第6話 売掛金

 セリアの機嫌はあまりよろしくなかった。なにしろこの店を訪れたのは三日間で計五度目だ。

 それ自体は良しとしよう。商売の基本は足である。例えば販路の拡大が見込める等であれば、メルサーヌの街を虱潰しに歩き回るぐらいは朝飯前だ。あるいは遠方の街との取引であっても、もし馬車の都合がつかなければ、セリアはためらいなく己の足を使うだろう。ついでにその行き帰りに行商ができれば最高だ。

 とはいえそれもあくまで掛けた労力に見合うだけの利益が得られるなら、の話である。


 訪れた店内をセリアはざっと見回した。掃除は行き届いているようだ。曇りなく磨かれた陳列箱の中には、指輪や首飾りが綺麗に並べられている。この店で扱っている品としては中級以下ばかりだが、十分にきらびやかだ。もし普通の若い娘であれば、瞳をそれこそ宝石のように輝かせて飽かず眺め入るに違いない。


「ダームさん、こんにちは。ご無沙汰してしまって申し訳ありません」

 セリアは店主に愛想良く話し掛けた。もちろん午前中にも来たばかりである。しかし口元に笑みを浮かべながらも威のある瞳の発する圧が、相手に安易な突っ込みを許さない。


「ダームさんも気懸かりで仕方ないですよね。だからもっと早く来ないととは思ったんですけど、貧乏暇無しなんです。ということで、期限から二日も遅れてしまって大変恐縮ですが、売掛金を回収させていただきますね」

 セリアは笑顔のまま詰め寄った。店主のダームは胃痛でも患っているような風情で口を開く。


「じ、実はな、バントックさん。そのことなんだが……」

「はい、なんですかダームさん。ご承知の通り当商会のダーム宝飾店に対する債権は350万マールです。金貨でも公証為替でも構いませんので、本日中に耳を揃えてお支払いいただければ、遅延した分の利息は割愛させていただきます。どうぞご安心を」

 セリアは誠意に満ちた申し出をする。ダームのすっかり後退した生え際に脂汗が滲んだ。


「一応な、参考までに聞くんだけど、もし今日中に払えなかっとしたら、やっぱり利息はついたりするのかな、とか」

「その点についてももちろん考慮してあります。ダームさんとは今後もよいおつき合いをさせていただきたいですから」


「おおっ、そうか、さすがはバントック商会だな。これからもよろしく頼むよ」

「こちらこそ。利息は一日三分で結構ですので」

「え」

「複利で」

 笑顔を崩さないセリアに対し、ダームは頬を引き攣らせた。利息は一日あたり10万マール以上、しかも複利なので払いが遅れるほど一日分の利息額が増えていく。


「そ、そこをなんとか、なりませんか……?」

「なんとか、と仰いますと」

 セリアは再び店内をぐるりと見渡した。


「代わりにこのお店を、全ての商品ともども譲り渡すとのお申し出ですね。念のため主に確認する必要はありますが、おそらくは可能かと」

「ちょちょっ、ちょっと待ってくれ! どんだけ安く見積もったって、店の価値は3000万かそこらはあるはずだぞ。やれるわけがないだろうが!」


「もちろんよく分っていますとも。ダームさんにとっては我が子にも等しい大切なお店ですものね」

 セリアは心情を思いやるように頷いた。ダームはここぞとばかりに訴えかける。


「そう、そうなんだよ。あんただって若くてもこの道の人間なら分るだろう? 店を構えて続けていくのがどれだけ大変なことなのかさ。商人にとって自分の店は命そのものなんだよ」

「もちろん分りますよ、ダームさん」


「お嬢さん、それじゃあ」

「お店には決して手を付けないと約束しましょう。払うものさえ、払っていただければ」

 ダームは涙目になった。


「お、俺だって払えるものなら払いたいんだようっ。だけど困った事情があって、どうにもならないんだようっ」

 荒れるダームを前にしても、セリアはあくまで真摯に応じる。


「なるほど、では是非その事情をお伺いしましょう。わたくしどもとしましても、手に入れたお店についての情報は詳しく知っておく必要がありますからね」

「……外道だ。外道がいる」

 ダームがセリアに向けた視線には深い恐怖が満ちていた。


 少し脅しが過ぎたかもしれない。セリアは反省した。半分冗談だったのだが、残り半分の本気の方が強く出てしまったようだ。

 とにかく支払いができない理由についてはきっちりと確かめる必要がある。商会の取引記録でも、またセリア自身の判断でも、ダームは堅実な商人だったはずだ。いったい何があったのか。


「では改めてダームさん」

「おい、来てやったぞ」

 セリアは尋問を始めようと開いた口を閉じた。新たに訪れた客はおざなりに陳列品を物色し、だが特に興味を引かれた素振りもなく、すぐに奥の接客台にやってくる。


 セリアはさりげなく場所を譲った。顔を伏せるようにしながらも客の身なりを観察する。服装の質は上等、ただし趣味はあまりよろしくない。中途半端に派手で、無理に着こなそうとしている感がありありだ。そのうえ頭には奇妙な意匠の帽子を乗せていて、ちぐはぐな印象が拭えない。


「これは、ギルチャック様。いらっしゃいませ」

 ダームは丁重に低頭して出迎えた。顔には満面の愛想笑いを貼り付け、だがあまり喜んではいないとセリアは見取る。

 客はダームの心情など気にした素振りもなく、横柄に言いつける。


「奥にしまってある品があるよな。もっと高いやつだ。出してみろ。もし私の気に入ったら買ってやるぞ」

 なかなかに気前のいい注文だ。しかしダームは眉尻を下げて首を振る。


「大変申し訳ございませんが、ギルチャック様のお目にかなうほどの品は、ただいま当店には置いてございませんでして」

「なんだと? 宝石屋に宝石がないなんて馬鹿な話があるものか。まさか出し惜しみするつもりか? この私に? 店を潰されたいのか?」


「め、めめ、滅相もございません。ただ現実問題と致しまして、良い品を手に入れるためには、そのための資金が必要なのでございます。ですからギルチャック様……」

 ダームは客に上目遣いを向けた。


「……先日お納め致しました指輪の代金、380万マールを、どうかお支払い願えないかと」

 なるほど、そういうことか。ダームと客のやり取りに聞き耳を立てていたセリアは頷く。つまりはこのギルチャック氏が円滑な商取引の妨げとなっているわけだ。

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