第六話

「視えても、さかえくんには無理です」


 美津さんが祭先輩の言葉を切り捨てた。祭先輩はカッと来たのか、椅子から音を立てて立ち上がった。


みぞれにはできたんでしょ⁉ なら、僕だってっ、んぐっ」


 まくしたてるように大口を開けて美津さんに詰め寄る祭先輩の口に、美津さんは何かを突っ込んだ。見る見るうちに祭先輩の顔は青ざめて、険しかった顔からすうっと温度が消えていく。そして、ぺたんと椅子に大人しく座った。


「なにこれぇ~、超まずいんだけどぉ」

「ははっ、当然です。兄の選んだ、サルミアッキですから」

「うげぇ、どうりで。って、なんでそんなの持ってるの⁉」


 美津さんの手には、黒と白のチェス柄の小さな箱。この中に、サルミアッキとやらが入っているのだろう。しかし、サルミアッキとは何だろうか。そう思っていると、美津さんに「おひとつ要りますか?」と言われ、俺は頷いた。


「北欧周辺の地域で馴染みのあるものです。これはサルミアッキキャンディですけ

 ど」


 美津さんに一粒手渡される。黒いひし形の飴粒を口に放り込み、祭先輩がなぜ大袈裟な反応をしたのか理解する。

 確かに、おいしいとはいえなかった。個人的になのだが、独特な苦みやら、ドロッとした甘さがある。口に含み続けれは続けるほど、独特な苦みが増していく。


「塩化アンモニアと、リコリスによるお菓子です。タイヤとかゴムの味とか例えられ

 る世界一まずいお菓子とも言われていますね。個人的には、嫌いではないですけど

 ね……」

「「え……?」」


 俺と祭先輩は声をそろえて、彼女を見た。味覚を疑うわけではないのだが、流石にこの味を好きになる気にはなれない。


「いや、北欧に知り合いがいるので、よく食べさせられるので慣れているだけという

 話なんですが……。それに、北欧では子供のころからのなじみ深い味ですから」

「えっ、霙、相変わらず交友関係ナゾすぎ……」


 祭先輩は衝撃的な味のする飴を口の中で転がしながら、ハッとする。


「いや、サルミアッキはどうでもいいんだよ! さっきのどういうこと、無理だっ

 て」


 俺も危うく忘れるところだった。

 そうだ。美津さんは、優造さんに取り憑いたものが、祭先輩に見えたとしても対処は無理だろうといったのだった。


「そういうものは、本職に任せるに限ります。でなければ、己の立ち位置を踏み外し

 かねず、人ならざるものになってしまいますから」

「だって、霙だって視えるんでしょ? 学校の幽霊の話も解決したって」

「……それは、私が生まれたときから彼らがそばにいるからです。それに、ある程度

 の耐性や技巧のための訓練が必要なんです。私は、それを経験してきたんです。で

 も、栄くんはそれができていない。付け焼刃の能力を持ったとしても、それ相応の

 対価をとられるんですから」


 美津さんはいつも通りのゆっくりとした口調で語った。


「対価、って……?」


 それに、祭先輩が食い入るように美津さんに顔をぐっと近づけた。美津さんはすっと身を引き、眉を下げる。


「例えば、少ないものだと金銭や物質的なもの。重いものだと、寿命や命、肉体その

 ものだったり、様々です。ただ、少なからず何か欠損が生まれるのは確かです。お

 すすめはしません」

「……だよね」


 警告じみた美津さんの言葉に、祭先輩は肩をすぼめた。すると、美津さんが複雑そうな表情をする。それから、自身のスマートフォンを懐から取り出し、何やら打ち込んでいた。


「……栄くん、この件なら私が何とかします」

「え、でもぉ……。さっき何かしら対価がって」

「対価は必要ないです。私が個人で首を突っ込んでいることなので」

 

 美津さんの説得に、祭先輩は納得がいかないようだった。せめて、力になりたいのだろう。とはいえ、祭先輩には優造さんに憑いているものの話をしていないのだ。それに、危険性のある事物に美津さんは俺たちを引き込みはしないだろう。

 しかし、眉を下げしょんぼりとしている祭先輩を不憫に思ったのか、美津さんは淡く微笑んだ。


「なら、しばらく優造さんの様子を見ていてくれませんか?」


 それを聞いた祭先輩は、首を傾げた。


「情報収集ですね。基本的には、変わった様子があったら報告で十分ですけど」

「それだけでいいの……?」


 不安そうに問いかける祭先輩に、美津さんは頷いた。

 すると、祭先輩は幾分か楽になったのか、「わかった」と頷いて教室を立ち去った。どうやら、生徒会の朝の業務の前に時間を作ってきたのだとか。時計を見て、ずいぶんと焦った様子で教室を出て行ってしまった。

 

「危険じゃないのか……?」


 俺は祭先輩の足音が聞こえなくなるのを待ってから、美津さんの顔を覗き込む。


「うーん、今回の縊鬼は格が高いわけではないので、栄くんに手を出せるほど優造さ

 んを操れないと思われます。なので、危険性は高くはないです」

「低くもない、と……」


 美津さんは神妙な顔をして頷いた。どうやら、縊鬼でも格の高い――聊斎さんのようなものは対象を操ることができるらしい。しかし、その数は多くはない。と、美津さんは説明をしてくれる。

 

「結界の穴を見つけたあたりから、まだ霊に近いのかもしれません」

「霊……?」

「はい。縊鬼は自殺者の霊を指し示しますから。とはいえ、聊斎さんの場合、700年

 以上生きているケースは稀です。特に、鬼は人に近しい存在ですから」


 美津さんの表情が少しだけ曇った。


「近しい……?」

「鬼は人の怨霊の慣れの果てでもありますから。とはいえ、悪いものばかりでないの

 は確かです。まぁ、人の負の感情を具現化したような人たちが多いですけど」


 困ったように美津さんは笑い、再びノートに書き込みを入れていく。

 を具現化させた存在、その言葉に取っ掛かりを覚えつつも彼女に聞く気にはなれなかった。少なからず、美津さんにとってそういう存在にも情があるのだろう。俺は、集中し始めた美津さんの横顔から視線をそらして、スマートフォンを取り出した。

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