第十二話

 車に揺られながら、俺たちは喫茶店まで戻ってきた。というか、ハルジオンさんは車を運転することができたのだなという感慨が大きい。急に呼ばれた碧衣あおいや桜川先輩たちは時間も遅いということで帰ってしまった。この喫茶店にいるのは、俺と美津さんとハルジオンさん。それからユキチに化けていたズザさんとロアさん。ハルジオンさんは猫又たちの手当てのために、奥のスペースへこもっている。

 俺は美津さんと向かい合って、紅茶を飲んでいた。

 ズザさんは明るい安全な所へ来た安心感か、いまだ起きぬロアさんの隣で眠りこけている。

 

「なぁ、あの背守りの男は誰なんだ……?」


 やっと一息ついたところで、俺は美津さんに視線を向けた。

 美津さんはティーカップを置いて、幾度いくどか瞬きを繰り返した。


「彼は……」


 美津さんはテーブルを指先で数度叩いて、困ったように眉根を寄せた。


「知り合いぽく見えたけど……」

「知り合い……、そうなのかもしれないですね。少なくとも、良好な仲ではないです

 し、教えてもらった名前も本名じゃないでしょうから」

「……名前?」

「ええ、明らかに日本語なかったですけど……」


 あの男に名前があったのか――と思ったものの、むしろ名前のない人の方がいないだろう。ただ、俺がとしか認識していなかっただけだ。とはいえ、背守りの男は明らかに純日本人の容姿をしていた。日系人とは明らかに容姿が異なるのだから、美津さんが言う通り本名ではない可能性が高いのだろう。

 

「とはいえ、今回は雲隠れしたんでしょうね……」

「じゃあ、当分現れそうにはないってことか……。あのさ、アイツは陰陽師とかそう

 いう奴なのか?」


 独特な雰囲気とか、背守りの入った独特な柄の羽織とか、それだと言われても違和感はなかった。しかし、美津さんは首を振った。


「陰陽師だったが正しいです……。陰陽師は基本的に京都にある陰陽寮を古くから拠

 点として活動してるんですが、彼が所属している場所はその道理から外れているん

 です」

「……陰陽寮の道理から?」

「はい。そもそも陰陽寮は飛鳥時代から存在し、明治二年ほどに廃止されるまで続い

 ていた組織です。呪術で有名なところではあるんですけど、研究職の色が強い場所

 でもあります。天文学や占星術を生業としているんです……」

「なくなったのに、道理から外れているのか?」

「いえ、廃止になって直後秘密裏に決起したらしいんです。詳しい話は聞いたことは

 ないですけど、彼が所属している場所の方々はみな陰陽寮出身だったらしいの

 で……」


 陰陽師というのは妖怪退治とかそういうものをするとばかり思っていたが、少なくともそればかりではなかったらしい。


「彼らは陰陽師として非道理的な行動をし、罰されて追い出されたらしいです。理由

 は確か、情感の暗殺を謀ったから……と、表向きは言われてますねぇ」


 美津さんの口調がやや鋭くなり「それだけで、追い出される組織じゃないんですけどね……」と、皮肉気に口元だけの笑みを浮かべた。それから、美津さんは奥のソファで眠るロアさんとズザさんに視線を向けた。

 それから、少しだけ目を伏せてティーカップの中の残り僅かの紅茶を飲み干した。俺はその動作を見つめながら、ふっと小さく息をついた。


「ロアさん、素直じゃないですよね。縄張り争いをしてるから、自分の感情に決着が

 つかないでいるんですよ」


 美津さんが若干嬉しそうに俺にささやく。

 まるで子供の内緒話のように悪戯気な笑みに、少しだけ鼓動が速くなった気がした。――というか、やっぱりロアさんはそうだったのかと得心がいく。猫又狩りのことを話してくれた時、ズザさんを案ずる表情がどこかもどかしげだった。

 美津さんは最初ハナからお見通しらしい。


「幼い頃から、早く決着が付けばいいのにと思ってたんです。そうすれば、抗争もほ

 どほどになるかもしれないって」


 俺は失笑をもらす。愚痴めいたそれは、頷くほかなかった。美津さん曰く、ひどいときは道路標識が折れていたとかいうくらいだし。それをわざわざ気に掛ける彼女もだ。だって、頼まれてもいないはずのことを気にかけるのは、エネルギーを消費するから。

 俺は少しおかしくなり、小さな笑い声を抑えることができなかった。


「今、おかしいこと言いました?」


 美津さんは極めて不思議だという表情を隠しきれず、一周回って真顔だ。


「ははっ、いや……気にしないで」


 口元を掌で覆い、俺は必死にこれ以上笑わないようにと堪える。すると美津さんもつられたのか、「ふふっ」とかすかに笑い声をあげた。俺は美津さんが特に気を悪くしたわけではないと知り、少し安堵した。

 笑いも落ち着き、俺は紅茶を一口飲む。時間が経ったせいか、少しぬるくなっていたが紅茶の香りにホッとした。


「……ン」

 

 喫茶店の隅で、小さくうめくような声がした。

 俺たちはそろってそちらへ視線を向けた。すると、ゆうらりとロアさんが起き上がる。それから、自分がズザさんにもたれかかっていることに気が付いたのか、カッと瞠目していた。それから、自分の周りを彼はきょろきょろと見まわし、のちに頬を真っ赤に染めていた。

 

「ロアさん」

「ぁ……」


 ロアさんは美津さん声を聴き、ハッとして顔を青くした。


みぞれ嬢……」

「忠告はしましたよね?」


 ロアさんは美津さんの言葉にウッと詰まる。美津さんはにこりと笑みを浮かべて、ロアさんに歩み寄る。しかし、その笑顔は絶対零度の冷たさを誇っていた。ロアさんはたじろぎながらも、消え入りそうな声で謝り「ズザが帰らなくなるかもって……」と、子供がわがままを言うように唇を尖らせた。

 美津さんは呆れたように眉を下げ、ロアさんの前にしゃがみ込んだ。膝を抱えて、ロアさんを見上げてまた笑みを浮かべた。今度は安堵感を覚えるような笑みだった。


「ズザさんが心配なのはわかります。ですが、ロアさんは妖怪になる前からズザさん

 との付き合いです。少し考えれば、どういう対策が取れたのか分かったのではない

 ですか? 感情的になるなと、彼女にも言われているのでしょう……?」


 美津さんは諭すようにロアさんに言葉をかける。ロアさんは一瞬怒ったような表情

を浮かべたが、すぐさま言葉の意図を理解し、ぐっと口を引き結ぶ。それから、くしゃりと顔をゆがめた。


「俺、いつもそうだなっ……。ただの猫だった時から、感情的になり過ぎて周りが見

 えなくなっちまう……」


 ロアさんは両手を組み合わせ、いのつのるようにその手で顔を隠していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る