本当の幸せ。 ── OH MY LITTLE GIRL
♪〜こんなにも騒がしい街並みに たたずむ君は
とても小さく とても寒がりで 泣き虫な女の子さ
ある日、打ち合わせに向かうために同行のオジさん営業マンの車に乗り込むと、
この曲が鳴り出した。
「ずいぶん懐かしいですね」
オジさんがわざわざCDで尾崎を聞くなんて……と、ちょっと驚いた。
「上村さんが、すごくいいから聞けって妙に勧めてきたんでね」
そう言いながら、軽く口ずさんだりしてる。
上村さんとは、この営業マンと仲がよく、細身でちょっと謎めいた風貌の40代も半ばくらいの部長だ。
仕事がデキる。
はっきり言えば、見た目だけでなく、イメージ的にすべてがカッコいい。
──それにしても、なぜ今、尾崎?
私も、この曲を含めていくつか好きな曲はあった。
けれど、今ごろ尾崎を聞くオジさんたちというのは、どうにも違和感があった。
***
上村部長が不倫をしてるらしい。
──噂を聞いたのは、それから少しあとのことだった。
相手は城田さんとか?
まさか!
女子社員は半信半疑でヒソヒソしていたのだけど、私はピンと来てしまった。
城田さんは、会社の周年記念誌──全社員が原稿を寄せている──への投稿に「もう一度、”尾崎” に出会いたい」と書いていた。
上村部長が城田さんの好みに感化され、恋心が燃え上がるほどに、周りに尾崎を勧めたくなってしまったのだ、きっと。
人が誰かに何かを強く推す時、バックにはその推しへの愛以上に、ほかの誰かへの愛が隠れていることがある。
(僕が好きな○○ちゃんが推す)XXを語りながら、心の中では「僕は○○ちゃんが大好き」と叫んでいるのだ。
*
そんなことより、城田ちゃんだ。
私にとって彼女は、ちゃん付けで呼ぶくらいかわいい後輩だった。
彼女が新入社員のころ、たまたまいっしょに仕事をして、とてもいい子だったので、私が勝手に特別に思っていた。
彼女が素敵なバッグを持っていた時、私が褒めると、買った店を教えてくれる、なんてこともあった。
私はもちろん遠慮したのだけど、「たまきさんなら全然いいですよ。オソロ、うれしいですから」と言ってくれて、ちゃっかり同じのを買ったのだった。
あの、かわいい城田ちゃんが、上村部長と不倫。
私には、その大胆な事実はなかなか飲み込めないことだった。
不倫なんて、いつでも身近に潜んでいそうなありきたりなことなのに。
*
♪〜冷たい風が 二人の体すり抜け
いつまでも いつまでも 離れられなくさせるよ
頭の中で、尾崎の『OH MY LITTLE GIRL』が鳴り響く。
いったい何があったんだろう?
どうして、始まってしまったんだろう?
私だってこの曲が流行った時はすごく好きだったのに、
聞くと城田ちゃんと部長しか浮かばなくなってしまった。
日の当たらないカビくさい部屋、すきま風が吹き込むわびしいベッドの上で、
それでも幸せそうに抱き合う二人。
何なんだ!
あまりに切なくて、そして腹が立つ。
私の怒りの相手は、上村部長だった。
きっと、部長の方から手を出したのだ。
20代前半の女の子が、カッコいい40半ばに惹かれる気持ちは、自分にはないけどわからなくはない。
抗えなかったのだ、城田ちゃんは。
***
それからどれくらい経ったころだろうか。
人の少なくなったオフィスで残業をしていると、休憩室から城田ちゃんが泣きながら出てきた。
そのまま彼女がオフィスを出て行ったのでその場はそれきりになったのだけど、上村部長のことで何かあったのだろうかと想像して、胸が痛んだ。
こういう時、何を思えばいいんだろう?
部長が離婚して、城田ちゃんと結ばれますように?
でも、奥さんが不幸になってしまう。
二人が別れますように?
でも、そのダメージに城田ちゃんは耐えられるだろうか。
♪〜OH MY LITTLE GIRL
二人黄昏に 肩寄せ歩きながら
いつまでも いつまでも 離れないと誓うんだ
相変わらず私の頭の中では、日陰の部屋で幸せそうに抱き合う二人の姿が浮かんでいたのだけれど。。。
いつまで続くのだろう。
いつまで続けるつもりだろう。
***
ほどなくして、また残業中だった私は、コピー機のところで城田ちゃんといっしょになった。
ウィンウィンと唸る機械のそばで、軽く微笑んで無言で会釈し合う。
「泣いたらダメだよ」
気づいたら、私の口から勝手に言葉が出ていた。
城田ちゃんは、「えっ?」というような顔をした。
「この前、泣いてたでしょ?」
戸惑いながら、視線を伏せて何も言わない城田ちゃん。
言ってよ。何でも言ってよ。そんなことで一人で泣かないでほしい。
私はたぶん、そう思っていた。
だから、おそるおそる言ったのだ。
「あの、私、知ってるから……」
──その時だった。
あいまいにモジモジしてた城田ちゃんが、スッと顔を上げて言った。
「何を知ってるんですか?」
声は低く硬く、ものすごい目で私を睨んでいた。
彼女がまとっていたのは激しい拒絶のオーラだった。
その一瞬の変わり様におののいて、私は「あ、いや……何ともないならいいけど」などとごまかして引いて来た。
*
「泣いたらダメだよ」だなんて。
ふと口をついて不用意に出た自分の言葉が、恥ずかしかった。
私は何を言いたかったのか、何がしたかったのか。
泣くような不幸なことに身を投じないで?
いいようにされて泣いてないで、こっちから突っぱねてやれ?
それとも、
不倫は不幸だとわかってやっているなら、泣くな、とでも言いたかった?
自分でもよくわからない。
そもそも発端は、自分の勝手な妄想でしかないかもしれないのだ。
そして、あのかわいい城田ちゃんが私に向けた、
敵意やら憎しみやら、怒りやらがこもったような鬼のようなまなざしは──
どんなに隠しているつもりでも、不倫の事実はバレている。
そのことに、全力で抵抗しただけ?
私は何も問題を抱えていない、という必死のアピールだったのだろうか。
その後は城田ちゃんと言葉を交わす機会はなかった。
そして、1年もせずに私は転職して会社を辞めた。
***
数年後、上村部長が離婚したことを知った。
一方、城田ちゃんは別の人と結婚していた。
離婚の原因が何だったのかは知らない。
だけど私は、勝手に奥さんに同情した。
と同時に、城田ちゃんが今も幸せであることを願っている。
♪〜OH MY LITTLE GIRL 暖めてあげよう
OH MY LITTLE GIRL こんなにも愛してる
だけど、”僕のかわいい小さな女の子” は、
そうであってほしいと心から思っている。
この曲を聞く時、脳裏に浮かぶ城田ちゃんは、
相変わらずあの目で私を睨んでいるけれど。
♪「OH MY LITTLE GIRL」尾崎豊
https://www.youtube.com/watch?v=XrOvHNIi2rg
※文中はすべて仮名です。
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