃが。久々の真っ当な食事に樹は感動でため息をついた。

「ありがとうございます。美味しそうです」

 三人で手を合わせて、食事を取る。こんなところまでそれらしいなと思いながら、樹は味噌汁を啜った。

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