第六話

「私、彼女のことで心当たりがあるんです」


 静かになった喫茶店の中に、美津みつさんの声が凛と響いた。俺と碧衣あおいは口に着けていたティーカップを口から離し、ポカンと彼女の方を見た。彼女は今、はっきりと「心当たりがある」と話した。それは理由もなく話されたせいか、どうにも頭の処理が追い付かなかった。

 

「それは、レイラちゃんの正体に心当たりがあるってこと~?」

「ええ、まぁ、そう言ったところです」


 首を傾げた碧衣に美津さんは頷く。

 すると、碧衣の瞳は輝いた。そうすれば、彼女の未練とかそう言ったものが解決できるのではと考えたのだろう。しかし、碧衣とは対照に美津さんの顔は曇った。


「なら、レイラちゃんの問題が解決できれば、みんな安心じゃね?」

「……はい、でも確証は持てないんです。解決したいのであれば、アクションを起こ

 すのはもう少し待ってくれませんか?」


 なら明日にでも、と提案してきそうな碧衣に美津さんはストップを出した。


「何か調べるのか……?」

「はい。実際、彼女と話す分に問題はないんですけど、彼女の問題に足を踏み入れる

 ことは今は憚られます……」

「……それは、俺たちに手伝えることはあるか?」


 問いかけた俺に、美津さんはううんとうなった。一度見てしまったものに、俺も落とし前を付けたいのだが難しいのだろうか。


「……リスクは高いんですけど、レイラさんに家族のことを聞いてきてもらえません

 か」


 「ならば」と、彼女が提案してきたのは「レイラの両親のこと」だった。リスクが高いというのは、フラフラついていくことによってどこか知らない場所へ連れていかれるかもしれないということを示しているらしい。しかし、なぜ「レイラの両親」についてなのだろうか。


「彼女は立ち去る際に”自分の両親が悲しんでしまう”、というようなことをつぶやい

 ていましたし、情報として大事なことなんだっと思います」

「ほー、怖くて聞いてなかった……。なら、オレも協力するよ~、みーたん」


 碧衣は意気揚々とそう言った。それから数分話して、俺たちは別れた。碧衣は商店街の反対に家があるらしく、店頭で別れる。

 帰り道、歩いているとスマートフォンの着信が鳴る。それはついさっき交換したばかりの碧衣のチャットアプリのアドレスからだった。「明日の放課後、部活終わったら集合ね!」だそうだ。あの後に意味の分からないスタンプが貼り付けられていたが、問いかけてみたところ本当に意味のないスタンプだったらしい。再び着信音がしてスマートフォンを見下ろすと、美津さんは行けないのだということが分かった。グループチャットを組んでの会話だったが、少し嬉しい。

 

「それにしても、……レイラさんが幽霊なら他にも見えてもおかしくはない気がする

 んだよな……」


 夜の街道を見回し、彼女と同じようなものはないかとそうしてみたものの、やはりそれらしき幽霊はいない。そもそも、レイラさんが特別なのだろうか。

 考え込んでいると、家についた。珍しく、家には灯りがついていて家の前には車が止まっていた。まぎれもなく父のものだった。俺は玄関の扉のノブを握りしめ、ガチャリと開けた。


「た……、ただいま」

 

 そう言い開けると、目の前に父がいた。ハッとしたようにこちらを向いて、そっと微笑む。


「おう、おかえり左京。今日は早めに終わったんだ、一緒に飯でも食おう」

「……おう、親父、明日遅いんだろ」

「あっ、いやぁ、左京は勘がいいな……。遅いというか、数日家を空けることになる

 んだ」

「……出張か」


 脱いだ靴を並べながら聞く。すると父は「すまんな」と苦笑した。とはいえ、謝られるようなことではない。仕事なら仕方ないし、慣れ過ぎていた。すると、父は話題を変えるつもりか「転校した学校はどうか」と聞いてくる。

 転校するたびに聞かれるもので、辟易としてしまう。俺は「まあまあ大丈夫」とあいまいに答えて、夕飯も風呂も済ませて自室へ戻った。母親からの昨日のチャットの件は伏せておいた。引っ越ししてすぐの時期に父に見せて、気まずくなるのは避けたかったからだ。

  

ピロリン、ピロリン

 考えに耽っていると、着信音が鳴った。チャットのものにしては長く、どうしたものかとスマートフォンを見ると電話のほうの着信であった。かけてきたのは美津さんだった。


『あっ、もしもし、夜分遅くにごめんなさい、今話せますか?』

「あぁ、何かあったのか、美津さん……」


 電話越しに、ほっとしたようなため息が聞こえた。実際、電話越しの会話のせいか声はくぐもってよく聞き取ることはできなかったが。


「レイラさんのことで困ったことでもあったのか……?」

『いえ、そういうことではなく。明日、もし彼女に会うようなことがあって、名前を

 聞かれてもフルネームで答えないように忠告しておこうと思って……』

「……? どうしてだ」


 そう問いかけると、彼女は答えに悩むように唸る。

 それはまるで言葉を選んでいるようだった。それから十五秒もすると答えは返ってきた。


『もし彼女が幽霊ではなく、トマリさんたちのような妖怪だとすれば、名前を取られ

 る可能性が高いんです。保険をかけておこうと思って……』


 妖怪。その一言に変な悪寒がした。特に恐怖は感じていないのだが、彼女の言葉には経験が含まれているような気がした。とはいえ、美津さんはあの犬耳のトマリという人には名前が知られていたけれど。それは彼が美津さんに対して友好な存在であり、美津さんにも信頼されている相手だからだろう。


『本当は本名を明かしてはいけないんです。ただ、それは神様に対するもので、力の

 弱い妖怪はさっき言った対策で大丈夫ですよ……』

「わかった」

『あっ、明日の放課後会いに行くのに怖がらせてしまいましたか……?』


 彼女が心配そうに問いかけてくる声は、俺の了承の言葉に食い気味にかぶる。


「いや、怖くない……。むしろ、碧衣が叫んで人が駆けつけてくる方が怖いな」

『ふふっ、トーリくんは気合ばっちりだったんですけどね』


 それから数分話して、時計を見るとすでに夜の九時だった。彼女は電話が長引いたことを申し訳なさそうにしながら、「とりあえず、今日は切りますね」と言った。


『おやすみなさい隠岐君、良い夢を』


 その声にドキッとしつつも、「おやすみ」と返し電話を切った。

 その日の夜は、彼女のおまじないのような言葉が聞いたのか不思議とよく眠れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る