第22話 それぞれの役目
これは、コトの幼い頃の記憶。
怖さがどうしようもない時は、この場所に来る。
コトは、絵に描いたような菜の花畑の中にいた。柔い風が頬をかすめ、そのまま向こうへ流れていく。
得体の知れない恐怖に心が支配されていく絶望を感じながら、長い長い夜をただ1人で過ごす。こうして風を感じていると、少し頭が冷静になる気がするのだ。
「一体、なにをこんなにも恐れているんだろう」
思いを口に出すと心が軽くなると言ったのは、誰だったか。
いまはその人間をぶん殴りたい。
もう春だというのに、白い息が口から漏れた。
今晩はかなりきついな、と思った矢先、コトは不思議な声を聞いた。
そして、一瞬だけ、誰かに触れられているような感触を身体中に感じた。
聞いたことがないのに、どうしてこの声を懐かしく感じるのだろう。
ナミにさえ知らせていない菜の花畑で、淡い紫色の空が太陽を運んでくる。
幻想的な世界の美しさにほっと息をつくと、再びあの声が聞こえた。外国語を聞いているような、感じたことのない波長だ。
「…だれ?」
声は、答えなかった。しかしその代わりに、朝の木漏れ日のようなぬくもった香りがした。
「誰かいるんですか?…あの」
コトは何度も呼びかけた。一面菜の花のこんな場所で、隠れるところがあるわけでもないのだ。姿を隠そうとしても無謀である。
コトは、軽く不気味に思いつつも、朝を知らせる鳥の鳴き声を聞いた。
「…学校行かないと」
光で前が見えない。真っ赤な太陽が体を包み、紫色の空と混ざって名画のような色合いを映していた。
その夜だった。
コトの中の得体の知れない恐怖が、ばったりと消えたのは。
ーーーーーーー
アスカは、じりじりしていた。
イブキとアンズからの連絡は、まだ来ない。
戦況は日に日に厳しくなる。幸福善心党の党員達の戦意は凄まじく、人数も多い。治安維持協会の重装備や武器が霞んで見えるほどだ。
国公認の治安維持協会が押されている。それは人々に脅威を与えた。
国から援助部隊が多数派遣され、ヘリコプターから催涙弾がこちらに届けられるようになった。
煙とガスの匂いが充満したこの街には、もはや一ヶ月前の平和はどこにもない。
住民達を避難させるのにも結構な時間がかかった。
その時間にも敵方は前へ前へと押し寄せてくる。
アスカは幸福善心党員達の攻撃を盾で防御しつつ、距離を詰めようとしていた。
周りに少しずつ怪我人が増えていき、後ろに下がっていく。
左右で守っていた二人の隊員の姿はもうない。
ナミはきっとここにはいない。強そうに振る舞っていても、本気で政治を良くしたいと思っているのではなく、ただ名声が欲しいだけだ。現地に赴いて仲間を激励しようだなんて思ってはいない。本部で丸くなっているとアスカは踏んだ。彼女は人一倍臆病だ。
だから、二人を本部に送り込んだのだが、もう少し色々と説明しておいた方が良かったのだろうか。
と今になって後悔するが、遅い。
二人、特にアンズにナミを説得してもらうしかない。
人の感情が読める隊員と、覚悟を決めた、党長の妹。
未来は二人にかかっている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます