第14話 ルナ見参

「ねえトト、ちゃんと正直に答えてね。あなたは自分から家出したわけじゃないのよね? たとえばおうちの人とケンカしたとか、お手伝いが嫌になったとか、そんな理由で」


 もしそうならルナが最初にするべきは、トトの家を探して送り届けることだ。そのうえで家庭に問題がありそうだと分ったら、改めて対策を考えなければならない。

 しかしトトはごまかす素振りもなくあっさりと首を振る。


「んーん、追い出されただけ。ぼくからは帰れないし。物理的に無理」

「……そう」

 物理的に無理というのはちょっと意味が分らないが、帰れないというのは本当だろう。これでもルナは一国の王女だ。政治家や外交使節といった油断ならない人種と会話する機会も多くあるし、トトのような子供の嘘を見抜く自信はある。

 おそらく難しい事情があるのだろう。詳しく聞き出すのはもっと親しくなってからにするとして、まずは当面の身の振り方を相談する。


「親御さんも、面倒を見てくれる人もいないって言ってたわよね。行く当てはあるの?」

「ない。けど平気。眠くなったら、ぼくどこだって寝られる」

「分ったわ。全然平気じゃいのね」

 欠伸をして物欲しげにベンチを見つめる少女の姿に放置は危険と判断する。


「いいわトト、わたしと一緒にいらっしゃい。一日三食と、ベンチよりも柔らかい寝台は保証するわ。その代わり、わたしの言いつけはちゃんと守ること。約束できる?」


「んー、難しい。ぼくがどうするかは、ぼくにも分らない。その時しだい」

 赤い瞳が惑うように揺らめく。ルナは怒らなかった。単なる子供のわがままや屁理屈として流せないものがあるのを感じる。


「それなら、なるべく守るようにする、でいいわ。無理そうな時はできる限り事前にわたしに相談にしてね。それならどう?」

「ん」

 トトが頷く。


「ルナは優しい。賢くて気も回る。きっとそのうち神のご利益があるはず」

「あはっ、そうなったらいいわね。これからも神様に見られて恥ずかしくない生き方を心掛けるわ」


 楽しげに応じると、ルナは真っ白い女の子と手を繋いだ。バルトレイクでの滞在先へと向かう。普通の旅行者のための宿ではなく、ランディア王国が所有している建物だ。政治外交等で利用されることが多いため、街の中でも官庁街寄りにある。


「……変ね。誰も歩いてない」

 ルナは不審を洩らした。商業区に比べれば人通りも少なく、どこか緊張した空気が漂う辺りとはいえ、それにしても異様に静かだった。まるで近隣の誰もが逃げ出すか、引きこもって息を潜めているかのようだ。


「何かあったのかしら。もし暴力事件とかなら、逆にもっと騒ぎになってそうなものだけど。トト、一応用心してね。もし危ないと思ったら、わたしのことは気にせず逃げるのよ」


「ん、分った。いざとなったらルナは置いてく」

「素直ないい子ね」

 思わず苦笑を洩らしたルナだが、角を曲がった途端にきりっと表情を引き締めた。


「トト、下がって」

 素早く後退りすると、建物の陰から顔だけ出して行く手を窺う。

「……あれは、魔族?」

 ここから見えるのは後ろ姿だが、頭の上の二本の突起と、腰から伸びる鞭状の部分からして、人間のはずがない。間違いなく角と尻尾である。


「どうしてこんな所に魔族がいるの? ああそうか、代官府が近くにあるから、魔族のひとがいること自体はそんなに不思議ではないのかも。だけど……」

 問題は現在の状況だ。魔族のさらに向こうには、剣を抜いた兵士の小隊がいる。明らかにただ事ではない。ほとんど一触即発といった雰囲気だ。そしていっそう事態を悪くしていると思えるのが、魔族のすぐ傍らに人族の女性がいることだった。


「きっと拉致とか人質よね。どっちにしてもぐずぐずしていられないわ。魔族相手にわたしの力がどこまで通用するかは分らないけど……行くのよルナ、女は度胸っ!」

 一呼吸で覚悟を完了して駆け出した。兵士達と対峙していた魔族が気付いて振り向く。意想外に若い姿にルナは驚く。体つきの方はまだしも、顔つきの幼さはまだ少女と言っていいほどだ。ルナよりも年下かもしれない。


 だが油断するなどとんでもない。魔族の少女からは非常に強い力の波動が伝わってくる。しかもルナの操る陽の氣とは違う。おそらくあれが陰の氣だろう。もしまともに攻撃を喰らったらかなり大変なことになりそうだ。


 向こうもルナを警戒すべき相手と認めたらしく、戦闘態勢で身構える。それでもルナは退かない。限界近くまで陽の氣を込めた拳を振り上げ、強敵めがけて一直線に突っ込む、否。


「なっ?」

「あら?」

 接敵の寸前、ルナは身を横に翻した。驚いた顔をする人質の女性を小脇に抱え、咄嗟に反応できずにいる魔族から全力で距離を取る。


「大丈夫でしたか? 怪我は?」

 確保は成功、腕の中の女性に安否を問う。この人も若い。やはりルナと同じぐらいの年齢のようだ。


「え、ええ、私はなんともありませんけど、ヤーシャ様は……」

「ヤーシャって、あの魔族のことね? わたしに任せて。きっとなんとかしてみせる」

 心配そうな相手を遮り、勝ち気に胸を叩く。


「わたしはルナ。あなたは?」

「……セリアです。セリア・バントックと申します」

「セリアが無事で良かったわ。片付いたらあとでゆっくりお茶でも飲みましょうね」

 抱いた腕に力を込めて、いたずらっぽく笑いかける。瞬間、セリアは目を瞠った。それから楽しそうな微笑を返す。

「喜んで」

 ルナは最後にもう一度セリアを抱き締め直してから、兵士達の保護に委ねる。


「この人のことをお願いします。巻き込まれないように注意してあげてください」

「それは了解したが、お前はいったい何者だ? 魔族相手に戦おうなど、ただの民間人の娘にはとてもできることではないぞ」


「わたくしの名はルナ・ランディア、ランディア王国の王女です。民を守り導く者としての責務を果たすため、武技の修練はこれまで怠りなく積んできています。人族の誇りに懸けて、魔族の横暴に易々と屈しはしません」

 驚く兵士達には構わず、ルナは魔族の少女の方へ向き直った。苛立たしげにこちらを窺う相手に対し、びしりと指を突きつける。


「魔族ヤーシャ! 弱きを助けることこそ強き者の責務でしょう! それなのに少女を人質に取るなんて卑劣にして真逆の振る舞い、恥を知りなさい!」

「な……なんだと!?」

 ヤーシャは初め唖然とした様子になり、そしてすぐに憤怒の形相を浮かべた。


「誰がそんなことをするものか! さっさとセリアを返せ! その娘には大事な用があるんだ。もし邪魔をするなら叩きのめすぞ!」

「いいえ、あなたの手には渡さないわ! セリアはわたしが守る!」

 高らかに言い放つと、ルナは今度こそヤーシャに挑みかかった。手加減は一切無用、陽氣でがちがちに固めた文字通り岩をも砕く拳を、全力全霊で打ち放つ。


「ふざけるな、セリアは私の連れだ! お前になど渡さん!」

 ヤーシャはルナを正面から迎え撃った。人族相手に姑息な技は不要とばかり、真っ向から拳を合わせる。相異なる二種の力がぶつかり、激烈に弾き合う。衝撃の余波が突風となって周囲を揺らし、踏みとどまれず後ろに退った魔族の少女は驚きを洩らした。


「……馬鹿な。人族が私の拳を打ち返しただと?」

「……あの直突きを弾くなんて、さすがは魔族ね。でもいける。十分戦えるわ」

 不敵な笑みをルナは浮かべた。恐るべき難敵なのは間違いない。それでも全然歯が立たないわけではない。地面をしっかりと踏み締め、体と心から陽氣と勇気を絞り出す。


 闘志を高めるルナを前にして、ヤーシャは静かに息を吐いた。

「いいだろう、お前の力は分った。少しだけ本気を出してやる」

「負け惜しみ? そういうのって、すっごくかっこ悪いわよ」

 再び拳を交えようと、少女達が睨み合う。


「ああ、私はいったいどうすればいいの?」

 熱くなるふたりの姿を見つめながら、セリアは我と我が身を抱き締めた。

「ヤーシャ様とルナ王女殿下が私のために争うなんて……ふふっ、素敵」


 背筋をぞくりと震わせて、頬にはうっとりした笑みが広がる。傍にいた兵士がおののいたように半歩遠ざかったが、セリアの意識はルナとヤーシャに釘付けだ。

 そしてルナの連れの真っ白い少女がいなくなっていることに、気付いた者はいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る