第28話 衝動

「アスカ兄ちゃん!」

檻から出してもらった時にあの、コトという少年が私に教えてくれた。アスカが今病室にいることを。

看護師や医者たちを無理に押し除け、その間を避けながら私は三階の、兄のフルネームが書かれてある部屋のプレートを見つけ、推し入った。

こんなに強引なことはしたことがなかった。

 病室の隅に置かれたベッドを見る。駆け寄る。

地位がそこそこ良いアスカだからなのか、病状が重いからなのか、個室が与えられている。

カーテンを開くとアスカは赤い本を熱心に読んでいた。こちらに気づきもしない。その顔はいつもと何も変わらないように思えた。

「兄ちゃん、両足に大火傷を負ったって、聞いたんだけど」

眉を下げながら恐る恐るきくと、アスカはやっと顔を上げた。見ると、目の下には赤い痕がついていた。

「俺のことはどうだって良いんだ。それよりも、コトとかいう奴がお前を逃がしてくれて本当によかった。アンズとイブキが捕まったのは俺に責任がある」

アスカは目を伏せ、深々と頭を下げた。

「すまなかった、俺が甘かった。ナミがリーダーなんて何かの間違いだと思い込んで、お前たちを危ない目に合わせてしまった」

私はあの丸い建物の最上部で会ったナミについて思い出す。いつものようなヘラヘラした笑顔の代わりに、そこには底知れぬ闇があった。

それを報告しないと。

「・・・ナミ姉ちゃんね。いつもの姉ちゃんじゃなかった。なんだか、思い詰めたような感じで。私も、姉ちゃんは話を聞いてくれるって思ってた。だって、あんなことしたがるような人じゃないもの」

あんな、危険な政党のリーダーになって、影からたくさんの人たちの命を危険に晒すだなんて。

私は、込み上げる嗚咽をもう堪えることができなかった。アスカのベッドの前にしゃがみ込んだ途端、ぼろぼろ涙が落ちた。

「姉ちゃん、どうしちゃったのかなあ。私、何もできなかった。姉ちゃんを説得することも、連れ帰ることも・・・」

アスカはそんな私の頭を、優しく撫でてくれた。しかし何も言わなかった。

何かを言えるわけもない。今までなんの音沙汰もなく一緒に暮らしてきた家族が、急に異質の立場に飛び去ってしまうなんて。そんなこと、誰が想像できるだろう。

 やがて泣き疲れた時、アスカがぽつりと呟いた。

「ナミは、寂しいのかもな」

その言葉に私は顔をあげ、アスカの顔を見上げた。どこに視点を置くわけでもなく、一見ぼうっとしているようなその表情の中に、確かに悔しさが潜んでいた。

自分が無力だとここにきて叩きつけられる感覚。今の私と同じように、この兄もそんな絶望を感じているのだと知った。

「ナミは明るいいい子だ。決して、人を傷つけたいとは思わない。しかし稀に、自分を見てほしいという風な発言をする。それは、幼い頃からずっとあった」

そう、アスカが言う。私は、よくわからなかった。私にとってナミは、年上でイカしていて、時々少し悪戯をしてくる、そういう姉だ。

誰かに必要とされたがっているのかもしれない、アスカはそう呟いたのだった。


 そしてその直後、デスクの台に乗ってあったアスカのスマホが音を立てた。私は軽くびっくりしてスマホをアスカに手渡した。

「何か速報が入ったかな」

治安維持協会に所属している者は、携帯などで速報の知らせを受け取ることが義務付けられている。それがどんな速報であろうとも。

それを見た途端、アスカの顔色が変わった。

アスカが咄嗟に、すぐ脇にあった小型テレビをつけた。騒音がテレビから溢れ出す。

『速報です。先程、春川市春川街のホッと広場で未確認生物が多数現れ、人々を襲っている模様です。春川市の皆さんは、直ちに避難してください!繰り返します!』

そして映像が現場に切り替わる。この広場は、幸福善心党が立てこもっており、それをやめさせようとする治安維持協会との間で、抗争が起きていた広場だ。すぐに気付いた。

「何・・・これ」

広場は赤に塗れていた。

子供用の遊具の可愛らしい動物の首が取れている。そこかしこに人間が倒れている。鋭い牙が刺さっている後もある。

『中継しております!こちら現場からです!つい先程から繋いでおりましたが、未確認物体の捕獲が追いつかず!こちらも大変危険な状況となってしまいました!一旦ここから避難し、離れたところから中継を・・・』

若い男性のアナウンサーがそう言った瞬間、彼の後ろにケダモノが一瞬映りこみ、映像が途切れた。ブツ、ツー、ツーという破綻音が、生々しく心に押し入ってくる。

「い、嫌・・・」

心臓がありえない速度で脈打っている。

「嫌だ、嘘でしょう。これ、こんなに、たくさん」

スマホをポケットから取り出す。SNSを開いた。『ホッと広場』と検索すると、ケダモノ達が映っている写真やコメントが山のように上がってきて、吐きそうになった。

『やべえ、人いっぱい倒れてんだけど』

『これ、ドラマの撮影じゃないの?』

『幸福善心党の広場での運動に父が参加していました。とても心配しています。見つけた方は私のアカウントまで連絡ください。どうかよろしくお願いします。顔写真を貼り付けます。本名は・・・』

スマホを閉じた。背中に冷たい汗が流れた。


アスカはテレビと手に持っていた赤い本を見比べ、生唾を飲み込んだ。

そして私の目を見た。

「今この本について詳しく説明している暇はない。ただ、この本はあのケダモノ達と大いに関係がある。お前が持っているんだ」

私はアスカに赤い本を押し付けられた。表紙には黒い小さな字で、『日記帳』と書かれてある。

私はアスカが息を荒くしているのに気づいた。デスクにあった水を渡す。きっと、私が来て色々話したから、疲れてしまったんだろう。

「兄ちゃん、もう寝てて。私、一度本部に戻って」

しかし私の声はアスカの怒鳴り声に阻まれる。アスカにこんな風に大声を浴びせかけられるのは初めてだった。

「そんな暇はない!お前は、あの老木のある場所に行け。幼い頃よく通っていた、あの森の側だ」

そう言われてすぐに思い出した。街で一番の、大きい木がある場所。

しかし、どうしてそんな場所に行くのだろう。そこに一体何があるというのだろう。私は戸惑い、アスカの苦しげな目を見つめた。

「そこに、お前の親友がいる」

アスカは目を閉じる。私は、思わず本を落としそうになった。

「マキが・・・?」

私の中で、燃え上がるように衝動が膨らんだ。ぎゅっと手の中の本を握り込んだ。

「アンズ、行け。あの木の元へ行くんだ・・・」

アスカは、とうとう何も話せなくなった。私は兄に柔らかい毛布をかけ、立ち上がる。

病室を出て、ロビーを横切って、扉をすり抜けた。空はのどかでも、私は走る。

マキに会いたい。

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