東京府警警視庁特別係 FILE 12「窓ガラス一枚の距離」

犬井作

本文

 ドラマでよく見る重犯罪者専用の刑務所なんて、縁がないものだと思っていた。

 警官という職についてからもそうだった。

 交番勤務から始まって、のどかな一年を過ごして。ずっとそういう日々だろう。

 そう思っていたのに、どういう風の吹き回しでか、今、おれは捜査一課に所属している。

 しかもふつうの部署じゃない。

 特別係という、よくわからない小組織。

 そこの上司とともに、おれはいま、日本の暗部に足を踏み入れていた。

 東京都八王子市、そのさらに辺境にある非公式の刑務所。通称「十三番」。

 なんでその名前で呼ばれているか、おれは知らない。

 ミナさんに聞いても、はぐらかされた。

 交番勤めの新人を警視庁勤めに抜擢してくれた恩人で、組織のなかで独断行動を許されている変わり者。いつもどこか高いところにいるように感じさせる女傑。

 そのミナさんは、いつになく緊張した様子でおれの右斜め前あたりを歩いている。

 お尻の上あたりには、ホルスターにしまわれたグロックが、お尻に合わせて上下に動いている。

 ついでに、長いポニーテールの穂先も左右に。


「それにしても、どうしてあんなやつに会うんですか」


 おれたちの前を歩いていたおっさんが首をこちらに向けて聞いてきた。

 女二人で、と、無関心な目が言外に言っている。


「あなたがたも知っているでしょう。一年前の、東京高速爆破テロのこと。その首謀者で、未だ東京を荒らす悪の犯罪者集団の、ボス。……日本史が編纂されて以来の規模の事件を引き起こした超一級の犯罪者、そんなのに、会ってなにを聞こうっていうんです」


 ミナさんは小さく溜息をついてから答えた。


「恋人なの。面会くらい、いいでしょう」


 おっさんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

 ついでにおれも、そうなった。




面会室には人二人座れる幅のカウンター席みたいなのがあって、椅子は黒い壁に向いていた。

 壁には窓が取りつけられていて、そこであちら側と会話できるという寸法だ。

 先程のおっさんはおれたちの後ろの、壁の隅に体を寄りかからせて、はやくもあくびなんかしちゃってる。

 ミナさんはさっそくパイプ椅子に腰掛けて、窓に視線を向けている。


『まだ起きてないようでしてね、少々お時間をいただきますが』

「構わないわ」


 窓のすこし上にある埋込み型のスピーカから声がした。たぶん、刑務官だ。

 ぼんやり突っ立っていると、ミナさんが青い切れ長の目を向けてくる。

 おずおずと隣に腰を下ろす。

 窓の向こうには空のパイプ椅子が見えている。

 出入口と、その周囲くらいは見えているけれど、それ以外には特に見えない。

 と思っていたら、とつぜん窓が鏡になった。


「あ?」

「通電式のマジックミラーよ。落ち着きなさい、シロ」

「クロエだっつってんでしょ」

「きれいな白い肌だからシロじゃあないの? 親方もそう呼んでたじゃない」

「お……私の名前は、おばあちゃんから継いだものですって。日本語と意味が違うんです。親方は、そりゃまあ呼んでましたけど、でも上司には逆らえないじゃないですか」

「でもあなたはわざわざ州をまたいで、この特区にまでやってきた。ここはアメリカだけどアメリカじゃないのよ。郷に入れば郷に従え。……それに、私だって上司だけど」


 ミナさんは薄く笑いながらそういった。

 この人の前に立つと、言葉がうまく出てこなくなる。

 名前で呼んでもらいたい、なんて子供っぽい希望を口にすることが、できなくなる。確固とした世界がそこにある、と感じるからだ。

 休日に禅に励む女傑はちがう、ということだろう。

 ロス生まれロス育ちのおれとしてはなじみのない性格で、まるでクロサワ映画やミゾグチ映画の住人だ、と思う。

 セイジュン映画のヤクザ野郎どもに憧れた身としては、なんともやりづらい。


 アメリカ特別州日本は、アメリカなのにエンペラーによる統治を許されている。

 国際的な扱いも、事実上、独立国だ。しかもなぜ合衆国の行政区になっているかもよくわかっていない。戦後の後処理で、進駐した元帥が天皇をえらく気に入ったからだとか、トクガワの埋蔵金をもらったからだとか、いろんな噂は聞いたけれど、不可解な点は多いらしい。

 考えても詮無いことだから、流されるのが、いいんだろうけど。


「……ミナさん」

「なに」


 気になっていたことだけど聞いていいのかわからなかった。


「なに。聞きなさいよ、君らしくない」

「じゃあ聞きますけど……恋人って本当ですか」

「うん」


 ミナさんはあっさり頷いた。


「聞いてないんですけど私、てかそれ私同席してていいんですか」

「ここ、警官二人じゃないと入れないから」

「数合わせですか」

「まあそれだけじゃないけど」

「私イヤですよ目をつけられるの。日本イチの犯罪者に恋人寝取ったとか勘違いされるとか悪夢ですし」


 ミナさんはにやっと笑った。


「そういう演技にしておく?」

「冗談!」

『面会者二名、私語が多いぞ』

「すみませーん」


 返事をするとスピーカから溜息が聞こえた。

 おれは腰を椅子に落ち着けながら、ミナさんのほうをみた。


「ちゃんと捜査の一環よ。そう言って連れてきたでしょう」

「ミナさんがそういうってことはそうなんでしょうけど、けど、説明はちゃんとしてください」

「ええ。ごめんなさい」


 ミナさんは少し目を伏せた。

 会話がよどむ。

 おれは、少し考えて、いまなら聞けるかな、と思った。


「前から聞きたかったんですけど、どうして私なんですか。自分でいうのもなんだけど……素行不良の、ヤンキーあがりのいち巡査ですよ」


 おれが言うと、ミナさんは、目元に垂れた髪を脇へと流しながら答えた。


「鼻が効くからだよ」


 意味がわからなくて、続けて尋ねようとした。だけどそれより先にスピーカから声がした。


『お連れしました。面会は十分間。物品の受け渡しは不可、会話内容は録音・録画させていただきます』

「通してくれ」


 鏡が、透過性を取り戻す。

 窓の向こうで扉が開く。

 手錠をかけた、温和な表情をした女性が姿を現した。


「ニア」


 初めて聞く、おだやかな声をミナさんが発した。やさしく、そっと肌を撫でる指先のような声音ひとつで、二人の関係がうかがいしれた。


『ミナ……ひさしぶり』


 ニアと呼ばれた女はパイプ椅子に腰かけると、思わず肩の力が抜けるようなやさしい笑みを浮かべた。

 たとえるなら陽だまりに咲いた野花みたいな、犯罪者らしくない笑みだった。

 テレビでみるよりずっと美人だ。

 ニアは犯罪なんて言葉が似合わない、穏やかな日常という言葉を擬人化したらこんな姿になるだろう、と思える見た目だった。

 黒い壁に取り付けられた窓枠が、まるでキャンバスの切れ目だった。

 パイプ椅子に腰掛け、静かな微笑みを向ける姿は、たとえるならフェルメールが描いたモナ・リザだ。

 やわらかい線で描かれた曲線。

 それがかたどる、肌。

 オレンジ色の囚人服が、そういうファッションなんじゃないかと思える。

 小さな丸顔に、肩ほどまで自然に伸びたくせっ毛がかわいらしい。

 だけど、だから。

 濃い青砂のような瞳が、薄っぺらい感情しか映していないように見えることが、気味悪かった。


『そちらの方は?』

「いまの部下」

『新しいパートナーさん、ですか』

「違う。部下……私には、ニアしかいない。知ってるでしょう」


 ミナさんは身を乗り出して、四角い窓枠に手を当てた。

 じっと、ニアの目を見つめる。

 ニアは青砂色の瞳をミナさんに向けて、手錠のかかった手を、窓越しにミナさんに重ねた。


『今でも、そう思ってくれているのね』

「そうじゃなかったら、あのとき、撃ってた」

『でも一年会いに来なかった』

「理由があったから……あなたをそうした連中を探していたから」


 ミナさんはおれの存在なんか忘れてしまった様子でニアと話している。

 後ろで気配がした。立ち上がり、おっさんとミナさんの間に立つ。

 角で仕事をサボっていたおっさんは、おれと少しにらみ合いをしたのち、溜息をついて部屋の角に戻っていった。


「一年前、あなたは東京高速の爆破を実施した。あれは……佐城を殺すためだった。違う?」

『そうですよ、ミナさん』

「どうして?」

『佐城さんはミナさんのパートナーになりそうだったからですよ』

「ありえないって、何度も否定したのに? 彼女は……警視総監になって、現場がよりスムーズに動くようにシステム改革に取り組むつもりで……」


 バン! と、窓が叩かれた。

ニアは変わらぬ笑みを浮かべたまま、ミナさんを見ている。


『そうやって今でも、話題にするくらいには、特別になっていたんじゃないですか』

「……あなたのことも特別よ」

『でもわたしの、あなたの中での重みは、佐城さんほどでした? わたしは、あなたのすべてを満たせないでしょう?』

「あなたは私の存在の核、あなたがいるから、今の私があって……それじゃあダメなの」

『ダメです』

「違う、そう思わされてるだけよ。ちゃんと言って。だれに、なにをされたか」

『なにも、されていませんよ』

「うそよ! あなたと私は、この距離で隔てられるべきではないのよ……窓越しに会う関係も、ふさわしいわけ、ない」


 ニアは溜息をはくと、窓ガラスからそっと手を離した。

 ミナさんはいっしゅん、泣きそうな目をした。

 うつむいたとき前髪が垂れて、その瞳を隠した。

 ミナさんもニアも、席に座る。おれも腰を下ろす。

 言いしれぬ思いが渦巻いていた。

 ニアという女は、異常だ。そう、直感していた。

 ミナさん以外のすべては不要だといわんばかりの目。

 見ればわかるはずなのに、ミナさんは、ひたむきな目をニアに向けている。

 なんでそんな目をするのかわからなかった。

 ニアはミナさんの視線を受けて、困ったような笑みを浮かべた。


『ミナ、あなた、わたしがよくわからない組織に接触されて、ドラッグとか、洗脳とか……なんらかの手段で、こういう考え方に変質した、とか、そう考えているんでしょう? でも……認めないとダメよ。

 わたしは、はじめから、こうだった。ずっと我慢していただけ。あなたが好きだから、他はぜんぶいらない。二人きりでいられるなら、世界なんてどうでもいい。その手段が与えられるなら、正義とか悪とか、どうでもいい。そう考えるんだ、ってこと……わたしはただそう考えるよう生まれついた、それだけのことだって。

 この世の中には、どうしてかわからないけれど、この世で正しいとされることの真逆を行くことで成功する道をありありと想像できるたぐいの人間がいる。それを認めなきゃ、いけない……わかりましたか、ミナさん?』

「……だったら、どうして逆さ十字のボスなんて位置にいるの。あなたは、警官と犯罪者を両立させられるほど器用じゃあない。それとも、それもウソ?」

『あのとき下剋上をしただけですよ。だって、彼らはもともと、ミナさんを殺そうとしてたんですから。だから殺しました』


 あっけらかんとした言葉に、ミナさんは息を呑んだ。

 なにを話しているのかおれには解らなかったけれど、なにか重大なことが明らかになったことだけは、わかった。


『逆さ十字は、組織だけは大きいですから。だから、どうしてミナさんがここに来たのかも、本当はわたし知ってるんです。東京府の変電所に発見された細工の痕跡と、未然に防がれた法務大臣の誘拐事件。そして、各地にあった、三つの穴』


 ニアは薄笑いを浮かべたままミナさんをみていた。

 その視線が、とつぜん、私を向いた。


『クロエさんならわかりますよね。映画、お好きですから』

「え……?」


 青砂色の瞳は、ガラスでできているようだった。

 そこには映っているものしか存在していなかった。

 一瞬、さっきまで自分が存在していなかったんじゃないか、なんて、ありえない妄想に囚われた。

 寒気がして……言われたことがわからない。


『聞いているんですよ。あなたなら、お察しでしょう、って。変電所、誘拐事件、三つの穴。そのうち、二つは、ダメだった』


 それでようやく、おれは、どうして今日、ここへ来たのかを思い出した。

 一週間前、おれがミナさんと出会うきっかけになった事件。

 法務大臣の訪日を狙った「逆さ十字」による誘拐未遂が、なぜかおれの務める駐在所の目と鼻の先で起きるという予告が届いたのだ。

 二週間前に届いたその匿名の手紙を皮切りに、おれの街では暴走族が暴れたり、略奪まがいのデモが発生した。富の再分配がどうとかいって、銀行強盗も三件起きた。そのいずれも、現場には逆さ十字のマークがあった。

 そして法務大臣の誘拐未遂。

 ミナさんはそこにも逆さ十字があったことで、ここへくる決断をしたのだった。

 だが、穴の話は、無関係だと考えられていたはずだ。

 だが、そうじゃない? 頭が、言われるがままに動きはじめる。

 考えが進む。三つの穴、二つの失敗。二つの失敗した事件。


『よく考えてみて、クロエさん。逆さ十字は、つねにメッセージを伴う集団よ。個人ではなく組織として、なにを言いたいか。予告までしたのだから……』

「ニア、あなた……何か知っているんでしょう?」


 ミナさんは語気を荒くした。


「答えてよ、ニア。どうして、私に話してくれないの」


 そのとき、ふっと寒気が消えた。ニアが視線を、ミナさんに再び向けていた。


『窓をね、壊さないといけないんですよ』

「……え?」


 ニアは言った。


『窓は、あちらとこちらを隔てるものなんです。透明にしても、自由に行き来できる扉のようなものにしても、足りないんです。この世界の、多数派が、あちら側にあるのなら、わたしたちみたいな人間は、窓の向こうの存在でしかないんです。ミナさんが、それを、わかってくれないから……もしかしたら、そうかもしれないって、考えもしなかったんでしょう?』


 とっさにミナさんに顔を向けると、顔色が青ざめていた。

 ミナさんは怯えていた。

 腕が震えていた。

 おれはニアに目を向けた。

 ニアはおれのことなんて見ちゃいなかった。


『ミナさんの窓を、わたしが壊してあげます。そのついでに、みんなの窓も壊してあげようとおもうんです。あちらとこちらを隔てる透明なものを、まとめて、ぜんぶ。

 そのためには、三つの穴が必要だったんですよ、クロエさん』


 視線がこちらを向いた瞬間に、気がついた。


「……大脱走」


 ニアは、微笑んだ。


『今度は、ディックが使用された、ってことです』


 とつぜんニアは立ち上がった。窓越しに見えるのが、足だけになる。

 そして視界の外に消えた。


「ニア、やめて!」


 それだけで何が起きるのか、ミナさんは理解したらしい。

 窓に、飛びついて、叩いて、止めようとする。

 おれは動けなかった。

 動くより先に全てが終わった。

 黒い壁越しに、男の抵抗する声と、悲鳴と、骨の折れる音がした。

 それから、なんどかの、殴打。


『もう始まっているんです』


 ふたたびニアが窓の前に戻ってきた。

 ニアは血に濡れた、手錠のない手で、窓越しにミナさんの涙をぬぐった。


『帰り道は、気をつけて』


 建物が、揺れた。

 地震ではない。

 始めは遠くで、しかし、立て続けに。

 警報が鳴りひびく。

 後ろにいたおっさんの通信機から、声と、悲鳴と、銃声がしていた。

 慌てた様子でおっさんが飛び出す。


『またね、ミナ』


 ニアはそういって窓から離れる。

 おれは拳銃を抜いた。

 銃口を向けたとき、それより早く、ミナさんが割って入っていた。

 涙に濡れた、けれどハッキリした目で、おれを睨みつけていた。


「どいてよ」

「殺す気でしょう」

「当たり前だ」

「許すわけがないでしょう」

「非常事態でしょう!」

「許さないと言っている!」


 ミナさんは、動かなかった。

 そのとき、廊下で銃声がした。誰かの悲鳴と、倒れる音。


「……いまはここを脱出するわ。ついてきなさい、クロエ」


 ミナさんは拳銃を構えた。

 言いたいことが山ほどあったが、その意見には賛成だった。

 おれは血のついた窓をめいっぱいにらみつけてから、面会室の出口の扉を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

東京府警警視庁特別係 FILE 12「窓ガラス一枚の距離」 犬井作 @TsukuruInui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ