第2話 侯爵令嬢は辺境の村に立つ

 家畜小屋と畑が並ぶ村の中心で、村長は貴族の少女と向かい合う。


 周囲には野次馬と化した村人達。娯楽のない村にやってきた美しい貴族を一目見ようとやってきたのはいいが、直接対峙している村長としては、正直生きた心地がしない状況だ。


 館を追放され、辺鄙な村へと追いやられたとはいえ相手は貴族。ましてや侯爵令嬢ともなれば、村の最高責任者である村長から見ても雲の上の存在である。


 艶のある肌、美しい髪、何よりその身に纏う貴族としての存在感は、とても小娘と侮れるものではない。


 目の前で腕を組み堂々と己を見下す少女を見ながら、村長は農作業で潰れた皺のある手で己の白髪に手を当て、どうしたものかと頭を悩ませる。


「すみませんが貴族様……もう一度よろしいでしょうか?」

「聞こえなかったか? これより私がこの村の責任者だ」

「いえ、それは問題ありません。領主様の御令嬢ですから、当然の事です。ですが、その……」


 いきなりやってきた少女が村長を押しのけて責任者になると言う。


 これまでまがりにも村の運営を任されてきた者としては多少思うところはあるが、相手は貴族だ。たかだか村の責任者程度が反論出来る筈がない。


 しかし問題はその後。


「村人と同じように生活させろ、と仰られても困ります。貴族様は村人ではないのですから」

「何故だ? 私は今後この村で生活をする。であれば村人と同じように生活を送るのが筋というものだろう?」

「例え同じ村に住んでいたとしても、貴族様と村人は身分が異なります」

「だが同じ人間だ」


 堂々と、誰に憚ることなくそう言う少女に村長は思わず目を見開く。同じことを逆の立場で言えば死刑にされても可笑しくない発言だ。


「……貴族様、我々村人と貴族様は違うのです。貴族様には貴き血が流れている」

「貴き血……ねぇ」


 呆れたように、下らないと言わんばかりの不遜な態度だ。明らかに気分を害している。しかし村長としてもここは譲れない。

 

 少女本人が良いと言っても、彼女を村人と同じように扱ったなどと領主に聞かれればこんな小さな村、まるごと地図から消されても可笑しくないのだ。


 貴族とは、そういう生き物なのである。


「貴様の言う貴き血とは一体なんだ?」

「貴族様のことです」

「では何を持って貴族と言う?」

「その血に流れる魔術の力。これこそが神に選ばれた人間である証明です」

「平民にも、村人にも魔法を使える者はいるぞ?」

「それは遥か過去に貴き血が流れていたのでしょう。神に選ばれた、という意味はあるものの、今もなお下民の為に精力を尽くしてくださる貴き血の方々とは比べるに値しない者達です」


 村長は少女に言い聞かす様に、そして野次馬と化した村人達に言い聞かすようにゆっくりと、はっきりとそう言った。


 少女は明らかに不機嫌そうな顔で睨みつけてきたが、村長はその眼をしっかりと受け止め、顔を逸らしはしない。


 狭い田舎の村の中とはいえ、長年生きてきた村長には目の前の少女がどれだけ危険な存在なのか理解出来ていた。


 世間を知らない村人達にとって彼女は劇薬である。この村の中で生きる分には問題ないが、都会に出たいと言う若者も多くいる。


 そんな若者達にとって都会のお嬢様から聞く話は大層刺激的なものだろう。それがこの世の中にとって間違っていても関係ない。何せこの村の人間達は、世の中という物を知らないのだから。


「貴族様、我々は日々の平穏を望んでおります。我々は生きていく糧を得る為に働いています。この平穏を守る為に税を払っております。どうか我々の平穏を、乱さないで頂きたいのです」




 村長の言い分をユーフォリアは理解した。彼女の思想と現実が決して噛み合わない事もまた理解した。


 ユーフォリアは生まれながらの異端児である。王国の貴族に生まれながら、貴族という存在に疑問を抱き、不信感すら持っていた。


 父も母も穏やかな性格をしており、為政者として尊敬出来る人間だ。だがそれでも貴族と平民は違うという意識が根幹にある。それは傲慢な貴族も、商会のトップも、平民も変わらない。


 ――貴族と平民は違う。


 この国の人間達は皆、揃って同じことを言う。だがユーフォリアにはどうしても、平民である彼等と自分達貴族が違う人間には思えなかった。


 貴き血が流れている、と人は言う。貴き血とはなんだ? と聞けば先ほどの村長と同じように魔術が使えるか否かという。そして平民でも魔術が使える者がいると言うと、過去の血が残っているだけだと口を揃えて言い返される。


 下らない選民意識、と幼い頃は思ったが今は違う。これだけ国中に根付いたそれはもはやこの世界のルールと言っても過言ではなく、恐怖すら感じていた。


 自分が異端である事がではない。これだけ広い領土を持つ王国が、余すことなくそのルールを根付かせた事そのものに恐怖を感じたのだ。


 ユーフォリアは自分の思想を抑えつけてまで生きていけるような器用な人間ではない。


 彼女にとって人は貴族であっても商人であっても、そして村人であっても同じ人間である。そんな彼女にとって、この世界は非常に窮屈で、生き辛いものだった。


 だからこそ、将来は世界そのものを相手に戦う気概でこれまで鍛錬に勤しんできたのだが、それも祖父によって阻まれてしまったのが現状だ。


 田舎の村ならばとも思ったが、先の村長との問答で少なくとも年配の人間にとってやはり貴族は絶対の存在であると言う事は分かった。付け入る隙があるとすればまだ選民思想に侵されていない若者達か。


「貴族様、これから紹介するのは若いながらも村一番の働き者です。両親を亡くし、男手一人で妹達を育てている心優しい者なのです。彼ならば、貴族様も穏やかに過ごしていただけることでしょう」


 暗に、余計な思想は植え付けないでくれと言われているのを理解しつつ、恐らくその願いを無視する形になるだろうと目線を逸らす。


 それが伝わったのか、村長は不安そうに溜息を吐きつつ前を歩く。そうして連れられた家は、他の村人達と変わらぬ木製の小屋だが、他の家より少しばかり大きかった。


 少しお待ちを、と村長が家に入っていく。それからしばらくして、村長と共に一人の青年が家から出てきた。


「貴族様、こちらがこれより貴方様のお世話をさせて頂きます、クラウスと言います」

「初めまして。クラウスと言います。えっと、よろしくお願いします」


 ぺこり、と頭を下げる青年の年はユーフォリアより少しだけ上だろう。二十歳には届いていないように見える。この国には珍しい黒髪を短く切り、清潔感がある。


 村長が事前に話していた通り、穏やかそうな柔らかい瞳をしていた。


 生きるのに大なり小なり必死な村人というのは、その瞳に野生染みた力強さを持っているものだが、彼からはそんな雰囲気は感じられない。恐らく、争い事には無縁の生活を送ってきたのだろう。


 しかしそうなると少々不思議に思わずにはいられなかった。


 両親を亡くしたとなれば、当然村での生活は困窮なものだろう。ましてや話を聞くに幼い妹が三人いると言う。であれば必死に生きた者特有の雰囲気を纏って然るべきだが、目の前の青年は随分と緩い。とても生活に困難しているようには見えなかった。


「これからしばらく邪魔をする。ユーフォリアだ」

「あ、あの、僕はあまり作法に詳しくないもので、失礼があるかもしれませんが……」

「良い、気にするな。この村にいる間、私はただのユーフォリアだ。普通の村人と接するつもりで相手をしてくれればそれでいい」


 そう自己紹介をすると、クラウスは少し驚いたのか目を開き、隣に立つ村長を見る。村長は困った顔をして首を横に振るので、クラウスもまた困った顔をした。


「くっ」


 そんな二人の様子が少しおかしく、ユーフォリアはこれまで気張っていた表情を緩め声を零す。


「あ、笑った」

「むっ、まあ笑う事もあるさ。私は貴族だが、それ以前に人間だからな。お前だって面白い事があれば笑うだろう?」

「そっか、そうですね。貴族様も人間ですもんね」

「ああ、貴様と『同じ人間』だからな」


 隣で村長がユーフォリアの意図に気付いてオロオロとしているが、目の前の青年はどうも気付いた様子もなく嬉しそうに笑っていた。


 久しぶりに感じた手応えにユーフォリアは再び笑う。


 こうして辺境の地に飛ばされたのは痛いが、それならそれで己の野望の為に動くまでだ。


 己の計画が完璧に上手くいくなど最初から考えてはいない。大切なのは計画通り進めるのではなく、目的に向かって真っすぐ進む事なのだ。


 ユーフォリアの野望は最初の一歩目を踏み出す前に挫かれた。だがこの新しい土地での一歩から、再び野望は始まるのである。


 それがどんなに遠回りになったとしても、彼女にとっては大切な一歩となるのだから。

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