第十三話

 ぴたりと動きを止めたそれは、ぎこちなく首を動かした。それはまるで、優造さんと取り憑いたそれの歯車が、うまくかみ合っていないように見えた。


「ナニヲフザケタコトヲッ」


 なおも憤怒を撒き散らすそれは、わなわなと体を震わせて叫んだ。 

 これでも人が全く集まってこないのは、瘴気しょうきとやらのせいなのだろうか。モワモワと漂う黒い煙のようなものは、一層濃くなり視界を悪くさせていく。そのうえ、しばしば息苦しさを感じさせるものだからたちが悪い。


「あなたは、取り憑いている方を誰かと重ね、恨んでいるのでしょう?」

「……ッ」


 もうほとんど獣と区別がつかなくなっているそれは、美津さんの言葉にぐっと息が詰まったような表情を浮かべた。どうやら図星だったようだ。すると、自我をめっきり失ったそれが、一瞬だけ輪郭を垣間見せた。優造さんの残像のように、やつれた女が見えた。

 それはどこまでもこの世をあきらめているかのような瞳を浮かべていた。何かを嘆き憂い、ともにひどく切望している瞳だ。


「私はどこにも属していませんが、伝手だけはたくさんあるんです。だから、貴方の

 ことも容易に知ることができました。あなたが、どのような運命をたどったのかと

 か、……」

「ソレイジョウ、イワナイデッ‼」


 美津さんが語るたびに、優造さんの皮をかぶったそれは顔を青ざめさせた。そして、ついに叫んだ。それは洞窟にこだまする猛獣の慟哭どうこくのようで、思わず耳をふさいでしまった。

 しかし、美津さんにとっては好機だった。

 美津さんは優造さんと距離を詰め、呪文のようなうなりを二、三言つぶやいた。そして、その心臓部に手を当て黒い物体をひっつかんだ。暴れる優造さんの身体をハルジオンさんと、聊斎リョウサイさんが押さえる。

 そして、美津さんは黒い物体を力の限りに優造さんの身体から引きずり出した。ずぶずぶ、ぐちゃぐちゃと鳴るさまは、さながらはらわたを引きずり出すシーンがあるスプラッタ映画のようだった。


「うっ……」


 誰からともなくそんな呻きが上がった。

 それは、黒い物体の全貌があまりにもグロテスクだったからだ。聊斎さんも、同じ姿をしているのだろうか。黒い獣とも人とも取れない何かが、ギザギザの歯の並ぶ口を開けて吠えていた。体中に複数の目が生えて、ぎょろぎょろと動いている。質のように鋭い角も三本生えていた。漂ってくる匂いは鼻をくような腐臭、鳴き声は耳をふさいでも顔をしかめかねない怪音波のようだった。


「嬢、あれは道から外れかねん。瘴気に呑まれている」

「えぇ、その前に対処しましょう」


 美津さんは聊斎さんの言葉にうなずいて、ポケットから小さな二つ折りの紙を取り出した。真っ黒けで不気味ななにかはそれに戦慄するようにカッと目を見開き、じりじりと後ずさった。

 美津さんはそれを見逃さず、長方形の紙を開いた。

 その紙はお札のように見えた。美津さんが文字に触れると、血液が流れていくように美津さんが触れた部分から淡い光を放っていた。そして、お札一枚の描かれた文字や線がすべて光ると美津さんは小さく口を動かして、それに素早く投げつけた。


「手荒ですが、少し頭をお冷やし下さい」


 美津さんがそういうと同時に、真っ黒なそれはお札に吸い込まれていった。薄っぺらな紙に収容できるスペースなどない気もしたが、ひらひらと宙を舞うお札には、先ほどまで描かれていなかった鬼の模様がついていた。あの模様が、お札に封じられただったのだろう。


隠岐おきくん、さかえくん、遊佐ゆささん大丈夫ですか?」

 

 ひらひらと地面に落ちたお札を拾い上げ、美津さんが振り向いた。俺たちはすっかり薄れた正気に唖然としながら、各々頷いた。遊佐さんはハインリヒに起こされ、祭先輩と俺は近くにいたので支え合って立ち上がった。


「殴られたところは大丈夫そうですか」

「う、うん、何とか……」

「私も大丈夫そうです」

「俺も、もう平気」


 とはいえ、心配なのは美津さんである。

 彼女は唯一顔を殴られた。振り向きざまに見えた顔には、聊斎さんとハルジオンさんが顔を青くしたのもうなずけるくらい、綺麗な青あざがあった。そりゃあ、成人男性の目いっぱいのこぶしで、何の被害もない方がおかしい。だが、これはさすがにひどいと感じた。

 

みぞれっ、殴られたとこが」


 祭先輩がよたよたと、まだおぼつかない足取りで駆けていく。

 いまいちピンとしていない美津さんに、頬を指さして教える。すると、美津さんは「そんなことですか」と、からからと笑った。


「ごめんね霙ぇ。おじいちゃんがっ……」


 祭先輩がシュンと肩を落とした。美津さんは気にしていないと言いつつ、そんなに青あざが目立つのかと聞いてくる。俺たちは彼女からさっと目をそらし、何とも言えない渋い顔をそろって浮かべた。

 そして、美津さんに傷を残した当の本人に視線を向けた。

 お札と、道端で気を失っている優造さんを交互に。優造さんはまるで魂でも抜けたかのように白目をむき、泡を吹いていた。


「美津さん、優造さん大丈夫か……?」

「大丈夫です、気を失っているだけなので」


 美津さんは彼の目の前にしゃがみ込んで、脈をとる。そして、再度「大丈夫です」と微笑んだ。彼の過去の行為を知り、鬼に取り憑かれていたとはいえ頬を殴られたにもかかわらず、美津さんはけろりと「喫茶店で介抱しましょう」と言い放った。

 

「介抱って、嬢、鬼が抜けたとはいえ何をするかわかったものじゃないぞ」


 聊斎さんが諭すように言うも、美津さんは首を振った。


「教会はおそらく、瘴気が濃いでしょう。本職の方を呼んで、結界を張りなおしても

 らうまで危険です」

「本職って……」

「陰陽寮の知り合いに、枢機卿すうききょうだった方がいるんです」


 美津さんはスマートフォンで英語ではない外国語のメールを打って、送信していた。美津さんの言葉に身を固まらせたのは、遊佐さんとハインリヒ、それからハルジオンさんだった。

 ハルジオンさんは美津さんにしがみつく。


「ふざけるなっ‼」


 そして、そう叫んだ。

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