第5話 女将修行は厳しい

「うーん、饅頭なんてのはありきたが、漬物はちょっと引かれるな……」


 食事の後、部屋に戻る前に、土産物屋をひやかしていた。

 調度部活のメンバーに何かお土産を、と考えていたところだった。

 ふと、気が付くと、あの子がまだ食事の間と調理場を慌しく行ったりきたりしているのが見えた。

 俺たちが寛いでいる間も仕事か―。

 立派は立派だが、まだ遊びたい盛りだろうに。


 身長も見えなくなるぐらいに、詰まれたお膳を持ち上げ、運んでいる。

 な、なんかふらふらだぞ。

 あの子。

 相当腹すかせてたのかも。


 と、その時、お膳が大きく揺れた。

 なんだか見覚えのあるシチュエーション。

 さっきの俺の部屋であったような光景だ。

 注意したいとも思ったが。関係者以外立ち入り禁止の配膳室に消えた。

 直後、ドシャーン、ガシャーンとロビーにまで聞こえるぐらいの豪快な音がした。


「何やってるんだい、しず!」


 女将さんの声が聞こえた。


「ひえっごめんなさぃ!」


 続いて、泣くような悲鳴が聞こえてきた。


「まったくあんたは、何度同じミスをすればいいのかい?」


 姿は見えないが、何度も謝っているのがわかった。

 他の従業員も集まってきている。


 こえー、女将さんが怒っているところなんか見たこと無いぜ。

 さすが仕事しているときの顔は、違う。

 俺たちに会うときとか、旅館でお客さんを迎えているときは笑顔で、穏やかなのに。


 それに、あの子、名前聞いてなかったが、しずって言うんだな。

 偶然にも静夫と同じ名前じゃないか。




 やがて、ショボンとした姿で、廊下に出てきた。

 同じ年代の男女に、肩を叩かれている。

 どうやら、厳しい叱責を受けたので、励まされているようだ。

 ああいうのを見ると、俺も将来について考えないわけでもない。

 働くのは、楽しいことばかりじゃない。

 今から考えないとな……。

 きっと静夫もあの子の姿を見て、働くことを考えたのかもしれない。

 それは考えすぎか。

 落ち込んでいる「しず」さんは、土産物コーナーにいる俺に気づいた。

 また目があった。




 部屋に戻ると、既に布団が敷かれていた。

 見事にシーツに皺も無く、メイキングされている。

 時計を見ると、まだ8時過ぎだった。

 さーて、まだ時間もあることだし、どうしようか?

 確か、あの「ご案内」によると、風呂は深夜までやっているようだった。

 また、もう一度入ってくるのもありだな。

 あるいは、散歩してみるか……。

 この近くにも温泉街や古い神社とか見所はあるしな。




 部屋に戻ってしばらくすると誰かがやってきた。


「まあ、姉さん、久しぶり」


 伯母さんでもある女将さんがやってきた。

 あの清楚な和服姿のままだ。

 母さんは久しぶりの再会で相好を崩す。

 俺の親父も待ってました、と歓迎だ。

 部屋にあがりこんで早速挨拶した。


「お久しぶりです、伯母さん」


「良太君も大きくなったわねえ」

「そ、そうですか?」

 優しく声をかけてもらえるが、確かに伯母さんはこの旅館を統べる女将のごとく威厳がある。俺もかしこまらずを得ない。


「姉さん、この子も、もう再来年には大学生ですよ」


「あら、もうそんな年なの? 将来が楽しみね」

「もう、ちゃんとした大人になってくれるか、まだまだ心配よ」

 

 そして、そのままそれから、俺が生まれたときの話とか、中学、高校の話だ。

 まったく、子供の話となると母親ってのは気合が入るもんだな。

 久しぶりの再開で、会話も弾んでいるようだった。


「姉さんのところは相変わらず繁盛してるわねえ」


「ふふ、でも結構大変なのよ、人手も足りないし、あっちこっち建物も古くて痛んでるいとこもあったりしてその修理もあるから」


 あれ? ふと気づくと、部屋には、あの しずって子がいた。

 なんでこんな場にまで入ってきているのだろう?

 何もこんなプライベートな時間にまで、かしこまって来なくても……。

 でも状況から考えると、女将さんが連れてきたようにも思えるのだが……。


「いや、でも女将さんも、こちらの子のように若い子が旅館の仕事を担っていて、将来も期待できそうじゃないですか」


 父さんもその子に気づいていて、ふと何気なく話題に触れた。


「とんでもない、この子はー」


 女将さんがチラ見した。

 途端に、しずさんがビクっと体を震わせた。

 異様な怖れ方だ。


「まだ見習いなのですよ。修行中なので、甘い顔はできないのですよ」

「これは厳しいなあ、お義姉さんも」

 父さんは苦笑いを返す。


「この子、”しず”は、ずっと旅館の中で、雑用をやっていましたが、ようやく今日仲居を任せたばかりです」


 ううむ、この子を見るときは、女将の顔に戻っている。


「ようやく従業員に揉まれて、ほんのばかし接客や作法を憶えたばかりです。まだまだ半人前にもなっていません」


 き、厳しい……。

 親族のいる前だから、ここだけでは甘いところをみせるかと思いきや……。


「厳しい世界ですな、いやいや、まったく」

「でも、今日はちゃんと案内もしたし立派だったわよ。ね、良太」

 母さんが優しい言葉をかけてくれる。

 俺は……お茶をぶっかけられたけどな。

「あ、はい」

 でも言うと、この子の立場がなくなりそうなので、一応俺も頷いて褒めておいた。


「ほら、しず。ちゃんとお礼をお言いなさい。ヘマをしたのに褒めてくれたんだよ」


 ペコりと手をついて、頭を下げた。

 健気だな……。

 なんでこんな良い子に、伯母さんは厳しいんだろう?

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