第十二話
夜の街を大勢で歩くのは二度目だ。
俺たち――俺と、美津さん、
「あの、
美津さんの隣を歩く遊佐さんが、声を発した。
「あー、それですか」
「もしかして、金銭の話になるんでしょうか?」
遊佐さんの質問に、美津さんがピタリと一瞬だけ歩を止めた。それから、「ふっ」と小さく吹き出した。
「いや、金銭は問題が増えるのでないですね、……私の場合は」
ぼそりと、美津さんが最後につぶやいた。
「では、何か私に差し出せるものはありますか?」
「……んー、じゃあ七月の七夕祭の準備、人手が足りないらしいので手伝ってもらっ
ても良いですか?」
「え、それだけでいいのですか?」
美津さんは相当悩んだらしい。
遊佐さんが問いかけて三十秒後ほどに答えを出した。遊佐さんはきょとんとしていた。逆にハルジオンさんはため息をついていた、聊斎さんも。
「ミゾレ様、それだけだと見合わない気が……」
「そうだぞ、お前は甘すぎる」
「そうさなぁ、毎回毎回」
ハインリヒでさえも信じられないと言ったふうに美津さんに詰め寄っていた。
「いやぁ、私はどこかに属しているわけでもないので、そういう誓約が緩いんです
よ。それに、困っているわけでもないし、物理的な対価は増えると困るんですよ」
美津さんは三人のため息を受けて、はは、と苦笑を浮かべる。
「なので、物質に頼らない対価が良いんです。神様や悪魔や天使、吸血鬼様はもっと
も命の根源を対価にしますが、私は人間なので。とはいえ、バイトも必要なほど店
も困っていません。だから、それで十分かと……。七夕祭の準備は結構重労働です
し」
困ったようにまくしたて、美津さんがそう言った。そうすると、ハインリヒもハルジオンさんも聊斎さんもあきらめたような表情をした。すると、祭先輩が唐突に手を挙げた。
「なら、僕もやる」
「え」
ほとんど全員が同じように声を上げた。
「僕のおじいちゃんの問題だし、僕にも責任があるでしょ。それに、晴斗にも悪いじ
ゃん……」
「
「晴斗に、っていうか……、晴斗のママにさ……、なんかうまく言えないけど」
祭先輩は上げた手をゆるゆると引っ込め、眉を下げた。すると、遊佐さんが俯いた祭先輩の頭を優しく撫でた。優しいまなざしに、少しだけ悲しみが浮かんでいるような気がした。
「私は主を信じます。母は、きっと間違っていないかったと、彼女がいつか救われる
のだと……。遊佐晴斗は、自らの父親を少しだけ赦せません。でも、それ以上に私
を案じてくださった方々がいる。それだけで、充足しているのです」
遊佐さんは胸の前で手を組んで、柔和な笑みを浮かべる。それを見て、ハインリヒがどこか満たされたような表情をしていたのを、遊佐さんは知らないだろう。彼の瞳はどこか親のような優しさと強さを宿していた。
しかし、教会の近くまで足を踏み入れると、皆がこの空気の異様さに気が付いた。
教会付近が、
「ふぅ……、ずいぶんと
美津さんが目を凝らしながら、路地を見やっている。
「瘴気?」
「簡単に言うと淀んだ負の空気ですかね。熱病を生む風土を意味しますけど、今回ば
かりは霊的なものです」
首を傾げた俺に説明をして、美津さんは困ったように笑った。ハルジオンさんと聊斎さんが、彼女の視線の先にいた。彼らは小さく咳き込みながら、ゆらゆらと煙を上げていた。同様にハインリヒは頭を抱えている。
三者三様に唸り、音を立てて姿を変えていく。
ハルジオンさんは、メドゥーサのように髪の毛が八つの蛇の頭になって。聊斎さんは、細長い角と鋭い牙を生やしている。ハインリヒは大きな白い翼を露にし、いつもより少しだけ背丈が伸びていた。
「そして、瘴気は視えない存在の本性を少しだけ露にするのです」
美津さんの後付けに、祭先輩や遊佐さんは息をのんだ。
「ホントに、人間じゃなかった……」
祭先輩のつぶやきに、ハルジオンさんが鼻息をついた。当然だ、と言わんばかりに。――まぁ、ハルジオンさんと聊斎さんは身体的特徴をちゃんと目にしていないかったから実感は出来なかったのだろう。
―――ぐるるるるっ
しかし、歓談もできなかった。
どこからともなく、獣の唸り声のようなものが聞こえてきた。俺たちは足を止めて、きょろきょろとあたりを見回した。すると、曲がり角から黒い影が飛び出してくる。
――ガルルルッ
それは、変わり果てた姿の優造さんだった。すでに自我など捨てたように、よだれをたらし白目をむいた姿は、今ともにいる聊斎さんやハルジオンさんよりも化け物のようだった。
「彼の身体をお返しいただけないでしょうか?」
美津さんは、それでも臆することなくそれに話しかけた。
ゆらりと、優造さんの足元の影が揺れた。いやだと、拒否しているように見えた。しかし、美津さんは表情を変えずにいた。
「あなたの約束は、それごときで叶いませんよ」
「ウルザイッ――」
優造さんの声と、他に何かノイズがかかっていた。
「それとも、その方に憑けば充足できたとでもぬかしますか?」
美津さんは腕を組み、獣のように構えるそれに問いかける。しかし、優造さんに憑りついたそれは気に食わなかったようだった。肉食獣のように吠えて、突進してくる。それは美津さんに矛先が向いていた。かばおうと手を伸ばすも、遅かった。それは美津さんの頬を一度殴り、道の端へ吹き飛ばした。ドゴンと派手な音が鳴った。
そして、それは俺、遊佐さん、祭先輩の順に襲い掛かってきた。
あくまでも俺たちは腹にだけ気を喰らった。
「ダマレッ、ダマレッ、コレデナクテハ死ンデシマウノダッ‼」
優造さんに憑いたそれはそう叫んだ。
「ほう。惨めだな、同族ゆえんに同情してやろうと思ったが、そんな気も起らなん
だ。貴様、……
その前に、聊斎さんが立ちはだかった。
その表情は普段の穏やかなものとは思えないほど、歪んでいた。ミシミシと音が鳴りそうなくらい怒りにひきつった表情に、それもやや怯んだようだった。それはハルジオンさんも同じであった。
「お二人とも、これくらい些細なことです」
それを止めに入るように、美津さんが叫ぶ。しかし、二人はそれほどでは止まらないようだった。
「嫁入り前の娘の顔に傷をつけることが些細? 冗談ぬかすなよ」
もう誰に怒っているかわからない。聊斎さんは深い緑の瞳を光らせて、ギラギラと唇の下で刃を光らせた。
「これくらいすぐ治りますから……。とりあえず、冷静になってください」
「……次はないぞ」
美津さんが彼らの袖を引く。聊斎さんとハルジオンさんは、まだ怒り冷めやらぬ表情を浮かべてはいたが、どうにも美津さんには弱いらしい。彼女をいたわるように言葉をかけている。俺は優造さんに腹を殴られた衝動であちこちがしびれ、まだ立ち上がれない。それは、祭先輩も遊佐さんも同じであった。
「ヴウ……、オマエノゼイデ」
それはまだ唸っていた。
ゆらゆらとうつろな瞳で、体を不規則に揺らしている。それはまるで糸から垂れた人形のようだった。
「あなたの恨みは、彼に向けたものじゃないでしょう?」
美津さんが通る声で問いかける。
すると、優造さんに取り憑いている何かは動きを止めた。ピタリと。あまりにも唐突に。
それが不気味に思えて、ゾッと背筋を伝うものがあった。
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