第11話 ハグ

 ルナは払い除けられた手を唖然として見つめた。信じられない。相手は練達の兵士でも筋骨隆々たる大男でもない。ルナより小柄で、きっと年齢だって下の少女だ。徒手格闘なら並の近衛騎士をすら圧倒する自分が後れを取るなど異常事態だ。


 ルナは改めて少女を見直した。愛らしい薄桃色の瞳がルナを見返す。反抗的な表情はいかにも幼げだ。立ち姿勢の重心がぶれている。次の動きへの備えができていない。やはり素人だ。ならばルナが負ける道理がない。一呼吸を入れてから、再び少女の腕を取りにいく。


「せいっ」「ふんっ」

「せやっ」「へんっ」

「てやっ」「はんっ」


 当たらない。剣の連突きさながらに繰り出されるルナの手を、少女は易々と弾き落としていく。不規則に速度や角度を変え、牽制や虚打を織り混ぜても無駄だった。ひどく粗雑な動きのくせに、動き自体がやたらと速い。まるでルナの知らない特殊な力で体が増強されてでもいるかのようだ。


「あなた変よっ。ほんとに人間なの!?」

「むっ」

 悔し紛れの憎まれ口に、少女はなぜか尖った石でも踏んづけたみたいに固まった。


「隙あり!」

 こせこせと腕を取りにいくのはもうやめだ。体ごと捕まえてやる。ルナの体当りに意表を突かれ、少女の反応が決定的に遅れる。


 勝った!

 勢いづいた気持ちのまま思いきり抱きすくめる。ふわりと甘酸っぱい香りがルナをくすぐる。自分よりも小さく細い体はびっくりするぐらいに柔らかく心地が良くて、いっそう強く力を込める。今にも一つにとろけてしまいそうだ。いつまでもずっとこうしていたい。


「こんなのおかしいよ……おまえ、あたしをどうするつもりなの?」

 少女が喘ぐような吐息を洩らす。ルナは自分の体温がぐんぐん上がっていくのを感じた。


「あなたをどうするかなんて、そんなこと決まってるじゃない。それはね、えっと……」

 なんだろう。ルナの頭の中は空っぽだった。これからどうすればいい。抱き締めたなら、次はやはりくちづけか。恋人同士なら自然な流れだ。だけどルナ達はまだ違う。まだも何も会ったばかりだ。相手の名前さえ知ってはいない。


「……えっと、どうすればいいのかしら」

「あたしに訊かれたって分んないってば……」

 少女も答えを持ち合わせてはいないらしい。どちらも分らないならこのままこうしているしかない。うっかり離れたりしないように少女をいっそう強く抱き寄せる。


「んっ」

 少女はもじもじと身動ぎをして、それでもルナを振りほどこうとはしない。きっと嫌がってもいない。嫌ではないならもっと先に進んでいいのだろうか。


「じーっ」

 文字通り手探りするルナ達を、真っ白い女の子が凝視している。気付いたルナの顔は一気に火照った。まずい。すっかり忘れていた。自分には迷子らしき連れがいたのだ。


「じとーっ」

「ト、トト、違うのよ! これはそういうのじゃないから!!」

 全力で否定する。だってやっぱり教育上よろしくない。何がどうしていけないのかは定かでないままに、ルナは腕の中の少女を思いきり突き飛ばした。


「はにゃっ?」

 やけに気の抜けた悲鳴が耳に届いて、自分がしでかしたことにぎょっとする。生まれながらに陽の氣を扱うのに長けたルナは、軽く常人離れした剛力の持ち主なのだ。普通の女の子相手に本気を出したりすれば、大怪我は必至である。

 案の定、薄桃色の瞳の少女は大型馬車に跳ねられたみたいにズタボロになって、いない。


「いきなり何すんだよ。おまえのすることってほんとわけ分んない」

 わずかによろめいただけで、拗ねたような顔を向けてくる。痛そうな素振りもない。強いて被害を見つけるなら、お団子にくくった髪が乱れているぐらいだ。


「……あなた、頭は確か?」

 間違った。頭ではなく髪型だ。

「おまえって、ほんとむかつく」

 少女はますます口先を尖らせた。まずい。早く誤解を解かなければ。


「ごめんなさい、悪気はなかったのよ。あなたがあんまり可愛かったから、つい」

 また間違った。あなたの髪型が、と言うつもりだったのだ。少女はびくりと後退りした。


「ちょっと待って、変なつもりはないんだから! そもそもね、あなたがあんなクズっぽい男について行こうとしたのがいけないのよ。軽率にもほどがあるでしょう。女の子ならもっと慎みを持ちなさい」

「そんなのあたしの勝手だし。なんで名前も知らない奴にガミガミ言われなきゃいけないんだよ」


「ルナよ。これでわたしの話を聞く気になった?」

「サターニア。べーっだ。あたしはあたしのやりたいようにやるんだ。誰の指図も受けないんだから」


「あっそう。だったら好きにしなさいよ。あなたがどんな男に引っ掛かって泣こうが喚こうがわたしの知ったことじゃないものね」

「言われなくたって好きにするし。そのために城を出たんだから」


「ふんっ」「へんっ」

 二人同時に横を向く。ルナは右、サターニアも向かって右だ。思わず様子を窺うと、サターニアもこちらをチラ見していた。翠と薄桃の瞳がぴたりと向き合う。


「……なんでこっち見てんだよ」

「なんでもないわよ。あなたこそ」

「へんっ」「ふんっ」

 二人は同時に背中を向けた。


「トト、行きましょう」

 あくびを洩らしている真っ白い女の子の手を握り締め、ルナは早足で歩き出す。

「ごめんね、関係ないことで時間取っちゃって。でも安心してね。あなたが探してる人はきっと見つけてあげるから」

「それなら後ろに……んー、いっか。まだ放っておいてもだいじょぶっぽいし?」

 ルナに引っ張られながらトトが呟く。もし大丈夫ではなくなったら果たしてどうなってしまうのか。それは神のみぞ知る、否、神さえ知らぬことだった。

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