第15話 はじめての・・・
「もう、むかつく。なんなんだよあいつ。あたしのことなんか知りもしないくせに。関係ないじゃんかよ」
通りをひとりで歩きながら、サターニアはもはや何度目になるかも分らない文句をこぼした。自分がすることは自分で決める。誰について行こうと自分の勝手だ。せっかく家出してきたのに他の奴にあれこれ指図されるなんて真っ平だ。
バルトレイクは最も勢力のある大国の首都である。古いばかりで時が止まっているようなケイオスとは違って、適当にぶらつくだけでもいくらでも楽しめるはずだった。
実際、着いたばかりの頃はそうだった。見るもの聞くもの全てが珍しく、好奇の種はいくらでもあった。本当のところ、今も状況はさして変わっているわけではない。サターニアは当然のようにひどい世間知らずのままだ。だが視線は街の風物を追っていたとしても、心までは届いていない。代わりに思い浮かぶのは、金髪で翠の瞳の偉そうな少女のことばかりである。
「あ、マオーいた」
交差した道の奥で、真っ白い少女が声を上げる。だがサターニアは気付かない。真っ直ぐ歩き過ぎようとした魔王のもとに、トトはとてとてと走り寄った。後ろからむんずと手を掴む。
「わひゃっ!?」
途端、サターニアはびくんと震えた。まるで体の内側を超速の波が走り抜けたかのようだ。かつて経験したことのない衝撃だった。
だが何事かと見定める間もなく、異常な振動は消えている。幻にしてはあまりに激しく、現実にしてはあまりに短い出来事だった。
戸惑いながらも掴まれた手を引き寄せる。その先にいたのはルナと共にいた少女だ。真っ白い顔の中で、二つだけ赤い瞳が不思議な深さでサターニアを見上げる。
「おまえ、確かトトだっけ? 今のは……」
サターニアはふるふると頭を振った。きてれつな感覚の名残りを追い払う。あまり突っ込まない方がいいと、何かに囁かれた気がした。
「えっと、あたしになんか用? あ、もしかしてあのうっさい女に言われて来たんじゃない? そっか、やっぱりあたしに謝りたがってるんだ。あいつがどぉーしても仲直りしたいっていうなら、考えてやらないこともないけどね」
自分に都合のいい推測を並べ立てるサターニアの手を、ぐいぐいとトトが引っ張る。
「ルナとヤーシャがめんどくさいから、来て」
「全然分んないよ。あとヤーシャって誰? うーん、なんかどっかで聞いたことがあるような気もするな……」
サターニアはもどかしげに眉をひそめる。
未だ規模は小なりといえども異なる種類の氣のぶつかり合いは陰陽の均衡が崩壊する端緒となりかねず放置するべきではないものの今のトトがどうにかするのは大変なのでサターニアに丸投げしたい、と説明するのは面倒だった。さらに現在は陽の氣が優勢となっている世界をたったひとりで引っ繰り返すだけの陰の氣を蔵するサターニアを介入させることでかえって収拾不能の事態に陥る可能性については、考えるだけでも疲れそうなのでトトは潔く目をつぶった。
「いいから、来て。マオーならふたりいっぺんに相手してもいけるから。受けでも攻めでもやりほーだい」
具体的なことはさっぱり分らなかったが、サターニアはトトの案内に従うことにした。真っ白い少女にただならぬものを感じたせいもある。それにこれから向かう先にはどうやらルナがいるらしい。もし困っているなら助けてやりたい、ではなく、恩を着せる好機である。それを口実にしてあれこれさせてやろう。肩揉みとか買い物の荷物持ちとか。魔王の名にふさわしく邪悪な欲望を胸に秘めたサターニアは、やがて少女達の戦いの場へたどり着いた。
険しい面持ちで拳を構えるのはルナだ。せっかく綺麗に編み込んであった金の髪はほつれて脇に垂れ、仕立ての良いブラウスやスカートもところどころ破けて汚れている。中には出血による染みもあるようだ。
「あれがヤーシャって奴か。人間と喧嘩するとか、馬鹿なの?」
自分と同じ年頃の魔族にサターニアは刺のある視線を向けた。格好こそ薄汚れているものの、ルナとは違って格闘の結果などではなく元からだろう。ヤーシャ自身には傷一つなくて、短い黒髪から生えた角をそびやかし、しかつめらしくルナを睨み据える。
「人族にしてはよくやったと褒めてやる。だがもう負けを認めろ。まだ抗うというなら容赦はせんぞ」
ヤーシャの角の先端から、青い小さな火花が散った。サターニアにとっては鼻息みたいなものでも、人族には恐ろしく感じられるに違いない。それでもなおルナは昂然と顔を上げた。ヤーシャの視線を怯むことなく受け止める。
「……わたしは絶対あきらめたりなんてしない。わたし達はわたし達自身のために生きる権利があるのよ。理不尽な力には屈しないわ。魔族だからって自由に好き放題できると思ったら大間違いなんだからね」
ルナの言葉を聞くと、ヤーシャは口元を急角度でひん曲げた。無意識のように荒々しく地面を足で踏みつける。
「お前っ、そんな可愛い服を着てるくせに不自由してるみたいに言うな! どうせ毎日いいもの食ってぬくぬく暮らしてるんだろう! 少しは我慢の生活をしてみろ! 苦労知らずの嬢ちゃん育ちが!」
「はあ? 冗談じゃないわよ。こっちはね、会ったこともない相手と結婚する破目になりそうなのよ? 魔族がわたし達を力で支配してるせいでね。どうやって責任取ってくれるわけ?」
「そんなこと知るか! 私だって本当は毎日三食食べたいんだ!」
「知らないわよ! わたしは好きな人としかしたくないの!」
「マオー、出番だ。えい」
「ほへっ?」
「ちょっ、危なっ……」
「おいっ、何をっ……」
絶妙の瞬間だった。背中を押されたサターニアは、全く抵抗できずにルナとヤーシャの真ん中へよろめき出た。ふたりは拳を止めようとしたが間に合わない。たたらを踏んで前に崩れる。そしてそこにはサターニアがいた。
チュッ。
「にゃっ」
チュッ。
温かい。いやむしろ熱い。
「まあ、ヤーシャ様もルナ姫も大胆だこと。眼福ね」
艶かしい吐息が聞こえる。サターニアを挟んだふたりが、ぎくりとしたように身を固くした。
なんか、むかつく。
「さっさとどけっ」
ふたりをまとめて突き除ける。サターニアは両のほっぺをごしごし擦った。火傷したみたいな感触はなかなか消えてくれない。
妖しい笑顔を浮かべた娘がルナとヤーシャの方へ近付いていく。誰だ。どういう関係だろう。気になる。いや、ならない。サターニアはルナのことなど何も知らない。知らなくたって困らないから。
「マオー、おつかれ。世界の危機はひとまず去った。でもぼく達の戦いはこれから。がんばれ、おー」
「……がんばらない。あたしそんなこと知らないもん」
ふんわりと拳を掲げるトトに、サターニアは赤くなったままの頬を膨らませた。
(「第一章 少女達の邂逅」 了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます