第12話 街に魔族
「それではよろしくお願いしますね。毎度ありがとうございます」
商談を無事に終え、セリアは訪問先を後にした。これで今回バルトレイクで予定していた用件は全て済んだことになる。真っ直ぐ商会の支所に帰ってもいいし、暫く気ままに散策してみるのも悪くない。街歩きは重要だ。偶然近くにいた人達の会話から思わぬ情報が得られることもあるし、あちこち適当に見て回るだけでも景気や市場動向についての一端を把握できる。
「そういえば代官府はこの近くだったわね」
せっかくなのでちょっと足を向けてみようかと思う。もちろんふらりと立ち寄ったところで、世界最有力魔士であるベン・シアンに面会できるわけはない。支所員に確認したところによると、シアンは約束のない相手には決して会わず、しかるべき伝手がなければ約束を取り付けること自体ができない。バントック商会の看板を以てしてもかなり難しいらしい。
「それはそれで開拓のしがいがあるというものだけど……今日のところは周りを見物するぐらいで満足しましょう」
楽しみはあとに取っておく。いずれ近いうちには大手を振って代官府へ立ち入れる立場を手に入れよう。そのための計画をあれこれと練りつつ歩いていたセリアは、ふと違和感を覚えた。
「何かしら。妙に慌ただしいわね」
こちら側へ来る人達が揃いも揃って早足か小走りだ。まるで危険な場所から遠ざかろうとでもしているみたいである。
「すいません、何かあったんでしょうか?」
比較的落ち着きを保っていそうな人に声を掛ける。山高帽をかぶった紳士は親切にも足を止め教えてくれた。
「魔族がいるんだよ。様子が危険だから君もこの先へ行くのはやめなさい。なにしろ殺されても文句を言えない相手だからね」
「まあ、そうなんですか。ありがとうございます。気を付けます」
丁寧に会釈をすると、セリアは魔族がいるらしい方に向かって再び歩き出した。もちろん危ない真似をするつもりはない。そんなつもりはさらさらないが、やはりこれは千載一遇の機会である。魔族は魔士のシアンのさらに上位の存在だ。もしも運良く誼を通ずることができれば、円滑な商取引実現のため大きな助けとなってくれる可能性がある。
昼日中にもかかわらず大通りからすっかりひとけが絶えた頃、セリアは途方に暮れたようにひとり路傍に立ち尽くす少女を見つけた。
「あの子が魔族なのかしら……?」
なかなかに予想外な姿だった。身長も年齢もセリアより少し上ぐらいだろうか。心許なげな横顔はむしろ年下にも見える。魔族と聞けば普通は暴虐な支配者像を思い浮かべるが、それと比べてずいぶん親しみやすそうだ。
それでも頭には立派な二本の角が生えているし、腰の辺りからは尻尾らしきものが伸びている。もし作り物の飾りなどでないとすれば、広く伝えられている魔族の特徴そのものだ。若干の警戒心は抱きながらもセリアはその少女へ近付いた。にっこりと笑顔を向ける。
「こんにちは」
挨拶をするとすぐさま魔族の少女は振り返った。残念ながら笑い返してはくれなかったものの、それでセリアが落ち込むことはない。交渉が始まるのはこれからだ。
まことにもって腹立たしい。人族には礼節を弁えた者はいないのか。声を掛けられたら返事をして相手の話を聞き、問われたことに答える。当り前のことではないか。
生まれ育ったマサラ城を出て数日、ヤーシャの惑いと苛立ちはあふれんばかりに募っていた。
自分が無計画だったのは否めない。魔王の居城があるケイオスを目指して旅に出たのはいいものの、行き方が分らないことに途中で気付いた。最初の日が暮れる頃のことである。誰の姿もない森の中、引き返そうかという考えが過ぎったのを払い除け、ヤーシャは断固として前に進むことを選択した。
魔族に二言なし。ひとたびこうと決めたなら、何がなんでも貫き通す。
強い意志とともにヤーシャは歩き続けた。夜は木の根元か、それさえ無理なら道端でごろ寝をした。人族の街で宿を取る方法が分らなかったからとか、そういう情けない理由では決してない。ヤーシャは強さを以て誇りとする気高き魔族である。それも事と次第によっては魔王に挑もうという気概さえ抱いている。ならば目的地へと向かう道程もまた己を鍛える修業場と心得るべきだ。ぬくぬくとした贅沢な旅など論外、そもそも金を持っていないという事実だって関係ない。
獣を狩って焼いて食い、川や池の水で渇きを癒やす行程の果て、ヤーシャはやたらと大きな街にたどり着いた。マサラ城下の何倍あるか分らない。これほどの場所ならば、きっとケイオスとも交流があるだろう。魔王城は人族禁制だとしても、貢納物の受け取りは必要だからだ。
もちろんそこらの人間がケイオスへの道筋を知っているとは限らない。だが知っていそうな人間の心当りならあるかもしれない。片っ端から尋ねてゆけば、いつかは求める情報を得られるに違いない。
我ながら見事な機転だと自負したが、目算は初めから外れた。誰もヤーシャの話を聞こうとしない。無視されるのではない。むしろ逆だ。ヤーシャの姿を見るやいなや、誰もが回れ右して逃げていく。なぜだ。いったい自分が何をした。この街の者どもは魔使のロシェにさえ劣る。甚だ不愉快な男だが、あれでも会話はできたのだ。
理不尽に恐れられるぐらいなら、いっそ本当にひと暴れしてやろうか。そんな衝動さえ湧いてくる。
「こんにちは」
ふつふつと荒ぶるヤーシャの心を、落ち着いた声がこつんと叩いた。反射的に振り返ると、若い娘がいた。おそらくヤーシャと同じぐらいだろう。しかし佇まいは大きく異なる。
娘の纏う慎ましくも品のある装いが、物柔らかな微笑によく似合っている。対してこちらは旅の埃にまみれた粗野な服だ。丈夫だけが取り柄で、およそ色気のかけらもない。娘と並ぶにはあまりに不釣り合いな格好だった。ヤーシャは気後れしそうになり、しかしすぐに馬鹿らしいと振り払う。なぜ釣り合いを取る必要がある。自分とこの娘には何の関係もない。いつか親しい関係になる予定もない。そんな未来は考える余地もない。
黙り込むヤーシャに、娘が怪訝な顔をする。
「あの、どうかされましたか?」
「どうもしない! 私は誇り高き魔族だぞ、お前のような人族の娘を相手にどうなるというんだ? なるはずがないだろう!」
「はあ……」
急にいきりたったヤーシャにも特に恐れたふうはなく、娘は落ち着いた所作で礼を取る。
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