第3話 歯車
「あのさ、帰りにどこか寄っていかない? 何かおやつでも食べようかと思って」
昼休み、天莉はそう言ってルリエを誘った。ルリエは一瞬、驚いたような、怯えたような表情をしてから、上目遣いになって小さな声で答えた。
「いいの? 私がいて」
ルリエの視線は、時々離れたところにいる沙夜を見ている。
「うん。まだ沙夜には言ってないけど」
「……いいのかな」
ルリエは自信がなさそうだった。自信をつけさせてあげたい。
「大丈夫だよ」
天莉は笑顔で答え、沙夜の方を一瞬見たが、沙夜もこっちを見ていた。ただ、あまりいい顔はしていない。
「ちょっと待ってね」
そう言って、天莉は沙夜のところに行くと、今のことを話した。
「じゃあ、私は遠慮しとく」
沙夜は表情も変えず、そんなことを言う。
「なんで?」
その反応に、天莉はやや不満だ。
「なんで……って、あの子は生理的に好きじゃない」
天莉は怒鳴りたくなったが、ルリエに聞こえたらまずいので、小さい声になる。
「そんな言い方っでないでしょ」
天莉が本気で怒ってるのが分かったのか、沙夜は困った表情になった。先日、白い鳥のアグニアに襲われた時のような、言い合いなどしたくない。
「ごめん……ごめんなさい。言い方が悪かった。つまりね……なんか苦手なんだよ。どんな話していいか分からないし。だから勘弁して。悪いとは思ってる」
沙夜が意地悪をしたいわけではないのが分かって、天莉はうなずいた。
ルリエのところに戻る。
「沙夜は今日、予定があるから来れないって」
ルリエは黙ってうなずいた。
放課後に二人でファストフードの店に入って、スイーツと飲み物をオーダーしてボックス席に座った。ルリエは周囲を伺うように、何だか落ち着かない。その姿が、天莉にはおかしかった。
「何を気にしてるの?」
「あの……学校帰りに、こういうところに、寄り道していいのかなって……」
小さい声で真剣に言うルリエに、天莉は笑った。
「気にすることないよ。先生だってそんな暇じゃないんだから」
そう言うと、ルリエもかすかに笑った。小学校の時は、もっと笑う子だった。去年でそれが壊されてしまったようで悔しい。自分も似たようなものだけど、自分の場合、主に男子にあれこれ言われただけで、女子は味方をしてくれた。でもルリエの場合、男子も女子も敵だった。今のクラスは一見平和だけど、陰口もなくはない。そしてルリエはもう誰とも親しくならない。天莉はなるべく、明るい話をしようとした。
「そういえば、あの詩集、まだ読んでいるの? 面白い?」
以前、ルリエが駅前で詩人から買っていた詩集のことだ。ただ、それを聞いてルリエが急に緊張したのが分かって、天莉はその反応に驚く。ルリエはしばらく何も言わなかった。
「……あの詩人、死んだの」
「あ……そう、なんだ」
全然知らなかった。確かにそれでは、いきなり訊かれれば緊張する。
「でも、あなたが詩集買ってたの、ついこないだなのに……」
その後、白い鳥のアグニアと戦ったが、それは人々の記憶にはない。
「あの時、もうだいぶ弱ってた……生きていてほしかった」
「そうなんだ……そうだよね」
天莉は何気なく同意したが、その時、一瞬鋭い目でルリエににらみつけられた気がした。
「あなたは、何も知らないから」
「えっ、何のこと?」
「ごめん、あのう……あの詩人、いろいろ大変な目にあってて、私は……」
下を向いて独り言のように言うが、悲しんでいると言うより、怒りを秘めているように見えた。ルリエの体はかすかに震えていたが、一度深呼吸をして落ち着いた。そして、天莉に弱い微笑みを投げた。
「ごめん、違う話しようよ」
天莉もうなずいた。それからは学校のこととか、とりとめもない話をした。ルリエが一生懸命、天莉と話を続けようとしているのが分かった。少し緊張していたけれど、その姿は、自分にも似ていた。やはり誰か、話し相手がほしかったんだと思った。
しばらくして、ルリエがふいにそわそわし始めた。
「どうしたの?」
「あの、今、何時だろう……」
そして壁の時計を見るか見ないかのうちに、ルリエは慌てて立ち上がった。
「あの、ごめんなさい、もう行かないと……」
「そうなんだ、じゃあ行こう」
そう言って、天莉はテーブルの上を片づけ始めたが、ルリエは異様に慌てている。
「急いでいるならもう行って、片づけておくから」
「うん、ごめんなさい……ありがとう。また、明日」
そう言って、走るように出ていった。習い事でもしているのだろうか。時間が決まっているなら、始めから言ってくれればいいのに。話に夢中だったのだろうか。そんなことを考えて片づけていると、シートの上に忘れ物を見つけた、群青色のハンカチだった。蔦のような植物の、白い細かい模様がついている。返してあげなきゃと思い、片づけもそこそこにハンカチを手に取って、慌ててルリエを追って外に出た。
見える限り誰もいなかった。ただ、空を見ると、翼のある黒い何かが飛び去っていくのが見えた。
清美は何とか自分の部屋に帰ってきた。もう何日寝ていないのか分からないが、やっとのこと会社を這うようにして出てきた。清美はプログラマだったが、プロジェクトのため、会社からは早く完璧なものを作れという指示だった。プログラムにバグが見つかる度に怒鳴られ、プロジェクトはスケジュールが絶対で止められないと圧力をかけられた。何人もの同僚が心を病んで辞めていったが、ほとんど補充はされなかった。残った者で助け合ってがんばれという話だった。次に倒れるのは自分だと清美は思っていた。
ベッドに倒れ込む。何か食べないといけないが気分も悪い。いったい自分は何のために生きているのか。そもそも、人は何のために生きているのか。一部の人間以外、人間ではなくて歯車に過ぎない。生きていても虚しい。あらゆることに何の価値もない。そんなことだけが頭の中に浮かんでくる。涙も出ない。
いきなり窓から、黒い翼の何かが飛んで入ってきた。コウモリのようだったが、それはいきなり黒い服の少女に姿を変え、清美の傍らに立った。清美は夢でも見てるのだと思った。
「あなたは、もうすぐ死ぬ」
「ああ、なんだ……死神か」
あまり驚かなかった。死神にしてはずいぶん可愛らしい。中学生ぐらいか。
「死神じゃないよ。私はネメシスの死者。あなたは生きなきゃ!」
「おねえさんはもういいの。もうずいぶん生きたんだ」
もうどうでもよかった。
「よくないよ!」
少女はそう叫んで、持っていた石のようなものを、清美の手に握らせた。不思議なことに、そこから何かのエネルギーが流れ込んでくる。ただ、元気になるというより、腹立たしくなってくる。
「あなたが悪いんじゃない。この世界が悪いんだ!」
少女がそう言う。その張りつめた声。まるで昔の自分だとも思えてくる。昔の自分がやってきたのかも。あるいは自分の心の、奥底からの声だ。
「そうだね……おかしいんだよ。この世界。みんな歯車のくせに。楽しく生きているふりだけしてる。価値のあるものなんて何もないのに……みんな何か、分かったふりをしているだけなんだよ。私に命令してくる奴も、結局は一つの歯車……」
清美は起き上がった。少女が微笑する。
「そう、それでいいんだ。もっと怒って、もっと憎んで、そうすれば、あなたは生き抜くことができるから」
「思い知らせなきゃ……みんなにね」
手で握っている石が熱くなった。さっきとは逆に、自分の中からあふれ出るエネルギーが、石に流れ込んでいく。清美は微笑した。もう持つことができないほど熱くなり、清美は手を開いた。石が赤く光っている。その時、少女が叫んだ。
「アグニア、ゲノス!」
その瞬間、石が強い光を放った。
天莉は帰り道を歩いていた。もうすぐ家に着く。明日もルリエに会えるから、ハンカチを返してあげよう。
その時、頭の中にドロンの声が響いた。
『聞こえるか? 出たぞ!』
「ええっ!」
いきなりすぎて驚く。天莉は空を見渡す。太陽が沈む方、夕日の前に何やら複雑な形のものが影になって浮いていた。
「あれがアグニア……沙夜は?」
『大丈夫、ちゃんと連絡は取れている』
天莉は叫んだ。
「テュリスフィリア!」
天莉は赤いコスチュームに変身して、翼を羽ばたかせて飛んでいく。同じように、地上から飛び立った青い翼の少女が目に入る。
沙夜と合流した。二人で黒い影に向かうが、その正体がだんだん明らかになってきた。巨大な塊のようなものが宙に浮いているが、それは何かが無数に集まったものだ。夕日を反射するのか、様々な場所がキラキラ光っている。
「あれは……何?」
「機械かな……」
近づくとそれが何か分かった。無数の歯車が組み合わさって動いている。機械というより、絡み合う生き物のようで、気色が悪い。一つ一つの歯車が噛み合っている様も異様だ。
「よし沙夜、もう窓出しちゃおう」
「うん」
二人は飛んで一定の距離を取ったが、その時、歯車が一つずつ外れて飛んできた。かなりのスピードだったが避けられないわけではない。それより、体勢が安定しないのでは窓が出せない。
「あーもう、うっとおしいな」
「どうすりゃいいの?」
しばらくすると、その攻撃が止んだ。今度こそ窓を出そうと思った時、それが変形した。塊から変わり、薄い板のようになって空に広がっていく。そして、さらに広がって網のようになった。しかし回っている歯車の組み合わせであることには変わらない。一つ一つがつながって糸状に見えるが、全てが噛み合って回っている。
「何あれ? どうなってるの……?」
「……何か妙な感じ」
上空に広がって、回っている歯車を見ているうちに、何か気力が萎えてきた。もしかして、あれは自分達なのか、自分はあの一つなのか、そう思えてくる。あの中の一つが外れたら、回転はそこで途切れる。一つ一つは無くてはならない。しかし歯車でしかない。何か虚しい気分になり、言葉が出なくなる。
飛ぶ力も出なくなり。二人は地上に降りてしまった。でも、歯車から目を離すことができない。ドロンの声がした。
『おい、上のあれを見ない方がいい。目をつぶれ』
しかし目をつぶることができない。変身が解けて、コスチュームから学校帰りの姿に戻っていく。
『いかん、だめだ……俺も……』
そう言ったきり、ドロンの声も途絶えた。
この世界に、価値のあるものなんて、何もなかった。結局人間は、誰かの命令を誰かに伝えているだけの生き物でしかない。自分達はみんな、ただの歯車だ。一人残らず。
二人は地面に倒れた。周囲を見れば、他の誰もが倒れているのが分かったはずだが、見る気力もなかった。
人間というものは、生命として失敗作だ。もうどうでもいいと、天莉は思った。手が冷たい。天莉は何気なく、スカートのポケットに手を入れた。そこに何かが触った。ルリエが忘れたハンカチだ。返さなければと思った。あの時すぐにルリエを追いかけたのに見失った。天莉はハンカチを握りしめる。自分は一生懸命追いかけた。それを分かってほしい。それが伝わるまで、終わらないんだ。歯車? 違う。握りしめる手の力。これは誰かから伝わったものじゃない。自分のものだ。自分から生まれたものだ。
天莉は顔を上げた。制服から再び赤いコスチュームに戻っていく。背中に翼が生える。
「ねえ、ドロン……聞こえる?」
天莉は声をかけた。しばらくして、気力のない返事があった。
『ああ……』
「何か使える武器はないの?」
『ああ……あるよ。ドゥレパーニと言えば出る』
投げやりな言い方だった。
「何が出るの?」
しかし返事がない。しかたないので、天莉は叫んだ。
「ドゥレパーニ!」
その瞬間、天莉は手に大鎌を持っていた。長い柄と、大きな三日月状の刃だった。刃を動かす度に、夕日が反射してギラギラと光る。
天莉は飛び立った。大鎌を降りかざし、上空の網を断ち切ろうとする。しかしまた歯車が飛んで襲いかかってきた。天莉が大鎌を振り回すと、歯車はあっけなく切断され消滅する。ただ、数が多くきりがない。
「沙夜!」
天莉は叫んだ。
「沙夜、手伝って!」
その声は沙夜に届いた。天莉一人に戦わせるわけにはいかない。沙夜も顔を上げる。青いコスチュームが戻り、翼が生える。
「今行くよ。ドゥレパーニ!」
沙夜の手にも大鎌が出現。沙夜も飛び立って、天莉の隣で滞空。飛んでくる歯車を切り裂く。しばらくして、攻撃が一旦止んだ。二人は顔を見合わせ、うなずく。すぐに距離をとって叫んだ。
「テュリスアニックス!」
輝く窓が出現し、歯車の網が崩壊、一つ一つが窓の中に吸い込まれていく。
清美が不意に優しい表情になった。
「見える……窓の向こうに」
その言葉で、少女が青ざめる。また何かが起きた。
「窓?」
「二人の天使が、窓を出して向こうを見せてくれた」
「何が、何が見えるの?」
「歯車ではない世界に、私が生きている。人と人とが支え合う世界よ……」
少女は否定する。
「あなたが生きているのは、その世界じゃない!」
「でも、あそこにいるのは私。私自身だ。私はもう虚しくはない……」
そう言ったきり、清美はベッドに倒れ、そのまま動かなくなった。少女は唇を噛み、あふれてきた涙を拭う。
「これで三度目……」
もう許せない。今度はその天使とかいう連中を止めなければ。でも、アグニアを生み出す力はあっても、自分自身にはどのくらいの力があるか分からない。飛ぶことぐらいしかできないかもしれない。
ルリエは戸惑うような目で、天莉からハンカチを受け取った。
「あ、ありがとう……わざわざ」
天莉は微笑んだ。
「すぐに追いかけたんだけど、見失っちゃって。何でかな。まるで飛び去ったみたいだよ」
その言葉で、ルリエはなぜかビクッと反応したが、すぐに言葉を続ける。
「うん、私、その、急いでたんで……走ってた」
「足速いんだ」
「う、うん、そうでもない……でもありがとう。ハンカチ返ってきて、とても、とても嬉しいから」
「よかった」
天莉は笑って、ルリエも微笑した。
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