第5話 魔王少女になろう
「城の周りの森は禁域なんだぞ。そもそも人族が入り込んでいい場所ではないというのに、樵をするなど言語道断、それを咎めて何が悪い。そのうえ一言の謝罪もない相手をそのまま見逃してやったんだ。私の慈悲深さに感謝すべきところだろう。なのに脅されたなどと事実無根の告げ口をするなど、逆恨みも甚だしい!」
歳のわりに豊かな胸を反らし、ヤーシャは憤然と魔使の男を睨みつけた。しかしロシェは恐縮もせず、ため息をついて首を振る。
「ヤーシャ殿、私はたった今言ったはずですな。ご自分の立場をお弁えくださいと。理解できませんでしたか?」
「お前……お前こそ、魔族の私に向かってその口のきき方はなんだ!」
「まずは落ち着いて私の話をお聞きください。例えばこの冬はずいぶん寒かったですな。昼はともかく、夜はまだ暖炉に火が欲しくなることもあるほどです。この城でもさぞかし大量の薪を使ったことでしょう」
「だからなんだ」
「その薪を用意したのは誰だとお思いか」
「何?」
「我々人族です」
ロシェは勝ち誇るように口の端を持ち上げた。
「樵が森に入ったのも、元はと言えばあなた方のための薪を取るためでしょう。もちろん薪だけではありません。あなたが今着ている服も、毎日の食料も、全ては我々マサラに住む人族が貢いだものです。ところでヤーシャ殿は街の方へお出掛けになることはありますか?」
ない。人族と交わる暇があるなら、先祖伝来のこの地で魔族としての力を高めることに費やすべきだ。ヤーシャは常日頃からそう考えていた。
ロシェは講義でもするような調子で指を振った。
「少し通りを歩いてみれば分りますが、決して豊かな生活とは申せません。肉でも魚でも好きな物を毎日三食食べ、上等で清潔な衣服を身に着けられる者など限られております。そのような苦しい暮らしの中から、ただ威張るしか能のないあなた方を養うために、庶民達は貢納を差し出しているのですよ。あなた方はもっと我々に感謝すべきではありませんかな? お恵みをありがとうございますロシェ様と、私の足にくちづけするぐらいしても罰は当たらな……」
ふとヤーシャに視線をやったロシェの舌先が凍りつく。魔族の少女の角の先端から、蒼い火花が散っていた。もしヤーシャがその気になれば、いやたとえその気がなかったとしても、ひとたび感情が昂り激発すれば、次の瞬間ロシェの体はばらばらに引き裂かれているかもしれない。そのことを今さら思い出したらしい。
「……と、とにかく、よろしくお願い致します。何かご不満がおありでしたら、どうぞ代官所の職員の方までお申しつけくださいませ。誠心誠意対応するよう命じておきますので。それではわたくしめはこれにて」
へこへこと頭を下げながら後退りしていく。ヤーシャはその場を動かなかった。とうてい外まで見送る気にはなれなかったし、向こうもそんなことは望むまい。人族に城内を自由に歩かせるのは気に入らないが、どうせ盗まれるほどの物もない。
「冗談じゃない! どうして魔族の私が魔使ごときに偉そうに説教されないといけないんだ。しかもまるで贅沢三昧してるみたいな言いがかりまでつけられて」
実際のところ、肉や魚は塩漬けか干したものが晩の食事に付くだけだ。服は母のお下がりをほつれを直したり継ぎを当てたりしているうえに、成長期のヤーシャにはもうきつくなったのを無理やり着ていたりもする。
片やロシェは肌は照り映えて血色もよく、纏う服は真新しい上質な毛織物だった。マサラの一般庶民がどうなのかは知らないが、少なくとも魔使殿はずいぶん豊かな暮らしを送っているらしい。
もちろん羨むような気持ちは一片たりともない。ヤーシャにとって価値があるのは魔族として強く気高くあることだ。だがそれだけに、ロシェの言動は十三歳の武闘派少女の誇りを傷つけるのに十分だった。
未だ頭の角からばちばちと火花を出している娘に、ゾラが静かに教え諭す。
「ヤーシャ、少し頭を冷やしなさい。ロシェ殿の言うことにも一理はあるわ。私達がマサラの民人のために何もしていないのは事実だもの」
「でも母さま……じゃない、母上、それは始祖王陛下の布告に従っているせいではないですか。しかも人族を保護するための決まりなのに」
“魔族は、正当な理由なくして人族の治政に干渉すべからず”
人族を支配するにあたり、初代魔王が最初に発した布告である。
ここでいう「正当な理由」というのは次の三つだ。
第一に、魔族の身が脅かされた場合。
第二に、人族の治安に大きな問題が発生した場合。
第三に、魔族の代官たる魔士から要請があった場合。
それ以外は極力関わってはならないとされている。
この原則が誤りだとは思わない。魔族は人族よりも強い。だからこそ非道な圧制者となること、またそうだと見做されることは避けるべきだ。
しかし始祖王の時代ははるかに遠い。サターニアはまさに魔王の名にふさわしい圧倒的な力を振るったと伝えられているが、今は力の源泉たる陰の氣も、そして魔族の数自体も減少している。旧習を固持して停滞していれば衰退する一方だ。結果、人族に侮られれば、世界の秩序も危うくなる。それは魔族人族双方にとって望ましいことではないはずだ。
「いったい今代の魔王陛下は何をしておられるんだ。もしケイオスの外の世界を何も見ようとせず、ただ城の中に引きこもり安逸を貪っているだけだとしたら、そのような者にもはや王たる資格はない。いっそふさわしい者に玉座を明け渡してしまえばいいんだ」
「それならあなたが取って代わったらどう?」
「いいえ母上、不敬なのは百も承知、それでも我ら魔族の将来を憂えるのなら……は? 母さま、今なんと?」
「あなたが魔王になればいいじゃない、と言ったのよ」
にっこりとゾラは笑った。ヤーシャは背筋が粟立つのを覚えた。これは母の冗談なのだろうか。そうは見えなかった。迫力ある笑顔をたたえたまま、ゾラは愛娘へ語りかける。
「かつてサターニア様が魔王の座に就かれたのは、ひとえに強さの故だったわ。その頃、数で優る人族に脅かされていた私達魔族をまとめ上げ、逆に人族を圧倒した末に支配する体制を打ち立てた。血筋でも伝統でも大義名分でもなく、ただ力によって己が意思を貫き通したのよ。魔族としてまさに正しい在り方だと言えるでしょうね。もし当代の魔王様の治世に不満があるなら、こんな僻地で相手に届かない文句を並べているんじゃなくて、正々堂々立ち向かってごらんなさいな。魔族の誇りは自ら戦って勝ち取るものよ……違う?」
なんて適当に煽ってみたりして、とゾラはひそかに呟いた。もちろん娘には聞こえないようにである。
ヤーシャは頬を打たれたようにびくりとした。暫し目をつぶって自身との問答を繰り返したのち、ついに気合に満ちた顔を上げる。
「母上、私はケイオスに参ります。魔王陛下に謁見し、魔族としての誇りを取り戻してもらうため。そして――」
もしそれが今の王にはかなわぬ望みと知れたなら、私こそが新たな魔王となるために。
心のうちで決意する。
「いいわ。それがあなたの意思であるなら、行けるところまで行ってごらんなさい。陰の氣の恵みと、母さまの愛情はいつでもあなたと共にあるからね」
娘の単純さがいささか心配になりつつも、ゾラは晴れの門出を祝福してやることにした。
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