第5話 半人前
中間テストも間もなくだが、ルリエが怪我で休みだという。入院はしていないらしいが、突然のことで天莉は心配だった。せっかく一緒に勉強までしたのに。ルリエは普段でも休みがちなので、他の子は何の気にもしていないらしい。天莉はそれも悲しかった。沙夜もルリエのことを聞いて、心配しているように見えた。
「ねえ沙夜、ルリエのお見舞いに行かない?」
「うん……いいよ」
沙夜はルリエのことがあまり好きではないので、断られるかと思ったが、その返事を聞いて安心する。ただ、何かを悩んでいるように見える。
学校の印刷物を誰か届けてほしいというので、天莉が名乗り出た。住所はクラスに公開はされていないが、先生が教えてくれた。放課後に沙夜を連れて、ルリエの家に行った。
住宅街の、普通にある二階建ての一軒家だった。インターホンを押しても、しばらく誰も出なかった。
「留守かな……まさか」
その時。スピーカーから返事がした。天莉はスピーカーに向かって言う。
「牧田といいます。ルリエさんのクラスメイトで、学校の印刷物を届けに来ました」
『……天莉さん?』
その声はルリエ本人だった。
「うん、大丈夫? 沙夜も一緒にいるよ」
『今行く』
インターホンが切れ、しばらくしてドアが開いた。ルリエは部屋着姿だったが、半袖で、左の二の腕に包帯が巻かれていた。
「その腕、どうしたの?」
天莉が訊く。ルリエは少し間を空けて答えた。
「うん……自転車に、ぶつかった」
気のせいか、天莉には沙夜の顔色がさらに悪くなったように見える。
「わざと? 相手は?」
「私も、不注意だっだんだ。でも、もう大丈夫だよ」
ルリエは少し笑って言うが、楽そうじゃない。
「大丈夫ならいいけど……ねえ沙夜、気分でも悪いの?」
「ん……別に」
落ちついて言う沙夜は、いつもと同じようだったが、何かが違うと天莉は感じた。ただ、沙夜もルリエのことが心配なんだろうと思った。
天莉はカバンから印刷物を出した。
「これ、学校から」
「ありがとう……明日は、行けると思う」
「うん、待ってる」
そう言って、ルリエは家の中に戻っていった。帰り道を歩き、天莉はまた沙夜に言う。
「ねえ、沙夜顔色がよくないけど……」
沙夜は少し考えてから口を開いた。
「……じゃあ、言うけど、この間、敵の親玉と戦った」
「うん、やっつけたんだよね。すごいじゃない」
「女の子で……ルリエによく似てた」
天莉は一瞬まじめな顔になったが、すぐに笑いに変わった。
「そりゃないよ。あの子、そんなことできる子じゃない。偶然というか、見間違えじゃない?」
「だといいんだけど……大鎌の反対側で叩いたのも、確か左腕だった」
天莉は目を伏せた。聞きたくないことを聞かされている。
「あの子は今……一生懸命なんだよ」
「私の言うこと、信じられない?」
信じたくないけれど、沙夜もいいかげんなことを言う子じゃない。それに、仲が悪くなるのは嫌だ。
「そうじゃないけど……分からないよ。もしそんなことだったら……信じたくないよ」
天莉の声は震えていた。沙夜は、天莉の肩に手を乗せた。
「ごめん、私の見間違いかも。とにかく相手もこっちも飛んでるから一瞬で」
「そうだよ、そうだよね……」
自分でも意外なほど動揺してしまい、沙夜のことどころではなくなってしまった。むしろ沙夜の方が落ち着いている。
「天莉を困らせるつもりはなかった」
「うん……私は、みんなを信じたいんだよ……」
沙夜もそれを聞いてうなずいた。
「何だよう、俺だけ仲間外れにしやがって!」
則男はPCの画面に向かって悪態をついた。オンラインゲームでチームを組んでミッションに挑むはずが、いるはずの場所には誰もいなかった。こういう経験は初めてではない。
「くそっ! ここに来るのに、いくらつぎ込んだと思ってるんだ!」
則男はテーブルをバンバン叩く。髪には白いものが混じっている。顔には皺ができかかり、腹回りも膨れている。あまり大声も出せない。心配して母親が来る。会わなければいいが、ドアでも開けて顔を見ようものなら、腹が立って殴りかかってしまう。しかしその後で、父に倍ぐらい殴られる。そして罵られる。
「この出来損ないが! 半人前が! 仕事もせずいつまでも家に住みつきやがって!」
親も高齢だし、もう体力的には則男の方があるかもしれない。ただ、父は昔から恐ろしく、手出しができなかった。外に出るのも怖い。
則男はしきりにドアの方をうかがう。幸い誰も来ない。ふと窓の方を見ると、何かが飛んできた。小さな黒い鳥のようなもの。いや、コウモリだ。コウモリは開けた窓から入ってきて、そして少女に姿を変えた。黒い服の、かわいらしい少女だった。則男は急に怖くなる。こんな子がうちに来るはずがない。ただ、左の二の腕に包帯が巻かれているのが少し気になる。
「だ、だ、誰ですか?」
「私は、ネメシスの使者。あなたは、もうすぐ死ぬ」
則男は怯えたまま笑い声を上げる。
「死、死ぬわけないじゃん。俺、別に悪いところないし……まさか」
則男の顔が青ざめていく。
「まさか、殺されるのか?」
「分からない。でも、死ぬのは確か」
「嫌だよ、ふざけんなよ!」
そう言って則男は傍らにあった本を少女に投げつけた。少女はそれを手でかばう。
父の罵る声が、今にも聞こえるようだ。お前はいらない子だと何度も言われた。こんな少女に、傷をかきむしられるのは不愉快だ。
「出てけよ! 出て行け!」
「待って。それだけ怒っているなら、これを持ってみて」
少女は黒い石を差し出し、手に握らせた。
「何だこれは?」
「あなたに本当の力を与えるもの。あなたが持っているはずの力を」
則男は石を手に持つ。石から脈打つような熱いエネルギーが流れ込んできた。体が熱くなっていく。
「こ、こりゃすげえ、なんかすげえ……」
今まであれこれ腹を立てていたが、間違いではなかった。自分は正しかったんだ。体が限界のように熱くなると、今度は逆に、エネルギーが石の方に流れていく。
「あなたの怒りは、この世界に向かうべき」
「ああ、そうだ。そうに決まってるじゃん!」
ひさしぶりに、気分が高揚してくる。手の中の石が熱い。
「腹の立つことは、みんな世の中のせい!」
「分かってるさ。うまく生きてるヤツなんて、汚いヤツばかりだ! みんなで俺をバカにして、半人前とか好き勝手に言いやがって! バカはお前等なんだよ!」
「石を見せて」
則男は手を開く。黒い石の中が真っ赤に燃えているようだ。少女はうなずいて、叫んだ。
「アグニア、ゲノス!」
その時、空中に巨大な目と口が出現した。その周囲では、風が渦を巻いている。
『二人とも、来たぞっ!』
ドロンの声が聞こえるまでもなく、空には異変が起きていた。天莉が窓の外を見ると、雲が暗く渦を巻き、その中心に巨大な目が二つと、口が一つ見えていた。口の中は暗くはなかった。様々な色の光が入り乱れていて、見ていると気分が悪くなりそうだ。天莉は叫んだ。
「テュリスフィリア!」
赤いコスチュームに変身し、背中に翼が生えた。窓から飛び出し、羽ばたいて飛んでゆく。風が強い。巨大な二つの目が街を見下ろしているが、その目つきは憎しみに満ちている。今までになく危険な感じだ。異様な威圧感だ。早く何とかしないと危ないと天莉は思う。巨大な口も、光るの中から唾液を滴らせている。唾液も光っているようだ。
青いコスチュームの沙夜と、空中で合流した。
「あれ、なんかヤバそう……」
天莉がそう言うと、沙夜もうなずいた。
「とにかく窓を……」
沙夜がそう言わないうちに、いきなり巨大な口から声が響いた。
『お前は出来損ないだ! 半人前だ!』
いきなり心臓がつかまれるような衝撃に襲われ、二人とも飛ぶ力を失って落ちていく。
『この半人前! 人間の不良品が!』
二人は羽ばたいて、どうにか地面にぶつからずに地上に降りたが、立ってることもできそうもない。
「ねえ沙夜……」
そう言って沙夜を見た天莉は叫び声をあげた。沙夜の体の左半分が溶けかかっていた。
「どうなってるのそれ……」
そう言いつつも天莉も自分の体の右半分が溶けているのに気づく。片足では地面に立ってもいられず、倒れてしまう。もちろん、街じゅうの誰もがそうなっていて、左半分か右半分が溶けていて地面に倒れていた。
「天莉……体が……」
「沙夜……これは幻……だよ」
もちろん幻だ。本当に体の半分が溶けたら、たちまち死んでしまうはずだ。
しかし二人とも地面に倒れてしまった。
「うわははははっ!」
部屋の中で則男はけたたましく笑った。少女は一緒に喜ぶでもなく、怯えたような目で則男を見ている。
「愉快だ。痛快だ。みんな半人前だ。半人前のまま苦しめよ。俺はずっとずっと、こんな年になるまでそう言われてきたんだよ!」
今までになく生き生きと、目を輝かせて子供のようにはしゃぐ中年男は異様だった。
その時、部屋のドアを激しく叩く音がした。そしてその向こうで、男が怒鳴る声。
「則男! 何やっている! ここを開けるんだ!」
それを聞いた則男の顔色が一気に変わった。
「ひぁあっ!」
裏声のような、異様な声を上げ、怯えた顔でドアを見た。
「お、親父うるせえよ! 俺はな、も、もう怖くないんだよ!」
そう怒鳴るが、怖がっている声だった。
「いいから開けろ! この半人前が!」
「ふゃあっ! 俺は、もう、違うんだぞ。俺は、ちくしょう!」
そう言って、震えながらドアまで行き、鍵を外して一気にドアを開けた。父親が入ってきた。かなり高齢だったが、鍛えているのか体は引き締まっていた。則男は金切り声を上げながら飛びかかっていた。
「やめろ則男っ!」
「うるせえよっ! バカ野郎!」
則男は子供のように父親をめちゃくちゃに殴りつけ、足で何度も蹴った。あまりの反撃に父親も後ずさり、ドアの外まで追いやられた。則男はまだ追いかけて行き、階段まで追いつめると、そのまま父親を階段から蹴り落とした。父親はうめき声を上げながら階段を落ちていく。則男は陽気に笑って、部屋に戻って、元のようにドアの鍵を締めた。
「さあさあさあ続きをやるぞ」
少女は、部屋の隅で震えていた。アグニアを生み出すことは、自分と同じように、汚い世界を憎む力となるはずだったが、目の前の暴力はあまりに汚く、恐ろしかった。
則男は少女には目もくれない。再びアグニアの視点になり、遠くを見る目をして叫んだ。
「皆半人前だ! 苦しめ!」
そうして則男は高く笑った。
『この半人前! 半人前があっ!』
何度も何度もそんな声が響く。怖いというより、相手が何だか幼稚だという印象があって、左半分だけで倒れている天莉はだんだん腹が立ってきた。
「こんなことで……」
同じことを右半分の沙夜も考えているようで、二人の視線が合った。沙夜の目も怒っていた。
「ねえ、二人の体で一つになれるかな」
天莉が言うと、沙夜もうなずいた。
「幻ならできるかもね」
「半人前でも、二人合わせれば一人前だよ」
「やってみよう」
片手片足を使って、互いは近づいていく。体の切断面は内蔵でも見えるのかと思ったらそうでもない。暗くぼんやりしている。半人前という言葉だけで作られた幻だ。幻なら消えないのか。幻と分かっていても、アグニアの響く声が、自分にねじ込まれてくるようだ。
二人は体を合わせた。
「もう半人前じゃない!」
そう言うなり、気力が戻って、立ち上がった。左半分が赤いコスチューム、右半分が青いコスチューム、翼も左右で違う色だった。空を見上げる。巨大な二つの目が笑っているように浮かび、口も歪んだまま笑っているようだ。
翼を羽ばたかせ、アグニアに向かって飛び立つ。
「ドゥレパーニ!」
そう叫ぶと、手に大鎌が出現した。それを振り上げ、アグニアに向かっている。アグニアが気づいた。
「やいこの半人前が!」
「うるさい! 二人合わせれば一人前だ!」
「ふゃあっ!」
アグニアが妙な声を出して驚いた。口に接近して大鎌を振り下ろす。唇が切断され、吐くように中の光が下にこぼれ落ち、光は地面に当たって消えていく。
「ぐあああっ!」
アグニアが叫ぶなり、二人の体が離れた、幻が解け、一人一人に戻っている。それぞれに大鎌を手に、今度は目に向かって飛んでいく。
「やめろぉっ!」
「うるさいっ!」
二人同時に、大鎌を目に突き立てた。巨大な目に、三日月状の刃が深々と刺さる。
「ぎゃああああっ!」
則男がいきなり両目を押さえて叫んだ。
「やりやがった。あの虫けらが!」
「落ち着いて! 何もされてない! アグニアはあなたの幻よ!」
少女が必死に言う。
「うるさいな。やられちまったじゃねえか!」
「そう思いこんでいるだけだよ! しっかりしてよ!」
いちいち口答えする少女に腹を立て、則男は近くにあった本をつかんで少女に投げつけた。少女は慌ててしゃがんで体をかばう。則男は立ち上がると少女に近づき、足で蹴り上げた。少女は転倒するが、なおも丸まって体をかばった。則男は何度も少女を蹴る。
「あんな奴らが来るなんて、聞いてねえよ! なんで教えてくれなかった!」
また蹴ろうとするところ、少女は震えながら必死に口を開く。
「ま……窓が……窓が、見えるはず」
「何だって?」
「光る、窓が見えるから……その向こうを見て」
「見るとどうなるんだよ」
「あなたは……救われるよ」
その時、アグニアの視点になったらしい。則男は遠くを見る目つきになった。
「ほんとだ……窓が見える。二人の女の子が、出してる」
そして則男の表情が一気に変わって、穏やかになった。則男は微笑した。
「親父……本当は優しいんだ。やっぱり、やっぱりそうだよな。俺を、憎んでいるわけないじゃん。そうだったんだよな」
則男の目から、涙がこぼれ落ちている。
「俺が、生きているだけで、本当は幸せなんだよ。そうだろう?」
少女は体を起こした。蹴られたところが痛む。遠い目をして微笑む則男を見る。こうするつもりはなかった。でもこうなるようにしたのは自分だった。
その時、部屋のドアを激しく叩く音がした。
「則男、開けろ!」
父親の声だ。階段から蹴落とされたのに、戻ってきた。しかし、則男の穏やかな表情は変わらない。
「開けるよ親父……開けるとも。俺を受け入れてくれ」
則男はふらふらとドアに向かう。
少女は変身し、コウモリに姿を変えた。そして弱った翼で羽ばたき、窓から出て行った。
則男はドアを開けた。鬼の形相で、金属バットを持った父親がそこに立っていた。目を合わすなり、父親は金属バットを振り上げた。
外に出たコウモリは力なく飛び、公園に降り立ち、少女へと姿を変えた。
少女は突っ伏したまま、いつまでの泣き続けた。
ひどい顔色だったが、ルリエは中間テストを受けに学校に来た。包帯も増えているようで、先生も心配したが、ルリエは小さな声で大丈夫と言うだけだった。三時間あるテストの終了時間が来ると、ルリエは机にぐったりと突っ伏したまま動けなくなってしまった。先生の指示で、ルリエを保健室に連れて行くことになった。天莉の肩につかまり、ルリエが教室を出ていった。沙夜は二人を黙って見送った。
保健室で、ルリエはしばらくベッドで横になっていることにした。熱はないようだった。
「あまり無理しない方がいいよ」
天莉が言うと、ルリエは目を閉じたまま、かすかに首を横に振った。
「せっかく……一緒に、勉強したんだもの……無駄にできないよ」
その言葉に、天莉の胸は締めつけられた。思わずルリエの手を取り、両手で包む。
「嬉しいよ。でも無理しないで。体を壊しちゃ何もならない……」
天莉は握る手に力を込める。
「ねえ、天莉さん……」
「何?」
「人を憎んでいいと思う?」
「ええっ?」
唐突な質問に戸惑う。しかし、ルリエの包帯を見て血の気が引く。
「もしかして……それ、誰かにやられたの?」
「違う……」
「本当のことを言って。誰かにひどいことされたの?」
「これは違う……信じて。私が言いたいのは……よく、人を憎んではいけないって言うでしょう? それは、正しいことだと思う?」
天莉は去年のルリエのことも知っていた。自分自身もいじめられていた。心の中で、許しているわけはない。
「正しくないよ……辛い目に遭わされたら、憎むのは当然だよ」
「そうだよね……それで安心した」
ルリエは目を閉じたまま、かすかに微笑んだ。天莉はふと気にかかる。沙夜の言うように、ルリエがアグニアを生み出しているのなら。
「でも……憎んでも、何かを実行してはいけないと思う」
天莉がそう言うと、ルリエは目を開いて、少し驚いたように、天莉を見つめた。
「そうなの? 本当にそう思う?」
ルリエが切実なので、天莉も分からなくなってくる。今のルリエを否定したくない。ルリエは弱っていて、傷ついていて、そして自分を求めていることが分かる。
「自信は、ないけど……でも、憎み合うばかりだと、結局、ひどい目に遭うと思うよ。私は、ルリエがそんなことになるのは嫌だ」
「何もしないで、がまんしている方がいいの?」
「分からない……分からないけど……」
ルリエがアグニアと関係なかったら、自分はルリエをただ追いつめていることになる。
ルリエは再び目を閉じた。
「ありがとう……」
ただ、それだけを言った。
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