第十四話

 調理室は、二年生のフロアの一つ上の階だ。俺と碧衣あおいは、レイラさんを案内しつつ適度な雑談をしていた。やはり、彼女の口から出てくるのは、「自分レイラ」のことではなく、「彼女レイラの両親」のことばかりだった。

 いつの間にか、調理室の前までに到着した。碧衣が話を盛り上げるのに率先していたから、レイラさんの大分思い詰めているような表情も消えていた。調理室からは甘い匂いが流れてきた。おそらく美津さんしかいないのか、特に話し声は聞こえない。


「お邪魔しま~す! みーたん、レイラちゃん連れてきたよぉ」

「あっ、はい。ありがとうございます」


 ガラガラと扉を開けて、碧衣が元気な声で叫ぶように言った。すると、中にいた美津さんは少しこの登場に驚いたらしく肩をびくりと揺らして、こちらに駆けてきた。すると、レイラさんは彼女の登場に驚いたようだった。


「あ、貴女が、わたくしを招いたのですの?」


 怪訝な表情をして、レイラさんは美津さんを見据えた。

 美津さんはあくまでも穏やかな表情で、こくりと頷いた。そして、ニコリと微笑む。


「はい、招待に応じてくださり誠に感謝しております。こちらへどうぞ」


 美津さんはレイラさんにそう言う。レイラさんは断ることができそうにないと感じたのか、ぎこちなく頷いて、美津さんに案内され椅子へと腰をおろした。俺たちも、美津さんに視線で促され椅子に座る。

 すると、それを確認して美津さんは俺たちにティーカップを持ってきた。計六つで、一人に二つのティーカップが行き渡った。そのどちらにも、見分けのつかないミルクティーが入っている。


「な、なんで一人二杯なんですの?」

「レイラさんなら、お分かりになるかと……」

「え?」


 動揺していたレイラさんは美津さんに問いかけたが、美津さんの返答は「あなたならわかる」の一点張りだった。

 レイラさんはこれ以上押し問答をしてはかなわないとい持ったのか、おずおずとみるティーに一口ずつ口を付けた。疑るようなその瞳は、ハッとしたように見開かれる。それから、レイラさんは美津さんをパッと見た。


「奥様はアッサムを、旦那様はディンブラをお好みになったとお聞きしております。

 ディンブラはミルクティーに向いた紅茶で、アッサムはロイヤルミルクティーによ

 く使われる茶葉です」

「えぇ、知ってるわ。毎日のように聞いていたもの」

「ミルクティーとロイヤルミルクティーは製法に違いがあります。茶葉をミルクで抽

 出するのがロイヤルミルクティーで、ミルクティーは紅茶にミルクを加えるもので

 す。ロイヤルミルクティーの方がより多くの茶葉を使うため、より濃厚なミルクテ

 ィーをお楽しみいただけます」


「ただ、お二方が好む茶葉はどちらもミルクティーに用いられます。まぁ、茶葉の楽

 しみ方が違ったのでしょう」


 美津さんの説明は、紅茶の素人である俺にとってもわかりやすいものだった。「お二人も、飲んでみてください」と、美津さんに勧められ俺もカップのミルクティーを少しづつ飲んでみる。入っているのは蜂蜜なのか、独特な風味はあるがあっさりとしていた。

 ただ、彼女が言うような風味の違いは、はっきりとは分からなかった。碧衣も少し首をかしげている。


「ん~、お茶の匂いは少し違うんだけどなぁ」

「ふふ、そこが分かれば十分ですよ。使う茶葉が違ったんですから」

「でも、これはわたくしにとって一時たりとも忘れたことはないものですわ」


 レイラさんはミルクティーの入ったカップを見つめながら、ふと悲しそうな表情を浮かべた。


「そうでしょうね。でも、あなたが探しているものはこれではない」

「ええ、そうよ。あの時、父上と母上はクリームがなくって……」


 お茶会ができなかったの、と悲痛な表情を浮かべてレイラさんは言った。

 美津さんはそれを見据えながら、レイラさんの目の前にお皿を置いた。その上には、三つほどゴロゴロとした焼き菓子と、小さな底の深いお皿が載せられていた。それから、可愛らしいスプーンも。

 レイラさんはそれを見て、ほろほろと涙をこぼした。


「あなたが両親と慕う夫婦は、お茶会をするにおいてスコーンだけは完璧であってほ

 しかった」

「えぇ、だから、あの日も、あの時も」


 レイラさんは顔を両手で覆った。


「2000年程も前から作られてきた伝統のクリームは、ご夫婦にとって大事な思い出

 なのだと思います。なにせ、彼らが出会うきっかけになったのですから」


 美津さんはレイラさんをいたわるように、優しく、ゆっくりと語りかける。レイラさんが泣きだしたのは、三つのスコーンと、小さなお皿に入っているジャムとマーガリンのような色をしたクリームを見てからだった。

 

「あなたが探していたのは、あの日お茶会でそろわなかったクロテッドクリーム。脂

 肪分の高い牛乳を、弱火で見つめ一晩経ったものの表面に固まった脂肪分を集めた

 ものです」

「でも、あの日は準備を忘れていたの」

「えぇ、でもすぐには準備のできないものだったから」


「お茶会はできなくて、その日は本当に運が悪くて父上も母上も、あんな炎を呑まれ

 て……」


 レイラさんは大事なことを思い出そうと、苦痛に表情をゆがめた。美津さんはそれを見つめながら、ふっと息を吐いた。それからレイラさんの背中に手を当てる。


「だから、わたくしは助けようって思ったの。でも、……でもっ、あの暗い部屋から出る

 ことができなくって、気づいた時にはもう誰もいなかった……」


 しくしくと嗚咽をもらし、レイラさんは嘆きをあげる。


「そうですね。でも、あなたは燃えることなく残れた」

「えっ?」


 美津さんの言葉に、レイラさんはよくわからないと思ったように疑問の声を上げた。俺にとっても、それは少し残酷とも取れた。しかし、美津さんはこう続けた。


「あなたの入っていた箱は、隅がやや煤けていました。おそらく、ご夫婦のどちらか

 が、せめてあなただけでもと、火が回りきる前に地下に移したのでしょう。それか

 ら、彼らは火を消そうと戻った……私はそう考えます」

「でも、それでも、わたくしはっ――!」

「”一緒に最後を迎えたかった”と、言いますか? 身を挺して守られた身を、粗末に

 する言動をなさるつもりで?」


 すっと、背筋が冷えた。

 美津さんの表情が、やけに冷たく憐れむようなものへと変わったからだ。しかし、それは三秒もせずにいつもの表情へと戻る。

 レイラさんは硬直して、口をつぐんだ。


「しかし、間違ってはいないんでしょうね。でも、それはきっと許されることではな

 い。きっと、あなたが燃え尽きたとしても魂は残り彷徨さまようことになる」


 レイラさんは、ぎゅうっと自らの胸元を握りしめた。きれいなレースやフリルが彩る洋服にしわが寄る。

 それから、何を思ったのか、お皿に乗っているスコーンの真っ二つに割る。それに、クロテッドクリームとジャムを載せた。美津さんはその動作を見てから、静かに目を伏せた。レイラさんは、スコーンに小さくかじりついた。ほろほろと、スコーンの欠片がお皿の上に落ちる。


「ねぇ、」


 レイラさんは、再び大きな瞳に涙を浮かべた。ガラス玉のような大きな粒が、今にも零れ落ちんばかりだ。


「ねぇ、なんであなたは、あなたはこんなことを思い出させますの⁉」


 ぼろぼろ、ぼろぼろと涙の粒は光に反射してキラキラ輝いて落ちる。 

 レイラさんは、美津さんをその涙で潤んだ瞳で見つめていた。美津さんは、ただじっと彼女の表情を見ていた。


「どうして、どうして――。わたくし、人形ですのに、父上も母上も毎日話しかけてくだ

 さったの。いつも、”おはよう”、”お休み””今日もいい天気ね”って……。人形だか

 ら、わたくしは人形なのに毎日話しかけるから嬉しかった。お茶会も、わたくしの分の紅茶

 もスコーンもケーキも準備されていましたのよ」


 両掌で顔を覆い、「だから、あの二人が大好きだった」と何度も何度も後悔の念と悲しみをにじませては、レイラさんは美津さんに縋るように言った。

 美津さんは伏せた目を開き、レイラさんの目の前に一つの箱を置いた。

 それは、土曜日にあの屋敷で見つけたフランス人形のガラスケースだった。中身も、レイラと刺繍された服を着たフランス人形が入っていた。レイラさんはそれを目にして、ガラスケースが壊れないようにそっと触れた。


「それが、貴女が確かな愛情をもって守られた証拠です。これが、貴女です」


 穏やかな笑みを浮かべ、美津さんはレイラさんの髪の毛を撫でた。

 レイラさんは美津さんの手に頬を寄せて、美津さんのぬくもりを確かめるように何度もその手を握っていた。

 俺と碧衣は一言も発せず、ただその光景を目に焼き付けていた。

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