第10話 屋台にて
「ふーん」
一面の深黒、それでいてなお鋭い光沢のある石碑を、サターニアはぺたぺたと撫でくり回した。結構凄い。超高密度の陰氣を全体に封じ込んである。もし取り出して衝撃波に変換すれば、この街の二つ三つぐらいは軽く吹っ飛ばせるはずだ。
始祖王が人族から従属の誓いを受けた時、攻撃のために溜めていた氣を使って建立し、以て和平の証としたという伝承があるらしい。たぶん事実だろう。その後暫くは反魔族派の人間達が何度か破壊を試みて、だが掠り傷一つつけられずに終わったという。結果、どうあがいても魔王には勝てないとあきらめさせることに繋がったとか。
「もしおんなじ物作ろうと思ったら、あたしでも半日ぐらいは掛かりそう」
軽く拳を打ちつけてみる。もちろん試しに壊そうなんてしない。直すのが面倒だ。
成魔の誕生日に家出したサターニアは、最初の行き先にバルトレイクを選んだ。生まれてこのかた一歩もケイオスを出たことのない重度の箱入り娘だが、統治者として一通りの教育は受けている。当然バルトレイクについても知識はあった。生活するのに必要な品は何でも手に入るだろうし、大国の首都という性格上、一時滞在者のための宿なども多くある。各地への交通も整備されているだろうから、他の場所へ向かうにも便利なはずだ。
とりあえず何日か過ごしてみて、気に入ればそのまま住んでもいい。もし気に入らなかったら移動する。お金にはまず困らないはずだ。お小遣いとして、それに魔王業務の報酬として結構な額を貰っていたのに、これまで使う機会は全くなかった。その気になればかなり裕福な暮らしができるぐらい貯まっていたのだ。
名所見物、または過ぎ去りし御代への表敬訪問を済ませたサターニアは、匂いに誘われるまま揚げ物の屋台へ足を向けた。中身は白身の魚とじゃがいもの薄切りらしい。昼食をまだ取っていなかったせいもあり、近付くだけで唾が湧く。
「おじさん、一つちょうだい」
「毎度、500マールだ」
揚げたてが入った紙袋を受け取り、代金を支払おうとしてサターニアははたと困った。
「あのー、おじさん」
「なんだ、まさか金がないってんじゃないだろうな。1マールもまからねえぞ」
「違うよ、お金はある。あるんだけど、細かいのがちょっとなくて」
「そんなことかい。心配しなくても釣りぐらいちゃんと出す。ちょろまかしたりもしねえよ」
「そっか。じゃあこれでお願い」
「おう、これでって……は?」
店主は目を丸くした。サターニアの差し出した硬貨はかなり大振りの代物だった。そのうえ見た目よりもさらにずしりと重く、深い黒みを帯びた金色が、尋常ならざる存在感を主張している。
「これ、黒金貨ってやつじゃねえか! 冗談じゃねえ、こんな屋台に釣り銭が90万もあるわけねえだろうが。それになんだってお前みたいなガキがこんなもん持ってやがんだよ。家から盗み出してきたのか?」
黒金貨は大金貨に陰の氣を注入したものだ。これ一枚で普通の小金貨の百倍、つまり100万マールの価値がある。それに鋳造できるのが魔族だけなので流通量もごく少なく、よほど大規模かつ重要な取引ぐらいでしか使われない。
「……そんなことしてない。ちゃんと貰った」
とはいえ絶賛家出中の身である。自然と声が小さくなってしまう。店主はますます疑わしげな目付きになった。
「もういい、これ返す」
香ばしい匂いが洩れる紙袋をサターニアは店主に突き出す。
店主は舌打ちを洩らし、苦い表情でサターニアに黒金貨を戻した。そして引き換えに受け取ろうとした紙袋を、横から伸びてきた手がかっさらう。
「なら俺が買ってやろう。おねえちゃんにごちそうするぜ」
サターニアは瞬きをした。当り前だが全然知らない男だ。背が高いわりに弱っちそうである。もっともサターニアにとって身近な男性といえば父のドラゴなので、比べればたいていは弱く見える。
「どうぞ、おねえちゃん。なんか飲み物も欲しいだろ。それ食い終わったら俺がとっておきの店に連れてってやる。もちろん俺のおごりでな。ほら、500マール」
「毎度」
男は店主に小銭を支払うと、サターニアの肩を抱いて歩き出した。超のつく世間知らずとしては戸惑うばかりだ。男が何をしたいのか理解できない。
「え、あ、う、なんで」
「なんで君に優しくするのかって? 決まってるだろ。おねえちゃんが可愛いからだよ」
「へ? そ、そうかな。えへへ。あたしってかわいい?」
口元がたわいなく緩んでしまう。城では堅苦しく接されることが多かったから、こういうふうに女の子扱いされるのは初めてだ。
「ちょっとあなた」
そんな浮かれ気分のサターニアを、力強い手ががっちりと掴まえた。
「こんな見るからにいやらしい男についていくなんてどういうつもり? 人生を楽しむのは結構だけど、それは下らない相手とちゃらちゃら遊び呆けるってことじゃないわ。勉強でも仕事でもまずは自分のすべきことに一生懸命取り組んで、いつか特別な誰かに出会ったら大切に気持ちを育む。そうして初めて本当の幸せを得ることができるのよ。分るでしょう?」
人族の少女が真っ直ぐにサターニアを見つめている。自分と同じか少し年上ぐらいだろう。すっきりと整った面立ちに、純金の糸を編み込んだような髪がよく映える。いかにも上流のお嬢様といった雰囲気なのに、澄んだ翠色の瞳が宿す光は凛として力強い。サターニアの心は吸い寄せられた。
「……誰だ? あたしを知ってるのか?」
「おいこら、横からしゃしゃり出てきて勝手なこと抜かしてんじゃねえぞ。お前には関係ねえだろう、がぁっ?」
柄の悪い地をむき出しにして手を出してきた男を、少女は逆に軽々と突き飛ばした。
「さ、行きましょう」
あえなく引っ繰り返った相手には目もくれず、サターニアを強引に連れていこうとする。瞬間、サターニアは少女の手を打ち払った。
「離せ!」
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