第一章 少女達の邂逅

第9話 マオーを探せ

 バルトレイクは意外に静かな街だった。

 なにしろ大国ローラシアの首都である。さぞかし人にあふれ活気に満ちて、見上げるばかりに高い建物がひしめき合っているのだろうと想像していたが、ルナの住むランディア王国の都フィデルとそれほどは変わりない。


 商業的な中心地は他の市にあること、歴史ある古都であること、などが比較的落ち着いた佇まいの要因だろうか。

 なんであれ今のルナにとっては望ましかった。自分の心にそぐわぬ結婚を強いられるかもしれない瀬戸際だ。もしもせわしく騒々しい場所だったら怒りや苛立ちがいっそう募ったことだろう。


「なかなか素敵じゃない。うちの王宮公園には負けるけど」

 世界で一番有名な記念碑のある公園をルナは訪れていた。木々や花の配置が人工的過ぎるのがいささか趣に欠けるが、ランディアの造園術と比べるのはかわいそうだ。そぞろ歩きで春の息吹を感じているうちに、眉間に入っていた力も抜けてくる。気楽にあちこちと見回していたルナは、いささか気になる光景に出会った。


「あの子、一人なのかしら……?」

 ベンチに女の子が横たわっていた。幼児というほど小さくはないが、せいぜい十歳ぐらいだろう。晴れた空に浮かぶ雲のように肌も髪も真っ白く、強い風が吹いたら飛ばされてしまうのではとあらぬ心配をしたくなる。


 改めてざっと周りを確認するが、連れらしき人の姿はない。迷子だろうか。あるいは具合でも悪いのか。そのわりにはずいぶんと安らかな寝顔だが、やはり放っておくのもどうかと思う。


「ねえあなた、大丈夫? こんなところで寝るのはおやめなさい」

 細い体をルナはそっと揺り動かした。女の子が纏っているのは袖無しのワンピースというか、薄布に頭と腕を通すための穴を開けただけの、古代の貫頭衣のような代物だ。しかもどうやら下着を付けていない。風邪にも変質者にも著しく防御力が低そうだ。


「……んぁ?」

 幸い女の子はただ眠っていただけらしい。幾度か揺すっているうちに、薄っすらと目が開く。


 ルナは息を呑んだ。

 瞳が赤い。鮮やかな血の色だ。それでいて不吉な印象は全くなくて、白に囲まれた二粒の真紅は意識を吸い込まれそうなほど美しい。ひょっとしたら天から落ちてきた神の子ではないかとさえ思ってしまう。


「んー、おはよー」

 女の子はもにょもにょと目元を擦る。どこまでも眠そうで怠そうだ。ルナはすぐさま印象を修正した。神様なんてとんでもない。これはきっと駄目な子だ。


「おはよう。って言っても、もうとっくにお昼過ぎてるわよ。わたしはルナ。お寝坊さんの名前は?」

「トト。じゃあおやすぅ……」


 おやすみも言い終わらないうちに、女の子は再び寝息を立てていた。実に幸せそうである。一瞬このままそっとしておいてあげようかとも思ったが、せめて身の上ぐらい確認した方がいいだろう。


「待ってトト、少しだけ話を聞かせて。あなた、お父さんかお母さんは? 一緒じゃないの?」

「んぁ? ぼくそういうのいない」

「……そう。それならおじいちゃんでもおばあちゃんでも誰でもいいから、あなたの面倒を見てくれる大人のひとはどこかしら?」


 少し考える素振りをしたのち、トトは「上」と空を指差した。単に事実を話しただけという風情である。ルナは反応に迷った。しつこく尋ねるのはためらわれるが、せめて何か手助けなりとできないものか。


「トト、あなたはここで何をしてるの? 目的とか、しないといけないことでもあるの?」

「ひと探し?」


 なぜ疑問形なのと突っ込みたいのをルナはこらえた。きっと色々苦労しているのだ。一見のほほんとしているのだって、実は心に辛さを抱えていることの裏返し、なのかは定かではないものの、おそらくは天涯孤独らしい女の子を見放すという選択肢はルナにはない。


「分ったわ。それならわたしも一緒に探してあげる。もしもあなたが迷惑じゃなかったらだけど」

「ん」

 トトは素直に頷いた。ルナは少し安心した。あえて拒まないということは、この子が犯罪などに巻き込まれている可能性は低いだろう。


「それで探している相手は? 名前とか住所、仕事先とか、手掛かりになりそうなことを教えてもらえるかしら」

「名前とかは知らない。仕事はー、たぶん魔王」

「それはまたずいぶんと大物ね」


 居場所もたぶん特定できる。魔都ケイオスにある城の中だろう。もっともどうやったら行って会えるのかは見当もつかない。仮にベン・シアンと結婚すれば、そんな機会もあるのかもしれない。そうだとしてもこれっぽっちも嬉しくない。


「魔王って、あだ名とか店の名前かしら。あまり感心できないわね。万一魔族の耳にでも入ったら……そんな機会はまずないでしょうけど、この街には代官府もあるし、不敬だって難癖をつける人がいないとも限らないわ」


 魔王を頂点とする魔族が人族の上に立ち、魔士と魔使は魔族の代官として人の世で権力を振るう。苦々しいがそれが現実だ。だから魔王の名を軽々しく口にすべきではない。ルナはトトを諭したが、よく分らなかったのかトトは首を傾げて、ふいに彼方を指差した。


「あ、いた」

「嘘、魔王が!?」

 そんな馬鹿なと思いながらつられて視線を向ける。ルナより少し年下ぐらいの少女がいた。当り前だが魔王には全く見えない。髪は確かに魔族の特徴とされる漆黒だが、人族にも黒髪はいる。それに魔族なら肌は褐色系のはずだ。少女は柔らかみのある山吹色である。


 角は見えない。髪の毛をくくってお団子を二つ作っているが、まさかその下に隠れていたりはしないだろう。魔族の角は結構大きくて、それも力の強さに比例するらしい。魔王ならなおさら立派なはずだ。もちろんスカートの裾から尻尾が伸びてもいなかった。あと可愛い。


 顔の造作などより少女の表情にルナは惹かれた。生意気そうに口先を尖らせて、類のない薄桃色の瞳が光を散らすようによく動く。放ってはおけない。今にも何かとんでもないことをやらかすのではと感じてしまう。


 実際ある意味ではまさにやらかしている最中だった。少女は男を連れていた。それがルナにはすこぶる気に入らない。見るからにチャラい。態度もやたらに馴れ馴れしげだ。きっとナンパか人さらいに違いない。あんな男についていくなんて宝物をドブに捨てるにも等しい。ルナは決然と足を踏み出した。

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