第八話
そこで、今日はいったんお開きにしようと遊佐さんたちは教会の方へ戻ってしまった。
「嬢、わざわざ俺のことを伏せたのは、あの小僧が理由か?」
聊斎さんは頬杖をつき、残念そうにため息をついた。昨日対面した時も思ったのだが、彼は人間に近づきたくて仕方ないようだ。美津さんは聊斎さんの注文したエスプレッソコーヒーを淹れながら、ふうッとため息をついた。
「彼は一応聖職者なので、貴方はいい思い出がないでしょう?」
「……なるほどな。それは、すまなかったな」
「いいえ。……聊斎さん、つかぬことをお聞きしても?」
美津さんは淹れ終えたエスプレッソコーヒーを聊斎さんの前に差し出し、誰も来そうにないのを見て腰かける。聊斎さんは頷いで、「なんだ?」と首をかしげる。
「ハインリヒさんを知っていたでしょう?」
「えっ?」
思わず声をあげてしまった。
「そうだ。あの子供というよか、あの小僧の前の主だな」
しかし、聊斎さんはそんなことを気にも留めず、頷いた。退屈そうに頬杖していた手は、テーブルの上で組まれている。美津さんは「遊佐さんのお母上ですね」と聞くと、彼は「そうだな」と頷いた。
俺はなぜそんなことを知っているのだろうかと、美津さんに視線をやる。彼女は「祖父から聞いたんです」と教えてくれた。
「あぁ、あの娘が学生のときに出会った気がするな。あの娘はいろいろなものが視え
ていた」
聊斎さんは、コーヒーカップに視線を落とし懐かしむように言った。
「嬢の祖父もあの娘が俺たちのような存在が視えることを知っていた。あいつも、視
える側だったからな。とはいえ、嬢たちの場合は血筋だが、あの娘は違った」
俺は首をかしげる。不思議なものが視えることに血筋など、何とも不思議な表現だと。しかし、ロアさんたちをこの街に連れてきたのは美津さんの祖父だという。少なからず、そういうものがあってもおかしくはないのだろうか。
「まぁ、嬢の場合は母親が特殊だったからな」
「まぁ、そうですね……。とはいえ、遊佐さんのお母上は後天性だったということで
すか」
「後天性?」
聊斎さんの言葉に美津さんは表情を曇らせながらも続けた。自身の母親に関して触れてほしくはないといった感じだ。しかし、俺は美津さんの言葉に疑問を持ち、鸚鵡返しに聞き返した。美津さんは頷き、「
「まず不思議なものが視える人は、生まれつきの場合が多いですよ。七つまでは神の
子、と言われますし。まぁ、それが次第に見えなくなるのですが、希にその視力が
回復するケースがあるんですよ。――それを後天性と呼んでいます」
「美津さんが視えなくなっていないのが、血筋が理由……?」
「そうですね。私の家系の場合、受け継がれていない人の方が多いらしいですけど」
どうにもこれ以上踏み込むなという圧が語調に感じられた。俺は曖昧にうなずいて、カフェモカを飲み干す。
「まぁ、ただあの娘はあの守護天使も見えていた」
この会話を聞いていた聊斎さんが、強引にでも話を続けようとする。聞いてほしいといわんばかりに。
俺は手を付けていなかったチョコレートケーキをちまちま食べながら、その話に耳を傾ける。
「そして、あの娘はあの守護天使に息子を守らせるよう言いつけて、若くして死んだ
のだがな……。あの娘は、日常的に目が見えないようだった。いつも杖をついて、
俺たちのように人間に視えないものばかりが視える小娘だった。おそらく、視力を
失ってから認知できるようになったのだろうな」
聊斎さんは、「醜い姿の俺たちには好都合だった」とぼやく。
「そして、あの息子の父親の顔を、自分では知らないようだった。まだ、あの小僧が
乳児だったころ聞かされた話だ。俺も、人間の私生活を覗き見るほど悪趣味じゃな
いから、知りはしないが……。ただ、一度顔を見たような気がする……」
「……優造さんですか?」
誰だったかと、頭を抱える聊斎さんに美津さんが問いかけた。あまりにも予想からかけ離れた問いかけに、俺は驚愕して彼女をじっと見つめた。しかし、彼女はまだ話すなと視線で促してくる。俺は口をつぐみ、きょとんとしている聊斎さんを見た。
そして、彼はゆらりと頷いた。
「あの神父だ。そうだ。小僧は知らないらしかったが、あの神父は娘に子供ができた
と聞いて、あの娘を捨てた。自分には家庭があるから、と。あの娘は、ずっとその
悲しみを押さえつけていた。俺はよくその相談相手になった。あいつが憑かれたの
は、自業自得だ」
聊斎さんが悲しそうに微笑んだ。
チクリと、小さく胸が痛んだ。
「でも、嬢は止めるのだろう? あの神父を取り殺そうとしている憐れな奴のため
に」
「……あるいは、救いのない貴方のために」
美津さんが聊斎さんに同調するように、苦しそうなほほえみを浮かべた。
「美津さん」
俺が呼びかけると、美津さんは首を傾げた。
「俺も、手伝ってもいいかな?」
「……」
美津さんは少し目を見張りながら、俺を見つめた。なんとなく、今の彼女はどこ絵でも霞のように消えてしまいそうな気がした。
「手伝うよ。部活もないから、時間はたくさんあるし」
しかし、それを口に出すのはむず痒い気がした。
いまだに、遊佐さんの母親に関することは呑み込めないけれど、それでも彼女を一人にするのは危険な気がした。物理的な危険ではなく、彼女の心が儚く壊れてしまいそうな気がした。
「そうですね。それなら心強いです」
美津さんはそう言ってほほ笑んだ。
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