第七話

 放課後、美津さんのいる喫茶店に来てみると、先客がいた。美津さんが「いらっしゃいませ」と迎えてくれるが、その先客に視線がいった。クラシック音楽のレコードが鳴る、閑散とした喫茶店には遊佐ゆささんがいた。

 俺はカウンター席に座る彼に少し会釈して、同じくカウンター席に座った。

 とりあえず、カフェモカとチョコレートケーキを注文する。美津さんは微笑んで「待っていてください」とキッチンの方へ駆けて行った。

 しばらくすると、美津さんは注文した品を手に戻ってきた。手際がいいのだろう。

 そして、彼女が戻ってくるのを待っていたかのように、遊佐さんが口を開いた。


みぞれさん、少しお話良いでしょうか?」


 彼はおずおずと切り出した。それから、俺に視線をやり、美津さんが頷いたのを見てまた口を開く。


「先日、神父様のご様子を見に来られたでしょう? 霙さんには何が視えましたか」


 探るような口調に、俺は内心ひやりとした。しかし、美津さんは目を細め、じっと遊佐さんの真意を測ろうとしている。


「それは、遊佐さんにも何かが見えたような口ぶりに聞こえますが?」

 

 美津さんは遊佐さんが頼んでいたであろうソイラテを手渡し、やんわりと微笑んだ。すると、遊佐さんは思い当たる節があったのか、きゅっと眉根を寄せた。それから、ソイラテを一口飲み、目を伏せて頷いた。

 まさか何かが見えたと頷かれると思わなかった俺は、美津さんと視線を合わせた。


「昨日、神父様の容態を見に行った時、何やら黒いもやが見えたのです」

「黒い靄……、実体までは見えていなかったようですね」

「も、申し訳ありません! 僕がハルトをしっかり護っていれば、あのようなも

 の……」

 

 美津さんが「ふむ」と頷いていると、遊佐さんの守護天使・ハインリヒが何度も頭を下げていた。この状態だと、視えていない遊佐さんを挟んで会話をするわけにもいかない。しかし、それを凝視していた俺を見て、遊佐さんが首を傾げた。


「何か視えるのですか?」

「あっ、いえ。何にも……」


 俺はハインリヒから迅速に視線を外し、カフェモカに口をつける。普段だと甘く感じられるが、緊張で味が分からない。


「霙さんにも視えていますか?」


 しかし、俺が首を振ったのではあきらめきれず、美津さんに矛先が向く。美津さんは渋い顔をしながら、少しおどおどしているハインリヒを見て頷いた。それから、「悪いものではないですよ」と付け足す。しかし、それでも、己に何か取り憑いていると聞かされて不安になるのが普通。

 遊佐さんは自分の後ろを振り返り、不安そうな表情を浮かべた。


「な、何も見えませんが……」

「ふむ、当然ですね」


 美津さんは振り向いた遊佐さんに、頷いて返した。それから、「失礼」と一言断って、彼の両目を掌で覆い隠した。覆い隠すこと約三秒。美津さんは華奢な手のひらを遊佐さんの目元から剥がし、再び後ろを向くように促した。

 遊佐さんは美津さんに言われた通り振り向き、一人の美少年に視線を留める。

 それはまごうことなくハインリヒをとらえていた。


「み、霙さん、この宙を浮く少年はいったい何です?」

「あなたの守護天使ですね」

「私の? 守護……?」


 突如として自らの背後に現れたように見えたであろうハインリヒの姿に、遊佐さんは目をむき動揺している。俺は、美津さんの方を見て何をしたのか問いかけると、美津さんは軽く微笑んだだけだった。

 

「あ、ぇ、ミゾレ様、あのこれはいったいどういう……」


 そして、目が合ったハインリヒも同様に混乱している。

 美津さんはハインリヒにも座るように視線で促して、笑みを浮かべる。


「とりあえず、彼が視えれば、黒い靄の話も円滑に進むんですよ。少なからず、守護

 天使が見えたところで損も得もないですから」

「本物なのですか?」


 遊佐さんは隣におずおずと腰かけるハインリヒに視線をやり、問いかける。美津さんとハインリヒは同時にうなずく。すると、遊佐さんの視線が俺の方にも向く。有無を言わせない瞳から逃げられる気がせず、俺もうなずいた。遊佐さんはぽかんとして、再びハインリヒに視線をやる。


「初めまして、ハルト。僕はハインリヒと申します」


 ハインリヒはすっと背を伸ばし、遊佐さんにぺこりと頭を下げた。


「あ、そうだね。私は遊佐晴斗はると。君は名前を知っていたようですけれど」

「はい、ずっと守護をしてきたのですから当然です」


 自己紹介をする遊佐さんに、ハインリヒは幸せそうな表情を浮かべた。今にも泣きそうな表情を浮かべて、「へへ」と頬を掻いていた。

 美津さんはそんなハインリヒにアイスティーを差し出した。


「あ、ありがとうございます、ミゾレ様」


 ハインリヒは美津さんに小さく会釈して、グラスを受け取る。


「霙さん」

「はい、なんでしょうか」

「さっき、彼にも黒い靄の正体がわかるようなことを言いましたが、貴方にもわかる

 のですか? あと、そこの彼も」


 ハインリヒから美津さん、俺へと視線を順繰りに動かす遊佐さん。「そうですね」と美津さんが言う。とはいえ、俺には優造さんに憑いている縊鬼イツキが見えてはいなかった。正体を知ったのも、美津さんに説明をしてもらったからだ。

 その時と同様に、遊佐さんにも美津さんは説明をした。

 

「……それは」


 そして、遊佐さんの反応はあまり芳しくはなかった。

 やはり、目でとらえなければ信じられないのだろう。俺も、レイラさんを見るまで幽霊などの存在をあまり信じてはいなかった。しかし、今目の前にいるハインリヒがいる以上、「そんなものはいないだろう」と否定もできないだろう。

 俺はカフェモカを一口飲み、彼の次の言葉を待つ。


「私にも、何か協力できないのでしょうか? 到底信じられる話ではありませんが、

 神父様の今の状態では否定もできません。それに、そのような輩がいるのは許せま

 せん」


 胸元の十字架を握りしめ、遊佐さんは眉を寄せた。俺は、ロアさんやズザさんたちのような存在もいるのだと反論しようと思ったが、美津さんが視線で牽制してくる。まるでこれが当然の反応で、「仕方ない」とでもあきらめているような瞳だった。しかし、それを覆したのは意外にもハインリヒだった。


「ハルト、それは違います。彼らにも事情があります。たとえそれが異教の怪物だと

 しても、それを決めつけるのはあまりにも酷です」

「そうさなぁ、そこな子供の言うとおりだ」


 入口のベルがからからと鳴いて、喫茶店の扉が開かれる。入ってきたのは、カンカン帽をかぶり、彼岸花の模様の着物を着た青年――八百年は生きているらしい縊鬼の聊斎リョウサイさんだった。

 

「どなたですか」


 遊佐さんは聊斎さんを怪しむように、目をすがめた。

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