2.
転機は、夏休みのある日に店主が倒れたことで訪れた。
「休業、ですか」
「ごめんなさいね……」
店主の妻によると原因は過労とのことだった。大事には至っておらず、検査入院を含め一週間あれば復帰できるという。あの暇な店でどうして過労になるのかと一瞬思ったが、もしかしたら何か他の病状が原因で過労になったのだと考えることもできる。こればかりは仕方がないだろうと、焦る心を押さえつけた。
なにせ、樹は貧乏学生だ。店主の体調は気になるが、収入が減れば家賃を払えなくなる身分である。どうしたものかと思った時、あのね、と店主の妻は言った。
「樹くん、その間に別のバイトをしてみない?」
ちょっと特殊なバイトなのだけれど、と彼女は困ったように眉根を寄せた。少しふっくらとした体型の彼女はいかにも優しそうなおばちゃんという風体で、軽く首を傾げるだけで本当に困っているように見える。本人曰く、実はそこまで困っていることは少ないのだけれどと言っていたが、なるほどこれが本当に困っている時の表情なのだと納得した。
「特殊って、どんなものですか?」
「血液検査のバイトなの。知り合いに大学の研究員をされている方がいるんだけれど、一般的な人の血液としてサンプルを欲していてね。ただ、研究室に資金がないから募集をかけるお金はないらしくて……」
バイト代としては、はずんでもらえると思うんだけれど。
その一言で、樹は後先考えずに口を開いた。
「そのバイト受けます。どこですか?」
「本当?助かるわ」
店主の妻はポケットから紙切れを取り出して樹に差し出す。そこには、近くの大学病院の研究室名と、男性らしき名前、そして電話番号が書かれていた。
「明日中に連絡をしてもらえると助かるわ。ちょっと急ぎみたいだから」
「分かりました」
そうだ、と思い出したように彼女は胸の前で手を合わせた。
「もしよければ夕飯食べていく?」
時刻は午後七時、夕飯時である。これで夕飯代が浮くと喜んだ樹は是非と笑い、促されるまま店主の家の敷居を跨いだ。
三和土には靴が二つ。一つは店主の妻のものだろうが、もう一つは明らかに若い女性の靴だ。
「樹くん、夕飯食べていくの?」
靴を脱ぎかけたまま顔を上げると、美子がぼんやりとこちらを見ているところだった。
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