第8話 天界にて
およそ一万年もの時に渡り、地上は魔王を長とする魔族によって支配されている。
だがここは物質次元を超えた天界だ。下界の権力も法も及ぶべくもない。
五色の輝きに満ちた文字通り神々しい世界で、今ひときわまばゆい光が形を成した。
「……トトよ、我が前に至るがよい」
静かながらも重厚極まりない響きが空間を震わせる。もし地上の者がこの場に紛れ込んでいたならば、即座にひれ伏さずにはおれないだろう。高山のごとき威厳である。だがそれも当然だ。
声の主は天界の主宰神ソル、宇宙の秩序の守り手である。
ソルの呼びかけに応じ、即座に新たな光の柱が突き立つ、はずだった。少なくともソルはそうあるよう望んだ。ならば必ずそうあるべきだ。ソルの意思はすべからく実現される。なぜなら主宰神だからだ。主宰神とはそれほどの存在なのだ。
「……トト」
しかしいつまで経っても現れるものはない。荘厳に輝く光が緩やかに渦巻いているばかりである。
「……トト、何をしている」
ソルの声に苛立ちが混じった。地上であればこれだけで天変地異を引き起こしかねない圧が込められていたが、求める相手は現れない。
「トト!!」
ソルは強制呼び出しを敢行した。星を揺り動かすほどの振動が放たれ、超高密度となった空間に、ようやくぼんやりとした影が浮かび出る。
やがて影は幼い少女の姿を取った。一応は女神ということになるだろう。神に物質的生殖行為など必要ないが、各々の在り方によって自ずと表れるしるしはある。
だがソルにはトトの性自認など知ったことではない。問題はもっと根本的なところにあった。
「そなた、透けておるぞ」
「ふぁい?」
体に纏った薄衣のことではない。トト自身が透けている。少女の身を通して、向こう側の情景がはっきりと見えている。
ソルは頭痛をこらえるような仕草をした。
「このうつけ者めが。実体化ぐらいちゃんとせんか。そなたも神の一柱であるのだぞ。威儀を整えよ」
「んー。ぼくは別にこのままでも」
ぼんやりと首を傾げるトトに、ソルの目元が険しくなる。
「このままでも、なんだ?」
「はあ、しょうがないなー。分りましたよ。んしょっ、と」
気の抜けるような掛け声とともに、トトの姿がだんだん濃く、輪郭がくっきりとなっていく。それでもまだ不思議に軽やかな印象なのは、晴れた空の浮き雲みたいな真っ白な髪の毛や、風に吹かれるだけで飛んでいきそうな華奢な体つきのせいだろう。
ソルは間を取った。今しがたのやり取りはなかったことにして、改めて深刻な気配を纏って告げる。
「そなたを顕現させたのは他でもない。地上の陰陽の氣の乱れについてだ。幸い今はまださしたることもなく、通常の変位の内に収まってはいるが、均衡が崩れる兆しのあることはそなたも既に承知していよう」
「んー」
「無論、地上の者達の営みについては我らの関与するところではない。しかし世界そのものの存立に影響を与えかねないとなれば話は別だ。誰かが天降って監視し、万一破滅の恐れ有りと判断されたなら、その因を取り除かねばならぬ」
「んー。くー」
立ったままトトの頭がこくんと垂れる。ソルの目から強烈な稲妻が迸った。
「起きろ、たわけ!!」
大喝が宇宙を突き抜けた。天界にいます神々の多くが一斉に身を竦め、日月の運行が刹那止まった。
さすがに目を開いたトトに、ソルは苦々しく天命を勅する。
「はなはだ心許なくはあるが、今天界は神手不足だ。暇なのはそなたしかおらぬ。行ってくれるな」
「やー、でもー」
「いいから行け」
「あ」
トトがいる場の底が抜けた。主宰神権限による強制堕天の発動だ。
「い~や~」
のんきな悲鳴を上げながら、トトは地上へ落ちていく。光から成る体がしだいに固く重くなる。存在の階梯が違い過ぎてしまったため、こうなればもはや自力で天界に復帰するのは不可能だ。それに神としての権能もどこまで保持できるか知れたものではない。ソルは地上の氣がどうとか言っていたようだが、実はただの追放ではないのか。
「まー、別にいっか」
じたばたしたところで疲れるだけだ。トトは成り行きに任せることにした。やがて時間と空間の断層を越えて、ついに地上世界に顕現する。
「んー。ここ、どこ?」
木々の姿が多い開けた場所だ。周りにはちらほらと人族がいて、トトが文字通り降って湧いたことに目を丸くしているが、誰もあえて寄ってはこない。
トトの外見のせいかもしれないし、多少なりと神力が働いて、近付き難くしている可能性もある。単に面倒だから関わりたくないという説も有力だ。分る。余計なことはせざるが吉。もし地上で信者ができたらトトの教えの第一条にしよう。
「ふぁーあ……とりあえず寝よっと」
トトはその場にあったベンチに横になった。
(「序章 少女達の事情」 了)
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