第十一話

 背守りの男は、不機嫌そうに眉を寄せた。その眉根には不機嫌さだけではなく、肌にまとわりつくような嫌な雰囲気があった。その瞳は、彼の獲物であったズザさんやロアさんには向けられず、ただ美津さん一人をとらえていた。背筋が思わず凍り付きそうな視線にも、彼女はひるまずにいた。

 

「相変わらず、妖怪をおのが味方と思っているのか?」


 咎めるような口調だった。彼の口元にはもう歪んだ笑みはなく、温度差のある冷たい表情のみだった。すると、美津さんは少し目を伏せて、背守りの男をじっと見据えつけた。


「あなた方は、相も変わらず分別のない人たちのようですね」

「……それは去年も聞いたな。だが、それは霙も同じだ。所詮害悪となりうる此奴ら

 に情けをかけてどうなるのかな?」


 美津さんは彼の言葉にわずかに肩を揺らした。


「害悪? なら、妖怪側からしたらあなた方なぞ、一番の害悪ではないです?」


 ぽたりと、タイミング悪く小屋の中で水滴が垂れる音がした。それも相まって、美津さんの言葉に身が凍った。今まで見たことのないくらい、静かに怒りをたたえている。ただ、妖怪や幽霊たちのためにささげられた怒りが立ち込めた。

 背守りの男はその言葉を直接受け、ぶるりと身震いをした。それから、ひどく興奮したように頬を赤く染めた。


「あははっ、うんうんそう来なくっちゃあ。あー、でもいいや」

「なにが、んです? 皆、貴方にお怒りだというのに」


 けらけらと笑う男。対照的に冷たく、凍り付いた笑みを貼り付けた美津さん。

 しかし、最も奇妙だったのは、部屋の隅に転げられた猫たちだった。虫の息だというのに、影のようにゆらゆらと揺れて鳴いている。それは、だんだんと大きくなっていく。か細い声が、慟哭どうこくのような嘆きへ。

 血まみれの猫たちは、立ち上がる。


「な、なぜ。しばらく起きないようにしているというのに」


 ここで初めて、背守りの男が動揺を見せた。

 すると、美津さんが首を傾げた。「それがなんだ」とでも言いそうな、子供のように無垢な表情だった。俺たちはただただ圧倒され、ロアさんを抱えているズザさんでさえ一歩も動けないようだった。

 すると、背守りの男は舌打ちをする。それから、背守りの縫い付けられた羽織をひるがえして、美津さんを睨み付ける。


「母のようになりたくなければ、早めに降参するべきだよ」


 そう言い残して、彼は煙のように消えた。

 何の痕跡も残さずに。

 小屋の中はしんと静まり返った。月の明かりがくすんだ窓から入ってくるだけで、猫たちも順々に再び糸が切れたように倒れ伏す。すると、外からバタバタと駆けてくる足音が聞こえた。おそらく一人だろう。

 また、背守りの男のような奴が着たらと思ったが、姿を見せたのは意外な人物だった。


「おい、お前らそこをどけ!」

 

 長い髪の毛を揺らし、その人は俺たちを押しのけた。それは、ハルジオンさんで激化で昼間は見えなかった瞳が、淡く鋭いコバルトグリーンに光り輝いている。それは彼の長い前髪が、後ろの方へ撫でつけられていたからだろう。


みぞれ、大丈夫か。気に当てられて、眩暈めまいはしないか?」

「あはは、前よりマシです。それより、ロアさんたちの手当てをお願いします」


 やっと一言発した美津さんはハルジオンさんに指示を出して、俺たちのいつ戸口へ歩いてきた。足取りは不安定で、頭を押さえて眉根を寄せている。俺は美津さんを支えた。桜川先輩も心配するように、美津さんの表情を覗き込んでいる。


「みっちゃん、大丈夫? さっきの消えた男ななんなのぉ?」


 桜川先輩は、美津さんを案じながらも、背守りの男に関することを問い詰める。そして、ずっと俯いていた美津さんの頬を両手で挟み持ち上げた。美津さんは苦しそうに目を伏せて、「教えることはできません」と頑なに首を振った。

 桜川先輩はそれを見て、少し苛立ったように眉根を寄せる。


「そもそも、今来たあの男もよ」

「俺がなんだ。用事がなければ、子供は家に帰れ」


 指をさされたハルジオンさんは振り向き、ふんと鼻息をつく。その言葉に、桜川先輩もさすがに言い返さずにはいられなかったようだった。


「子供? なら、この子だってそうでしょ。アンタが何か知らないけど、この子はア

 タシの幼馴染なの!」

「だからなんだ。俺は霙の母が幼い頃からの付き合いだが?」

「はぁ⁉ 戯言もほどほどにしときなさいよ。アンタ一体幾つなワケ⁉」


 そりが合わないらしい。桜川先輩とハルジオンさんが言い合いをしている。――というか、言い争う部分が違う気がする。しかし、ハルジオンさんのという言葉に取っ掛かりを覚える。なにか、俺たちが思うよりも、ずっと違う意味合いを持っているようだった。

 美津さんはそれを止めるように、ハルジオンさんに手を伸ばした。


「ハルジオン、ストップ。緊急の猫又を運ぶのが先です」


 ハルジオンさんはため息をつき、「そうだな」と頷く。


「霙、お前も手伝え。車で来たから、喫茶店の方まで運ぶぞ」

「はぁい。とりあえず、重傷の方たちからですかね」

「そうだな、応急処置を施してからだが。それから、そこの猫どものおさも何とか手

 伝え」


 猫たちの患部に包帯を巻いていきながら、ハルジオンさんはズザさんに視線をやる。「自分の仲間なのだから、自分でも何とかしろ」というニュアンスが含まれているような気がした。今まで蚊帳かやの外のような状態になっていたズザさんはハッとし、慌てたようにうなずいた。

 俺たちもできることはと考えたが、流石にガタが来たらしい。碧衣あおいが血のにおいが充満したこの空間に耐えかねて、ふらりと傾いだ。俺はそれを支え、外に出してやる。


「おい、平気か」

「う、ぅん。なんとか……」


 碧衣はせき込みながら、何度もうなずいた。しかし、慣れないものをずっと視界に入れ続け、その空気を吸い、そのにおいの中にいたのだ。これも当然の反応なのだろう。俺も、小屋から出てやっと一抹の安堵感がわいてきたくらいだ。

 それからしばらくして、桜川先輩も手を出してはいけないとでも思ったのか、小屋の外へ出てきた。

 俺は小屋の中を振り向く。中にはちょうど美津さんがくたりとしている猫に手当てを施しているのが見えた。その背中が少し遠く見えた。

 あの背守りの男へ向けていた美津さんの表情がふと頭によぎる。凍り付くようなあの表情は、本当にただの怒りだったのだろうか。

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