おわりに

 あの放課後から、レイラさんは美津さんの喫茶店にしばらく居候することになったと聞いた。

 それは、かつての持ち主の家が手放したものであったからだ。だから、それまで正規の持ち主が見つかるまで居候させるということだった。そのが何を意味するかはよく分からないが。


「隠岐くん、今日は日直ですよ」


 声をかけられハッとした。美津さんが俺の顔を覗き込み、苦笑している。俺は慌てて頷いた。


「隣の席どうしで担当するので、私も手伝いますよ」

「あぁ、うん」


 俺が頷くと、彼女は「ふふっ」と微笑んだ。


「あ、そうだ。レイラさんのことなんですけどね」


 彼女はそう切り出した。そういえばそれからレイラさんの近況を聞いていなかった。俺は少し心配な面もあったので、彼女の言葉に耳を傾ける。彼女は少し悪戯な笑みを浮かべて、俺の隣の席に座る。

 

「レイラさん、しばらく喫茶店の手伝いをしてくれることになったんです。ご両親の

 大好きなことを、少しでも覚えたいんだとか……」

「そっか」


 心配しなくても、彼女は十分に強かったらしい。彼女は「ほほえましいですよね」と笑みを浮かべて、日誌らしきものに書き込みをしていく。夕日に照らされた白い肌が、オレンジ色に反射している。

 揺れた髪の毛がキラキラとして、少しだけ見とれていた。

 

「あの」


 美津さんは、こちらを向いた。


「なに」


 こちらを向いた美津さんの瞳を見つめ返した。

 すると、彼女はふわりと頬を染め小さく言った。


「あの日、レイラさんに言葉をかけてくれてありがとうございました。……私、あの

 言葉があって彼女は救われたんですから」


 彼女はそれだけ伝えて、日誌に向き直った。

 俺は硬直した。それは違うと否定したくもあったが、彼女がそういうのならそのままにしておこう。その言葉の暖かさに浸っていると、ガラガラと大きな音を立てて教室の扉が開いた。

 オレンジの陽光にピンクの髪色を朱色に染めていた碧衣が、騒がしくも教室に飛び込んできた。


「あー、忘れた! 鞄!」

 

 間抜けだな。

 碧衣の叫びを聞きながら、俺はため息をついた。おそらく、鞄を教室に忘れたまま帰ろうとしていたのだろう。

 

「んお? みーたん、オキクン。今日、日直だもんね」

「ふふ、はい」


 美津さんはバタバタと走ってきた碧衣に失笑して、頷いた。


「なら、一緒に帰ろうよ。オレ、待つし。久々にみーたんとこの喫茶店に行きたい

 し☆」


 満面の笑みを浮かべてそう言う碧衣に呆れる。とはいえ、レイラさんの騒動が終わって一週間たった今、あれから一度も言っていなかった。家にいても、無性にあの喫茶店のことを思い出すから、行ってみてもいいかもしれない。

 

「俺は別にいいぞ」

「おっ、オキクン珍し~」

 

 日誌を書き終えたらしい美津さんは、「なら、早く帰りましょうか」と嬉しそうに微笑んで鞄に荷物を入れていた。

 それから、職員室に日誌を届け終え、喫茶店まで歩を並べて向かう。道路に植えられた桜は花弁が散って葉桜に変わっている。俺はそれを見上げて、ほほ笑んだ。しばらく立ち止まっていたのか、碧衣たちに声をかけられる。


「お~い、オキクン」

「隠岐くん、どうかしましたか?」


「いや、なんでもない」


 笑みを浮かべて待ってくれている二人が、不思議そうに顔を見合わせた。俺は心に充足を覚えながら、二人のもとへ駆け出した。



                   第一章 スコーンとミルクティー   完

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