第3話 侯爵令嬢は穏やかな時を過ごす

 それからしばらく経ち、ユーフォリアは己の言葉の通り村人と同じように振舞うようになる。

 

 クラウスにとって、ユーフォリアという少女はとても不思議な存在だった。


 貴族という存在に会ったのは初めてだが、村の大人達からは散々怖い存在だと教えられている。決して逆らってはいけない、村人とは異なる存在。


 しかしこの少女は自分を村人と同じように扱う事を強要する。敬語すら許さないのは流石に勘弁して欲しかったが、まだ幼い妹などはすっかり懐いた様子で彼女の後ろをついて回っていた。


 村から出たことがないクラウスにとって都会の貴族の常識がどういった物なのかは知らないが、少なくともユーフォリアが普通でないことだけは理解しているつもりだ。 


 何せ、服が汚れるのも構わず農作業に従事する。早朝に起きて、妹たちと一緒に水汲みも行う。


 もちろん、誰も強要などしていない。彼女は唐突に現れると「私もやる」と言いながら見様見真似で動き始めるのだ。


 当然、その動きはクラウスから見ても素人そのもので危なっかしい。だがその表情は真剣そのもので、村長には止められていたがクラウスでは止められる雰囲気ではなかった。


 そうなると、農作業のやり方を教えた方がよほど危険もないだろう。そう考えてユーフォリアに声をかけると、彼女は綺麗な瞳を真っ直ぐ向けながら礼を言うのだ。


 貴族にはプライドがある。だから余計なことはするな。そう村長に言われていたが、彼女はひとつ教えるたびに笑い、そしてお礼を言い、感謝する。


 そんな彼女の笑顔が眩く、クラウスは出来る限りユーフォリアの望みを叶えてあげたい、もっと彼女を知りたいと思うようになっていた。


 ある日、一緒に料理をしながら彼女に尋ねた事がある。


「どうして私がこの村に来たのか、だと?」

「はい。あ、でも言いたくない事だったら別にいいですよ」

「別に構わんさ。まあ、実の所私も理由は知らん。祖父から不意打ちを受けてな、魔術を使う力を奪われたのだ。あとはそのまま抵抗も出来ずに大層な護衛を付けた馬車に乗せられて、気付けばこの村だ」


 事もなさげに言うが、クラウスはその内容に驚きを隠せない。彼からすれば家族はお互いを支え合う関係だ。それが血の繋がった実の祖父に家を追い出されるなど、信じがたい話でしかなかった。


 しかし実際に彼女はここにいる。つまりそれが真実なのだろう。


 クラウスが何と答えればいいのか迷っていると、ユーフォリアは苦笑しながら首を横に振る。


「貴様が気に病む必要はないさ。どうせ元々追い出される運命だった。それが早いか遅いかの違いだったからな」

「追い出される予定だった?」


 クラウスから見れば、ユーフォリアはまさに理想の貴族様だ。これまで噂で聞いてきた貴族と言えば、税を上げ、自分達は贅沢をし、そして気ままに平民を苛め抜く。


 ユーフォリアがやってきたときも、長老からも絶対に逆らってはいけないと念を押されていたが、しばらく一緒に生活をしてきて彼女が些細な事では怒らないことを知っていた。


 目の前の少女は貴族でありながら自らを村人たちと対等であると言い、自分たちでは知らない知識を持つ賢人にして、それを惜しみなく開示する才人。


 村に利益を与えながら、農作業すら嫌な顔をせずに行う姿を見て、彼女を嫌う人などいるはずもないとすら思っていた。


「ああ、私は貴族として異端だからな。きっとこの先、私を殺したいと思う貴族は多く現れるだろうさ」


 だがユーフォリアは当然のようにそう語る。


 彼女の言葉がどうにも納得出来なくて、クラウスは初めて自分達の見てきた世界が如何に狭いものだったのかを感じるようになった。




 クラウスと話しながら、ユーフォリアはこの村の生活を存外気に入っていた。


 これまで殺伐とした貴族社会を生き急ぐように生きてきた彼女にとって、まるで時の流れが違う世界に迷い込んだように、ここでの生活は穏やかなものだ。


 かつてユーフォリアが魔術の鍛錬を行っていた早朝。村人たちはすでに起きており、農作業を開始する。


 どうせ魔術が使えないなら、と彼らと共に農作業をしてみると、これが意外と難しい。


 幼子ですら手伝える事が天才と持て囃された自分が出来ないことに、ユーフォリアはある種の衝撃を受けたものだ。それと同時に、生きるために勤勉に働く彼らを見ていると感心してしまう。


 少なくともユーフォリアが知っている貴族たちはこんな早朝から働かないし、ただひたすら与えられる立場に興じて働かない者さえざらにいる。


 そんな貴族と彼らを『同じ人間』と称したのは間違いだったのかもしれない。確かに見た目は似ているが、その根底にある精神は同じ種族とは到底思えなかった。


 この村にきて、己の根幹にある部分がぶれていく。


 ある日、ユーフォリアは同居人である青年に、日々が辛くないのかを訪ねてみた。


「辛くはないですね。妹たちも一生懸命手伝ってくれますし、村の人たちもみんな優しいですから」

「そうか……」


 笑顔でそういう彼の言葉に嘘はなかった。それを聞いて、ユーフォリアの中でほんの少し、そんな当たり前の言葉を言える彼を羨ましいと思う気持ちが芽生える。


 彼女にとって、世界を変えるという事はもはや強迫観念にも似たものだった。


 生まれた時から貴族の生き方に疑問を覚え、周囲の人間を疑い、そうしていつかは世界そのものの構造を変える。それが自分の生まれてきた意味だと、当然のように思っていたくらいだ。


 理解者はおらず、周囲全ての人間に嘘を吐き続ける生き方。それが辛くなかったかと言えば嘘になるだろう。だがそれでも、この生き方は止められないとずっと思っていた。


 ただこうして穏やかな生活を続けていると、これまで研ぎ続けてきた心の刃が鈍っていく感覚に陥る。


 まるで暖かな湯の中に浸かっているような心地の良さ。


 きっとこのままここでの生活が続けば、ユーフォリアは二度と世界を変えようなどという決意を持つことは出来ないだろう。


 それほどまでに、彼らから感じる生命の息吹は強く、そして優しいものだった。

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