中編 残された音

『まずは過去を知れ』


「はい」


またも現実にはありえない存在に受け答えをする私。

仙人は交通量の多い交差点の中心に立っていた。

車やトラックが仙人を見事に避けていく。


『目を閉じろ』


言われた通りにすると、都会の騒がしさを何倍も実感させられた。


『風の音に集中しろ』


今まで注目していなかった音に耳を傾ける。

エンジンの排気音や人の声が徐々に減っていく。

ビルの谷間を駆け巡る空気の流れ。

一度耳で捉えると、鮮明に認知できた。


途端、音から景色が溢れ出す。周りに車はない。通りを歩く人も着物を着ている。


「あれが見えるか」


仙人が指した先には工場があった。上空で複数の黒い点が何かを落として通過していく。その内の幾つかは近くの民家へと落ちていった。


「悲しい出来事だ」


爆発した。黒い煙が沸き立ち空を覆っていく。悲鳴が聞こえた。数えきれないほど大勢の声だ。耳を塞ごうとしたが、耐えた。不幸を知らない私が聞くべき声だと思ったからだ。工場は消え、小さくなった駅が目に入る。道が舗装されておらず、家屋よりも水田が広がっていた。


突然、地面が揺れた。地震だ。少ない家から瓦が落ちて、土埃が巻き上がっていく。遠くの空が昼間なのに赤色へ染まった。途端、駅から沢山の人が溢れかえる。行き場を失った人たちが流れ込んできたのだ。次々と家が建設されていく。災害がきっかけで、村から街へと成った事に驚く。


「悪しき事だけじゃなかった。良き事も無数にある」


一両の列車が線路を走っている。子供たちが未来に希望を持っている目で興味深そうに眺めている。幸福がある光景に安心する私。


また景色が変わった。


蓑笠を纏った農民たちが道を行進している。目的地には死が待ち受けている。だが、その歩みに覚悟の意思が宿っていた。


「この後、彼らの一部は処刑された。一番大事なものと引き換えに」


甲冑を着た人物が栗毛の馬に乗って、鷹を追いかけている。近くを流れる水路は澄んだ空の模様を浮かばせていた。遠くで、すり鉢を地面に埋め込んだような地形の中心から水を引き上げる音と人影。


畑を進むと茅の屋根の民家。その先には荻を生い茂らせた原が広がる。

前に見た原野は随分と遠い過去にあったものだったのだ。その光景は緑の少ない時代に生きる私をひどく懐古感に浸らせた。


横を見ると、甲冑を着た人物が指揮をとる集団が大声を上げて、別の集団とぶつかっている。人同士がぶつかる音の響きが木々を騒つかせた。


更に歩みを進めると、稲を作っている人々が目に入る。彼らは釜に粘土を捏ねたものを入れている。自らの作った器を眺めては、別の器の文様を彫り始める。彼らの生活を見守りたい気分に駆られた。


「ここは人の時代からは遠い場所だ」


気づくと、周りを森に囲まれていた。


木々が枝を伸ばし、葉で手を取り合っている。木漏れ日に当たる場所には低い木が生え、その下ではさらに背の低い植物が生い茂っている。別の種が共に生きている。その光景に満たされる気がした。


「もういいだろう。お前は十分に過去を知った。次は未来を考える番だ」


私は慌てて言った。


「まだ、いさせてください」


「ここが気に入ったのか。だが、この先に人はいない」


「だからこそ見たいのです。ここに親しみを感じるのです」


「帰る時は、戻りたいと念じろ」


仙人は目を閉じて答えると、一瞬で消えた。


私は緑色の屋根の下を進み、曲がった枝の森を抜け、川のせせらぎの岩に立った。私を帰るべき故郷のような感覚を覚えた。


しばらく進むと開けた場所に出た。

共生している草木がなく、あるのは背の高い木だけだ。不思議に思っていると突然、轟音と共に地面が揺れた。


見上げると、富士山が噴火していた。雷雲を宿す黒い雲が空に被さる。

灰が地を覆っていく。呼吸が苦しくなり咳き込み、黒い唾を吐いた。




戻りたい。



そう思った瞬間、私はあの騒がしい元の交差点に立っていた。

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