・第32話 ハルの日記


アンズは呆然と立ち尽くしていた。

「でも、私は感謝しているのよ。あなたがいたから哀れなマキ様は木に騙されてくれたのだから」

森の守り神は、大木の幹を撫でる。手始めはこの街だ。森の守り神の友だった者達を粉々にして破壊して、創り上げられたこの街を、今度は自分がメチャクチャにする。ケダモノ達を使いながら。なんという、スパイスの効いたエンディング。

 しかしそこで、守り神は、アンズの手の中にある本に気づく。

一度だけ見たことがあったのだ。その、くすみのない真っ赤な本を。

確か幼かった少女が持っていた。白い髪の、意思の強い少女。

「まさか、それは、ハルの・・・」

その瞬間、守り神の瞳に動揺と疑念と怒りが湧いた。


「それさえ消して仕舞えば完璧」


アンズの腕が鋭い爪に切られる。

肘から下にスッと線が入ったと思ったらそこから血が噴出した。

「ぅ、うぁぁああ」

アンズが顔を歪ませる。

痛い痛い、切られたとこがどくどく鳴っている。

守り神は信じられない顔つきで、自分の片手をもう一方の手で抑え込む。

「あら、マキ様、出てきてはダメですよ。大丈夫です、殺しはしませんから」

守り神はマキの身体に爪を立てた。右肩に血がぷっくりと生まれる。

「マキを、傷つけないで…」

アンズは息も絶え絶えに守り神に言った。

守り神は冷ややかな視線をアンズに向け続ける。聞き分けのない子供にうんざりしている親のようだ。

「あなたがムダな抵抗をするからでしょう。私だってマキ様を傷つけることは、望んでないわ。さあ早く、日記を返して」

守り神が追い詰めたその瞬間、アンズは本を両手でひしと抱いた。

「あなたには渡さない」

これはアスカがアンズに持たせたものだ。アスカは無駄なことをする人間じゃない。アンズの為になるからこの本を持たせてくれたのだ。今はまだ、何なのかはわからないけれど。

 守り神は一気に表情を歪ませた。まるで怒りが炸裂するその直前のような、ひりりとする不安が、アンズを覆った。

「返せと言ってるのよ、この子娘・・・ッ!!!」

守り神が、アンズを思いきり突き飛ばした。アンズは爆風に巻き込まれて、後ろの細い木にぶつかる。意識が、朦朧とする。

日記が空に放り出される。地面に転がった。

守り神は、口が避けそうな不気味な笑いを漏らした。地面に転がった本を片手で鷲掴みにする。

守り神はまるで悪魔だった。本のページをビリビリと派手な音を立てて破いていく。嗜虐的な笑みを讃えながら、紙も筆跡もこの世界から抹消していく。

そしてとうとう、最後のページを真っ二つに切り裂いた。

「これで、計画は再び完璧に・・・」

そして守り神がそう呟いた瞬間、ハルの日記のわずかに残った残骸が、白い光を放ち始める。

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