第23話 炎の決別
アスカは思った。もうどれほどこうしているのだろう。
身体中が痛い。盾がだんだんとすり減っているのを感じる。
味方が減っていく。しかし一歩でも前に進むことしか道は残されていない。
突然、誰かに肩を掴まれた。
もう後ろにも敵がいるのかと思い、冷や汗が流れたが、それは一人の隊員だった。
凄まじい喧騒の中、隊員の言葉が所々だけ聞こえた。
「俺ー変わるー戻ー本部ーー下がーーれ」
隊員はアスカの盾を受け取った。
アスカは、隊員達をなんとか押しのけてゆっくりと戦場を離れていった。
そしてアスカは、ある場所へと走ることになった。
莫大な不安と恐怖を胸に。
ーーーーーーー
ハルは、小屋の中にいた。目の前で一匹の巨大な竜が、突風を吹きかけている。
「最後に言っておくが、本当にもういいんだな。どうなっても知らないぞ」
部屋の中に濁声が響いた。ハルは不適に笑った。
「どうせあなた達は、私を取り込んだ後で世界をめちゃめちゃに潰すんでしょう」
竜の目が赤くなった。口から炎が漏れている。
「…何度も言うが、お前はあるべき場所に帰るだけだ。私はお前と共になって森に帰り、お前は世界を守れる。お互いそれで幸せだろう」
ハルは荒んだ小屋の扉を閉めた。
「こっちこそ、何度でも言ってあげるわ」
竜が翼を広げ、風に足を取られそうになる。
「私は何があっても、誰かのさだめには屈しない」
そして、視界が熱と突風に包まれた。
ーーーーーーーー
アスカは走っていた。
耳の奥できんきん無機質な音が鳴っている。酸素が肺に刺さる。
ーー水瀬副会長から連絡があったーー
なんでだ。
ーーもしもしアスカ君、『ハル危篤、解決の日記。今すぐあの小屋へ』とは…一体なんのことか知らないが、あの人の考えだ。大事なことに違いない。君は今すぐその小屋とやらに行きなさいーー
本部で会長に伝えられた時、頭が真っ白になった。
一体、何が起こったというんだ。
息を切らしながら、ただハルのことを思った。
そしてやっとのことで小屋にたどり着いた時、もう、二人が初めて出会った少し荒びれた空き家ではなかった。それは、禍々しい美しさを称えて燃えていた。
轟音と共に柱が崩れ落ちていく。
アスカは、力が抜けて膝をついていた。声も出なかった。
「か…あす…こ…こ…」
その時か細い声が聞こえた。
アスカはハッとして辺りを見回す。人影はどこにもない。
そして、炎に包まれている小屋をもう一度見た。
「ここ…あす、か…」
ばちばちと散らす火花を腕で振り払いつつ、アスカは一気に近づいた。
ハルの緑の髪が一瞬見えた。
何がなんだかわからなくて、悔しくて涙が溢れてくる。
「ハル…!!!」
やっと絞り出した自分の声は、情けなく震えていた。
ハルが小屋の中で倒れている。その身体中が、崩れ始めている小屋の残骸に押さえつけられている。表情は見えない。隙間から見えるのは、小さな肩と、緑の髪だけだ。
緑は更に濃度を増し、もう黒に近いほどだった。
「アスカ、私ね、一度も染めたことないんだよ」
ハルの声は不気味なほど落ち着いている。
「だけど、どんどん緑になっていっちゃう髪が綺麗って言ってくれたのが、すごく嬉しかった」
そんなこと言ってくれたのはあなただけだったの。みんな私の顔を見ると、かわいそうしか言わなくて。
まさにこの小屋の前で、出会ったあの日を、ハルは思い出していた。その瞳に涙が滲んでいる。
アスカはハルの前にしゃがみ込む。
「な…に弱気なこと言ってるんだよ!待ってろ!絶対助けー」
「うん。ありがとう。もうその優しさが十分私を助けてくれたの」
ハルは、赤い本を隙間から差し出してきた。
「これは私達があのケダモノ達に唯一対抗できる武器。最後の手段」
それはアスカの掌に収まった。
「これで、ケダモノにされた人達を、みんなを…助けてあげて。今までありがとう」
言葉の語尾が微かに震えていて、アスカはなりふり構わず叫んでいた。
「何っ、最後みたいなこと言ってんだ!いいからここから出るぞ!話は後でたっぷりと聞いてやる!」
アスカはハルの肩を引き寄せようとした。
しかし瞬時に、大きな爆発音がした。ガラガラと木が落ちる音が奥から聞こえる。
「私、アスカが好き。大好き。今までありがとう。あなたがいたから生きてこられた。私の身体が消えてもずっと、大好きだから、だから…」
そして一瞬、流れ落ちる涙が隙間から見えた。
「私、笑ってバイバイするって決めてたの」
耳をつんざくような激しい業火と、鳴り止まない爆発音が、思考を鈍らせていく。
「ハ、ル…?」
アスカは幾度も幾度もハルの名を呼んだ。受け止められない現実から逃げるように何度も。
返事はとうとう返ってこなかった。
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