・第27話 ダイジュ

 私達は腐りかけて倒れている木の幹に腰掛け、下の方に小さく見える街の景色を見下ろしていた。もうどれほどの時間こうしているのだろう。自分の体の色がゆっくりと薄まっていくのは私にもわかった。きっともう私は手遅れなのだ、と悟った。ただ、絶望も恐怖も感じない。今の私は、おばあさんの嘘のような話を冷静な頭で聞くことができている。なぜだろう。

「それは違う」

お婆さんは、私の心を読んだかのようにぴったりのタイミングで答えてきた。私はお婆さんの顔をまじまじと見つめた。

「…ねえ、お婆さん。あなたは誰なの?」

悪い人ではないように感じていた。ただ、引っかかる点が多すぎる。話もどこか幻想的で、現実離れしているし。

「だが、これが現実じゃ」

まただ。また私の心を読んだかのような相槌。

 私は今度は少し強い口調で尋ねる。

「お婆さんはいったいここで何をしているの?ご飯も食べないし眠りもしないけれど、もしかしておばあさんも私と同じで、もう生きてはいないの?」

左右の視界の端にチラチラ見え隠れしていた木々が、ざわざわと騒ぎ立てる。風が強くなる。急に先程の穏やかさがかき消される。まるで私の心が木々を操っているみたいだ。

 お婆さんはもうずっと作りものの微笑みを崩さない。

「・・・わしのことを知りたいのなら、この木について知る必要がある」

お婆さんは、私の右隣にあった、街で一番の大木を指差した。

半端なことでは傷さえつかないような、太く頼もしい幹と、その遥か上に艶のある深い緑の葉がいっぱいに茂っている。お婆さんは立ち上がり、その幹に片手で触れた。

「この子は、これからこの星を滅ぼす」

その声は掠れていた。言葉を絞り出すのを苦しんでいるようだった。

確かおばあさんは以前、『この子が復讐をする』と言っていた。

「地球を滅ぼすことが、復讐?」

お婆さんはゆっくりと頷く。

滅ぼす

滅びる

全く現実味がわかない。まだ夢の中にいるような感じだ。

私は小さな街並みを見下ろした。滅ぼされるということは、それら小さな家は一つ残らずなくなるということ。私の母も、父も、みんな、死ぬということだ。

なぜだろう、何も感じない。

 そう思った時、私の頭に一枚の葉っぱが落ちてきた。それに触れると、私はアンズのことを思いだした。


みんな死ぬということは、アンズも死ぬということだ。


急に、恐怖が胸に迫ってきた。息ができなくなる。頭が締め付けられる。

私は両手で頭を覆った。アンズの泣き顔が浮かんだ。絶望している顔も。

死にたくないと泣き叫んでいる顔も。

アンズにそんな顔はさせられない。アンズにはそんな感情は似合わない。

「その復讐、止められないかな」

私は汗をかきながら呟いていた。

「死んでほしくない人がいるの」


 その5分後、私は大木の幹に片手を突いて、念じていた。先程のお婆さんがしていたように。

それは、お婆さんが『あんたならこの木と話ができる』と言ったからだった。

私は目を瞑って心の中で語りかける。こんなこと無駄だとは思わないことにした。アンズのためだ。

「そのまま、念じ続けるんじゃ。自分は味方だと」

後ろでおばあさんの声がする。

私は深呼吸をして、心の中で強く強く伝えた。

『あなたが復讐をやめてくれるのなら、私はなんでもする』

そして、そう言った時。

幹がぱっくりと縦に割れ、私の片手がその中に吸い込まれそうになった。

「!!」

割れた先は紫で、まるで闇が広がっているような色だ。私は振り返ろうとした。しかしもう身体の半分は飲み込まれてしまっている。

こうなったらもうこの木を説得するしかない。私は腹を括った。

 しかしその直後、後ろからおばあさんの声が聞こえてしまった。

「・・・これで満足かい、ダイジュ」

お婆さんは、もうほとんど闇に吸い込まれてしまっている私の、背中に縋り付くように震える指で触れた。

全てが闇に吸い込まれた後も、その感触だけが妙に背中に焼き付いていた。


ーーーーーーーーーーーー


 幹の中に入ると空間があった。何もない、ただ白いだけの殺風景な部屋だ。

キョロキョロしていると、誰かがクスリと笑う声が響いてきた。

「やあ、やっと会えたね」

声の方に振り向くと、黒いベストを身につけた綺麗な姿が見えた。それはしゃがんでこちらの方を向いていた。ただ、その顔が人のものではなかった。言うなればクリスタルだ。少し細長く、角度によっていろんな色に見える宝石だった。

身体は人間のもので顔だけは宝石というその生き物は立ち上がる。私の二倍は身長があった。それは私に向けて一歩分を踏み出した。

すると・・・6mはあった差が一瞬でなくなった。私の目の前に奴の顔があった。

びっくりして後ずさると、それはまたもや愉快そうに笑うのだった。

「おやおや、驚かせてしまったみたいだ」

ありえない、まるで瞬間移動だ。

しかし私は平静を取り戻して、こう尋ねた。

「もしかしてあなたは、この木の中の・・・本体?」

笑い声が炸裂した。クリスタルが大爆笑しすぎて真っ赤になっている。

「ひひ、いひひひ、ああ、おかしい。本体だなんて、そんなあまりにも、軽率な言い方!」

それはなんと私が再び質問するまでの五分間、ずっと笑い続けていた。

「本体じゃないの?じゃあ、あなたは何なの」

なかなかうまく本題に入れないことにイラついてきて、私は眉を顰めた。

「ああ、すいませんすいません。自己紹介しないといけませんね。フェアじゃない」

それは、まだにやにや私の顔を見て(?)笑っている。

スタイルのいいほっそりした身体を折り曲げ、気取った態度でお辞儀をした。

「私のことは、ダイジュとお呼びください。マキ様」

私は面食らった。しかしここで引き下がっていてはいけない。

「ダイジュ、ね。それじゃあ単刀直入に言うわよ。地球を滅亡なんてさせないで」

ダイジュのクリスタルの色が黄色に変わった。

「おやおや、それはどうして?」

この時ばかりは少し怒りを感じた。

「たくさんの人が死ぬからよ」

「しかし、あなたはもう人間ではないのですよ?」

ダイジュは少しも悪びれることなく言ってのけた。私は頷く。そんなことはもうわかっていた。この地に来てから、自分の身体が薄まっていたから。

「私が人間でなくても、たくさんの人が死ぬのは辛い」

そう告げると、ダイジュは肩をすくめた。

「・・・いいでしょう。あなたが言うなら、私はやめましょう。しかし条件があります」

私は拍子抜けした。

まさか、こんなにあっさりとやめてもらえるとは想像もしていなかった。

「あなたに、魔法にかかっていただきたいのです」

ダイジュのクリスタルの色が紫に変わった。

「私の力を受け取り、その代わりここで私と一生共に生きることを約束してほしいのです」

ダイジュは、照れながら言う。

一生、ここでダイジュと共にいるだけで、地球の滅亡は塞げる。アンズが死なずに済む。

私の返事は、「ok」しかなかった。

しかし私は愚かだった。

世界がこれほど簡単なわけがなかったのだ。




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