第4話 侯爵令嬢は恋をする
隣国が魔物の軍勢に滅ぼされたと聞いたのは、ユーフォリアが村にやってきてから一年が経過した頃だ。
実際はこのような辺境に噂話がやってくるなど数か月は遅れてくるものなので、もっと昔の話だろう。
村人たちはそんな噂話を過剰に恐れ、恐々といった雰囲気が村を覆う。農作業を行うクラウスや妹たちにも覇気がなく、いつもの明るく穏やかな世界が壊されたとユーフォリアは苛立ちを覚えた。
「魔物の軍勢がこの村にやってきたら、僕たちはどうなるのかな?」
夜、妹たちが寝静まった時間にクラウスが唐突にそう尋ねてくる。それに対する彼女の返答は決まっていた。
「間違いなく蹂躙されて終わるだろうな。このような辺境の村に、領主は貴重な戦力を割いてはくれん」
「そんな……」
この頃になるとクラウスもユーフォリアに対する口調が家族のようなものに変わっていた。それを彼女自身も望んでいたし、彼の妹たちも自分を姉と慕ってくれて嬉しく思う。
そんな生活が続いた事により、穏やかに笑う事も多くなった気がした。
ただ今日ばかりはそんな暗い表情で語るクラウスを前に、ユーフォリアも真剣な顔を隠さない。事実は事実として与え、そして彼が何を考えるかを見ていたいと思ったのだ。
「ユーフォリアは……」
そこで言葉を区切るクラウスに、彼女は静かに次の言葉を待つ。悩み、苦しみ、言葉にすることを躊躇っている姿は、ある種の生命の強さを感じる。
だがそれも覚悟が決まったのか、クラウスは真っ直ぐ見つめながら口を開く。
「……逃げないの?」
「逃げると思うか?」
そう答えると、彼は苦笑しながら首を横に振る。ユーフォリアがクラウスの事をこの一年で知ったように、クラウスもまたこの一年でユーフォリアの事を知ってきたのだ。
彼女にはクラウスたちと違って、逃げられる場所がある。だからといって、このプライドの高い少女がそんな選択を取るなどありえなかった。
「でも、王国軍もかなり劣勢だって話だよね」
「ああ、だがそれも全て自業自得だ。もっと日々を懸命に生きていれば、奴らとてもう少しマシだっただろうからな」
「王国軍は……負けるの?」
「恐らくな」
隣国の戦力は王国を大きく上回っていた。それでも滅ぼされた以上、王国が勝てる通りはどこにもない。
「まさか、こんな結末になるとはな……」
ユーフォリアは己の生涯を賭けて世界の全てを変えるつもりだった。それがどうだ、このままいけば世界は何もしないまま勝手に変わってしまう。
人族の終焉と共に、世界は魔物の手に落ちるだろう。
悔しいとも、悲しいとも違う。自分の感情がここまでよく分からなくなったのは、彼女にとっても生まれて初めての経験だった。
「ふう……」
「ユーフォリアがそんな表情をするなんて珍しいね」
「まあな。人生の目標というのを無くしてしまったからかな。ずいぶんと心が軽いんだ」
「心が軽いって表現、間違ってない?」
「しかしそう表現する以外にしっくり来ないのだから仕方あるまい」
いつもよりも軽快な言葉遣い。それはクラウスの事を信頼している証でもあった。
「目標を無くすとこうも人は弱くなるのだな。初めて知った」
普段は弱音など絶対に吐かない彼女の心からの本音。それを聞いたクラウスは、不意に彼女を守りたいという気持ちが強くなった。
これまでは家族として見てきた彼女だが、この感情は違うと心が叫んでいる。
だが彼女と自分ではあまりにも身分が違い過ぎる。この村にいる間はいいが、ユーフォリアはいつか去ってしまうのだ。そんな彼女の足枷になるわけにはいかないと、出かかった言葉をクラウスは飲み込む。
「なあクラウス、結婚でもするか」
「えっ!?」
だと言うのに、彼女はそんなクラウスの心を読んだかのように口にする。その言葉の軽さとは裏腹に表情は冗談を言っているようには見えず、彼女が本気で言っていることがよく分かった。
「あ、え? いや、あ、その!?」
「落ち着け」
「お、落ち着けるわけないじゃないか! どうしていきなりそんな結論に――っ!?」
叫びだした自分の唇を人差し指で抑えたユーフォリアは、そっと視線を寝室へと向ける。そこは妹たちが寝ている部屋だ。
「落ち着け」
再びそう言う彼女に従うように、クラウスは頷いた。
それを見たユーフォリアは満足げに笑うと、その瑞々しい唇を開く。
「生きる意味を失ったとはいえ私も女だ。であれば、この生の最後は好いた男を伴侶に迎えたいと思うのは自然の摂理だろう?」
「も、もしかしたら王国が勝つかもしれないじゃ――」
「それはない。これでも私は王国の貴族だ。戦力差は理解しているし、その差はあまりにも隔絶している」
「で、でも……」
「なんだ、私と結婚するのが嫌なのか? それは……正直かなりショックなのだが……」
「そ、そんな事ない! 僕も君の事を一生守りたいくらい愛してっ……あっ――」
再び大声を出したクラウスは、慌ててその口を閉じる。ゆっくり寝室を見ると、妹たちは起きてくる気配はなかった。
そのことにホッとしていると、不意にユーフォリアが笑顔を見せている事に気が付いた。
元々が絶世の美少女である彼女が心から嬉しそうな顔をしており、それを間近で見たクラウスは心臓が止まるほどの衝撃を受ける。そして自分が言った言葉に気が付き、体中の血液が顔に集まってくるような錯覚を覚えた。
「なるほど、これが人に愛されるということか。これは存外、悪くない。悪くないな。よしクラウス、明日の朝一に長老の所へ向かおう」
「え?」
「しかしあの長老は意外と考えが凝り固まっているからな、貴族と平民などといって認めてくれんかもしれん。うん、先に既成事実だけでも作っておくか」
「いやちょっ」
いきなりの展開に付いて行けないクラウスは戸惑う。そんな彼をおいて、ユーフォリアはどんどんと話を進めていくのだから、どちらが男なのかわからない。
ユーフォリアはクラウスの頬を両手で抑え、顔を近づける。間近で見る彼女に目を奪われたクラウスは動けず、二人の距離がゼロになる。
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