・第39話 選択するという選択


ダイジュの片手が細かく震える。

憎しみだけが自分を追い越していきそうな焦燥。それに呑まれたらもう二度と自分は帰ってこないと直感的に思った。

ただ、胸の奥でほんの少しだけ揺れている部分もあった、気がした。心の片隅だけが生きているような。

ダイジュはなぜか、アンズを攻撃できなかった。


気づけばダイジュは振り下ろしかけていた片手を降ろし、自分に語り聞かせるように、アンズに自分の感情を聞かせていた。

もうじき滅ぼす人間にそんなことをしたのは、ただの気まぐれだったのか、自分にさえわからなかった。

「仲間が大勢死んだんだ」

アンズはただダイジュを見つめ続けている。そうするより他に、何もできない。

「どうしてもその時の光景が忘れられないんだ。人間がこの街を創りあげた後も、ずっと」

自分の掌に、ダイジュは目を向けた。指先は、枝が別れているような焦げ茶色だ。

この手さえ、自分の悪意のままに動いてくれれば、ダイジュは胸の痛みから解放されるというのに。

そして悪魔になれるというのに。

「なのに、あなたをここで殺すこともできないんだ、私は」

「・・・どうして、なの?」

ダイジュにだってわからない。ここまできてまさか自分の感情が邪魔をするだなんて思ってもみなかった。アンズをここで殺したら、仲間達を悼んで悲しんだ自分さえ、消えてしまうような気がする。

これでは、誰も殺せないではないか。こんなに、恐ろしいのでは。


 「・・・ごめんなさい」

その時アンズのか細い声がして、ダイジュは頭を上げた。

「私、何も知らなかったよ。人間も悪いところがあるなんて、考えたこともなかった。あなた達が傷ついてきたことも知らなかった・・・でも、知れて良かったと思う」

アンズの瞳の中の薄寒い恐怖や絶望を見た。それはダイジュの仲間達が人間達に襲われた時に訴えた感情だった。だからどうしようもなく胸が痛くなる。

「あなた達がもう無遠慮に傷つくことがないように」

ダイジュは目線だけを上げてアンズの方を見やった。

「私は、祈るよ」

アンズはダイジュを見つめ続ける。アンズの黒い瞳が琥珀のように煌めく。

ダイジュは勢いよく立ち上がると、熱り立つ片手を、宙に上げる。

緊迫が空気を埋めていく。


ふざけるな


その言葉は、ついに聞こえてこなかった。




空間内がぐらぐらと揺れ始める。

マキに絡みついていた蔓は、ゆっくりと解けていき、瓦解していった。

「う、うう・・・」

マキが軽くうめいた。


マキの自我が目覚めていなかったのではなかったのだ。

ただ、ダイジュの怨念がマキの目覚めを阻んでいたのだ。

そして今、ダイジュの感情は揺れている。怨念が消化されたがっている。

もうマキは、とっくに目覚めている。

何かが崩れだすような轟音が、響き始める。


「ふ」

ダイジュは、仕方がないというように、微かに笑って、大きく息を吐いた。

その目元が悲しげに震えているのを知ったのは、アンズだけだった。

アンズを閉じ込めていた蔦の檻が崩壊する。アンズは駆け出した。そうして、ダイジュの細い腰に思いきり抱きついた。そうせずにはいられなかったのだ。

ダイジュは初めて愛おしげに、アンズを見下ろすと、その長い指先でアンズに触れようとした。


白い光が全てを包んでいく。

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