第16話 Reach consensus

翌日、風葉から話を聞いた俺は、理愛華を含む3人で大月へ向かっていた。

父方も母方、親権に関しては分からないが、監護権に関しては、どちらに属してもデメリットはある。

俺が監護者になれるのならば、経済学部というのもあって家にいられる時間も多い。説得力はないかもしれないが、理愛華がいるので手を出す事もない。

風葉の為になれるのならば、俺は親御さんに提案して、風葉を住まわせようと思う。現時点で明らかなデメリットは無いし、何より風葉が望んでいた話だ。

とは言え、こんな決断を実行出来たのも、理愛華の理解のおかげでもある。


〜〜


昨日、流星と理愛華が帰る時。

俺は2人を見送りに、下へ降りていた。


理愛華「じゃあね、また明日」


いつもの声で、いつもの様子で、理愛華は俺に別れの挨拶あいさつをする。

そして、背中を見せて駅へ歩き出そうとした、その瞬間。


勝幸「…………な、なぁ……理愛華」


俺は彼女を引き止める。

丁度、流星は停めていた自転車を駐輪場へ取りに向かっていたので、その場には他に誰もいなかった。

理愛華はきょとんとした表情で振り向くと、きびすを返して目の前へ戻って来た。


理愛華「どうしたの?」


作られていない、素の優しい表情と声で、俺に目を合わせる。とても可愛くて、抱き締めたい程だ。

これが俺の彼女だなんて、現実を疑ってしまいそうな位、こいつは可愛くて、立派で。

だから、俺はこんな質問が出てしまったのだろうか。


勝幸「何でさ……風葉を住まわせると決めた時、反対しなかったんだ…………?」

理愛華「何でって………………」


再びきょとんとした様子になったが、それも束の間。

理愛華は表情を崩して、人差し指を優しく俺の頬に突き立てた。


理愛華「この前、駅前で言ってたでしょ?『大丈夫な気がする』って。風葉と一緒に住む事になっても、変わりなく生活していく覚悟があるって事よね?」

勝幸「あ、あぁ…………」

理愛華「だからそれを信用したの。出会ったばかりの風葉が信じて、彼女の私が信じない訳ないでしょ?」


そう言って、これ以上ない位の優しい笑顔を、俺に向ける。

彼女。そう、こいつが言ってくれる度に、これは現実なんだと理解する。そして、彼女の俺に対する最大級の信用に、俺は応えていく必要があると、そう感じた。


勝幸「………………ありがとう」


頷いて、小さくそう言った。

理愛華は一歩下がって、返事代わりの小さな笑顔を見せた。


殆ど同時に、流星が自転車を押してやって来た。


流星「よーし、っと…………あれ?理愛華まだいたんだ。いいや、俺帰るね」

理愛華「あ、うん。でも私ももう帰るよ」

流星「あらそう。じゃ、2人共またな」

理愛華「じゃあね‼︎」

勝幸「おう‼︎」


反対方向に消えていく2人を見送りながら、理愛華の言葉を思い出す。


『風葉と一緒に住む事になっても、変わりなく生活していく覚悟があるって事よね?』


勝幸(変わりなく、か…………)


その言葉は、理愛華からの───決して彼女が不安だとは思ってない思うが───警鐘けいしょうのように感じた。

どの程度を"変わらない"と判断するのかは分からない。

でも、理愛華の言葉は、お互い問題なく平和的に生きる為には、監護者である俺にそれ相当の覚悟が必要である事を気付かせてくれた。

生半可な気持ちで風葉を受け入れてないか。住まわせた後の事をよく考えているのか。俺がちゃんと、風葉が自立出来るまで支えてやれるか。

このまま勢いに任せて進むのはダメだ。

今になってやっぱり無しにする気は更々ないが、その辺りをしっかり考えてから親御さんと協議する必要があると、俺はその時感じたのだった。


〜〜


勝幸「また、来たな」

理愛華「そうだね」


駅を出て、周囲を見渡す。

手をどこまで伸ばしても届きそうにない、山脈地帯が視界に姿を覗かせる。赤に橙に色付く木々が、山脈を彩り、町を飾っている。

気温は低かった。まだ10月だというのに、ポケットから手を出したら指先も冷えきってしまいそうだ。


勝幸「じゃあ行くか、風葉」

風葉「うん」


隣の風葉にそう言うと、俺は息を吐いて手を温め、歩き出した。


家へと辿り着いて、風葉はインターホンを押す。暫しの沈黙ちんもくの後に、ゆっくりとドアに隙間が生まれる。

出て来たのは、風葉と似た雰囲気の少女だった。


沙弥果「あ……姉ちゃん‼︎」

風葉「ただいま、沙弥果さやか

沙弥果「お兄さんお姉さんも、こんにちは」

勝幸「こんにちは、沙弥果ちゃん」


中津川沙弥果。小学生の妹である。風葉をちょっとだけいじって小学校中学年に戻したような、可愛らしい顔立ちの子だ。

前に少し、風葉が話していた。

活発な子で、それでも人の言う事をちゃんと聞くしっかり者だそうだ。このまま成長して、母親と上手くやっていって欲しいとも言っていた。

きっと、出来るのならば、風葉も母親とずっと仲良くやっていきたかったのだろう。でも、そうはいかなかった。

その結果、家出して、色々あって俺と住まう事になるかもしれないのが現在の状況。もしも風葉と一緒に住む事になったら、今まで人生が上手くいかなかった分、俺の手で充実した生活を手に入れさせたい。

その為に、まずは親御さんとの協議にのぞもう。


風葉母「やっと帰って来た……礎さん、高槻さん、娘がまたご迷惑をおかけしました」


沙弥果ちゃんの後ろから、2人の母親が出て来た。

今回は、そこまで驚いてはいないようだ。


勝幸「いえいえ、俺も今日はお話しがあって伺いに来た訳ですので」

風葉母「あら、そうなんですか。取り敢えず、どうぞ上がって」


促されて、俺達は家へ上がる。

リビングには父親もいた。前に言ってた通り、仕事を暫く休んでいるのだろう。


風葉父「お2人共、この間はどうも」

理愛華「いえ、お話が進んだようで良かったです」

風葉父「まぁね……色々考えたけど、離婚が一番の判断なんだ。で、昨日それが決まったら風葉がいなくなっちゃってね…………しかも今回は丁寧に書き置きまで用意してましたよ」

勝幸(あぁ成る程、それでそんなに驚いてなかったのか)


そんな事を思って俺は苦笑を浮かべた。

昨日決めた、って事は決まってからすぐに俺の下に来たのだろう。

わざわざこんな遠くから来てくれてるってのは、俺を頼ってくれてるのだろうか。もしもそうなら、俺はそれに応えてやるべきだ。

と、その時。


風葉父「それで……突然なんですが、礎さん」


冴えない表情へと変わって、風葉の父親は視線を落とす。

何を言おうとしているのか。俺は言葉の続きに耳を傾けた。


風葉父「1つ、無理なお願いがしたいのだけど………………」

勝幸「ほぅ、実は自分にもお願いしたいことがありまして」


無理なお願いがあるらしい。ならば、こっちも少し無理を言わせてもらおう。


風葉父「それじゃあお先にどうぞ」

勝幸「あ、はい。実は………………」


うながされると、俺はゴクリと固唾かたずを飲み込む。

普通ならあり得ないようなお願い。はたから見たら『何言ってんだこいつ』って思われるだろう。

それでも、風葉がこれで変われるなら、俺はその為に行動すると決めたんだ。

想いが伝わるようにと、俺は目線を合わせる。勇気と決意を願いに乗せて、言葉にしてぶつける。



勝幸「娘さんを……俺に任せてくれませんか…………」



ピクっと動いたかと思えば、風葉の両親は俺に対して痛い程の視線をぶつけ返してくる。

言うのにかなり勇気が必要だったから、何か言ってこの状態からすぐに抜け出したい。でも抜け出しちゃいけない。

ほんの少し、2〜3秒の間しかなかっただろう。だが、俺にとっては数えられない程の時間を泳いでいた様に感じていた。


風葉父「驚いた………………‼︎」


そんな俺を連れ戻すように、言葉通りの声と表情で風葉の父親はそう言った。母親も口をあんぐりと開けて、手で覆い隠している。

やはりこんな事を言うと、親御さんは驚いてしまうよな……と、そんな事を考えていた。

しかし、その言葉は自分に返って来た。


風葉父「いや、是非ともお願いします。私達もそれをお願いしたかった」

勝幸「え…………?」


言葉が出ない。

理愛華も風葉も何も言わなかった。と言うより、言えなかったんじゃないだろうか。

その中で、少しだけ目線を落として、父親は話す。


風葉父「私達にとって、離婚後に風葉をどう扱うべきか困っていたんです。でも、家出してからの話を聞くと、風葉がよく2人の話をしていて。驚きましたよ。1人の時間の方が多かった筈なのにね……」


黙って話を聞く。

言葉には出さなかったが、意外な事だった。

きっと、3人の時間がそれ程彼女にとって有意義だったのだろう。理愛華に至っては、接触があった時間を数えても24時間すらなかった筈なのに。

でもそれは、俺にとっても嬉しい事だ。


風葉父「ふと、『一緒に住んでやりたいのはヤマヤマ』だと言ってたのを思い出してね。偶々たまたま、離婚したら第三者が住居を指定できると知って…………勝手なお願いだと思ってましたが、まさかそっちから願い出てくれるなんて………………」


小さな笑みで、口角にしわを寄せている。

信じられない事だが、この人は本当に俺と住んで欲しいのだろう。様子からしてそう見える。

住んでやりたい。確かにそう言った。その言葉に嘘はなかった。法律で決められてなければ、俺は住まわせていただろう。


風葉父「でも、礎さんなら大丈夫だと思いました。娘を助ける様な優しい情がある上に、ここまで一緒に来てくれる様な律儀な面もある。高槻さんも礼儀正しくてしっかりしている。そして何より、目を見ても分かるが、お2人の行動原理が良心から来ている。私にはそう見えました」


風葉の父親はそう続けた。その言葉には、妙な説得力があった。

しがない一青年でしかない俺に、他人に自分がどう見えているのかは分からない。

でも、たった2度目の対面で、この人は鏡のように俺を映し出し、一続きの言葉だけで俺という人間を俺自身に教えてくれているようだった。

なんとなく、自分の事は優しいとは思っていた。しかしこの人は、より詳しく、客観的に見た自分をありありと示してくれた。自分の人間性に、少しばかりの自信を持つ事すら出来るような、それ程のものだった。

眼鏡の奥から覗かせているその炯眼けいがんに、畏敬いけいの念をも抱いてしまう。


確かに俺は、律儀に風葉の為にと行動した。だが本心としては、一緒にいたかった、きっと風葉の何かが、不思議にも守ってやりたいと、俺にそう思わせた。とは言え、法律を犯してまでそうするのはお間違いだ。だからこそ、俺は家に返した訳だった。

赤の他人の俺とよりは、家族とやり直す方がきっと良いだろうとも思っていた。でも、本人が、家族が、彼女が賛同してくれた。周りが、だけでなく法律までもが、それを認めてくれた。

ならば、無駄な謙遜けんそんなどしても不毛でしかない。


勝幸「ならば、この件については……」

風葉父「お互いに願っていた事なんだ。同居これに決定する以外にどうしようと言うんだ?」

勝幸「ですね……じゃ、Reach consensus相互合意という事で」

風葉父「はい。娘を、宜しくお願いします」


協議の結果に従い、俺は風葉をしっかりと守ろう。


勝幸「それじゃあ風葉」


そして、これから俺は風葉の人生を変えていく。良い方へ、幸せな方へ。


勝幸「色々あると思うけど……宜しくな」

風葉「………………うん‼︎」


俺と風葉の、新しい生活を始めていこう。


≪≫


協議によって、俺は正式に風葉と住む事になった。

しかし、勿論これで終わりではない。

引っ越すまでに暫くあるので、その間にもっと具体的な取り決めをして、印鑑を押す事になっている。

どこまでを俺が担当するのか、ここで決めなければ、後々争いになる。


風葉父「生活費はどうしようねぇ…………」


例えばそんな感じだ。

生活費。それは、何気に大きな問題でもある。


勝幸「自分のバイトの儲けでは殆ど養い切れないですね………………」


俺はバイトで稼ぎ、その上普段から節約して一定の金額を貯める事を義務化している。そして、貯めても余った金などを競馬等の趣味に回している訳だ。

しかし、人が1人増えるだけでその状況は一変する。趣味に使えないどころか、貯金すら満足に行い続けられない可能性もある。

だからと言って、バイトのシフトを増やす訳にはいかない。そんな事をしてしまえば、風葉を1人家に残す時間が増えて、それこそ彼女の父親の二の舞になる。


風葉父「となると、私が仕送りをするしかないか…………」

勝幸「でも二方向に可能なんですか?そうするにしても、支えるのは風葉だけじゃないでしょ?」

風葉父「う〜ん……100%可能かと言われれば、断言は出来ないな………………」


個人的には、風葉の父親には、自分の妻と下の娘の生活を保証して欲しい。とは言え、俺の倹約けんやく生活に風葉を付き合わせる訳にもいかない。

そうなると、中々難しい話かもしれない。


理愛華「別に私が払うから」


と思っていた。


その時に、隣から声が聞こえた。

え?とでも言いたげな感じの様子で、風葉の両親も視線を理愛華に動かす。暫く黙っていた理愛華が、とうとう動き始めた。


勝幸「おまっ……それって…………」

風葉父「払う、とは………………?」

理愛華「言葉の通りです。私が風葉に関わる分の金は全て負担します」


動き始めたかと思えば、とんでもない事を言って来た。

風葉の父親も、理愛華の方に目線を向けたまま固まってしまった。きっと、親権者でも監護者でもない理愛華が、わざわざそんな事をするのか、と思ったのだろう。そして、何とか言葉を見つけたかのように、理愛華へと聞く。


風葉父「高槻さん、あなたは娘の生活費を本当にまかなう事が出来るのかい…………?」


物品や食料だけじゃない、1日1日に使うモノやサービスに総じてかかる値段を、全てと言ってるのだろう。

その金を全て払える程の、自分を含めた2人分の財力を持っているのか。それが疑問なのだろう。

しかし、理愛華は何とも無いとでも言いそうな表情で頷く。


理愛華「えぇ、まぁ」


そして彼女は意外な程にあっさりと、高槻理愛華と言う人間を一言で語った。



理愛華「私……社長令嬢ってやつですから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る