十一日目 ミヤマクワガタ
「かっ、かわいい……!」
可愛い? 何が? 可愛いものなんてあったっけ?
あー、カブトムシ? へー、可愛いんだ。俺にはただ気持ち悪い物体にしか見えないんだけど。
目敏く虫かごを見つけた羽田さんは、一目散にそちらへと近付いていった。顔を寄せて良く見ようとしている。
「ミヤマクワガタもいるじゃない!」
そうだった。昨日からの新参だ。しかし飼った覚えはない。こいつだけは羽田さんに引き取ってもらおう。だって親子クワガタだし、たぶん勝手知ったるなんとやらだ。
「私も去年育ててたよ、ミヤマ」
「あぁ、おじさんからそう聞いた。その……、もう死んじゃってる、よね?」
ごめんね、ミヤマちゃん。父親のそういう話は聞きたくないかもしれないけど、彼女しかお父さんの最期を知らないんだ。
「うん、でもすごい長生きだったの。良い家で育てられたから、きっと立派なミヤマだよ、って教えてくれて。黒木くん家で大事に育てたんだね。艶も良くて、大きくて逞しかった!」
最後の一文は要らなかったけど、羽田さんは嬉しそうにはにかむ。俺には大事にした記憶はなかったんだけど、それでも昆虫が好きな人の元に届いてくれるのは、なんだか嬉しい。
「そ、そうかなぁ?」
「でもどうして売っちゃうの? 黒木くんも昆虫好きなんでしょ?」
「いや別に好きなわけじゃ……。俺より大好きな人はいっぱいいるし、羽田さんだって虫好きでしょ? そういう人に懐いたほうが、こいつらも幸せだよ」
うん、きっと、いや絶対にそうだ。俺なんかより羽田さんとか、もっと大事にしてくれる人の元に行けばいい。俺なんかが虫を育てられるはずないんだよ。
「幹くん! 橙子ちゃん! お茶淹れたわよぉ」
人がせっかく感傷に浸っていたのに、母の間延びした声が俺を現実に引き戻す。あっ、何気に良いお茶を出してるじゃないか!
「わぁ! ありがとうございます!」
羽田さんは優等生の顔に戻って応対していた。やっぱりできた人間だ。
「二階のお部屋に持って行きましょうかぁ?」
「いえいえ、そんな! こちらで充分です!」
二人きりにしようと巧妙な罠を仕掛けるが、すんなりかわされる。俺を警戒しているわけではない。昆虫が見たいがためにリビングで過ごそうとしているのだ。そんな羽田さんの魂胆は露知らず、母はなおも嬉しそうに違った解釈をする。
「そうよねぇ、いきなりお部屋ではムードがないものねぇ。じゃあお母さんは邪魔にならないようにお外に出てくるから、何でも好きに使ってねぇ」
赤飯はすでに炊く準備をされていた。こういうときだけ仕事が早いんだからぁ!
いや食べますけどね!? 美味しくいただきますけどね!?
「ありがとうございまぁす!」
いやぁ、そのセリフ、本来なら俺が言うべきだ。分かっているのかいないのか、天然そうだけど賢そうだし、どうにも何を考えているか分からない。けれどいま俺はただの昆虫仲間。おそらく羽田さんはそう思っている。
母がそそくさと玄関から出て行くと、羽田さんはもう一度虫かごに向き直った。
「さて、さっそくですが、カブトムシちゃんを触らせてもらってもいいですか!?」
「あー、まあ、いいけど」
好きに使って、って言うのは、そういう意味で言ったんじゃないだろう。でも羽田さんは昆虫を前にすると人が変わったようだ。けっこうずけずけと虫かごの蓋を開けている。それくらいなら、まぁ、気にはしないけど。
昆虫女子、昆虫娘とご対面ってところか。
「つやつや! 可愛い!」
ふーん、可愛いんだ。……二回目。俺にはやっぱり愛着は湧かないな。
俺は食卓の椅子に腰掛ける。今日は少し疲れたよ。母さんが用意してくれたお茶をすすって、しばらく呆然と見ていた。ちょっと見栄を張って美味しい紅茶を出してくれたけど、残念ながら羽田さんには口を付ける素振りすらない。
「あっ、待って……!」
「うぇ!? ぎゃー、こっちくんな!」
迫ってきたのはカブトムシだ。羽田さんがよしよしと撫でていたが、急に翅を広げて飛んでくる。
もうくっつかないでぇ! 一号は少女の姿に化けると、羽田さんに向かってベーっと舌を出した。
「うふふ、黒木くんのこと好きなのね?」
笑い事じゃないよ、羽田さん。ってお前も首を縦に振るな!
あー、なんでそんなに嬉しそうなんだよっ!? お互いに!
「べ、別に俺は好きじゃないからな!?」
「えーっ!?」
文句を言うな、文句を。カブトムシ娘は無視しよう、虫だけに。だって一号に話しかけても独り言に見えるじゃん。完璧変人になってしまうよ。
「もう、謙遜しなくてもいいよ!」
違うんだよぉ。もしかして、羽田さんが一番厄介かもしれない。いくら否定しても信じてくれなさそう。
すると開いていたかごからもう一匹が飛び出してくる。ミヤマクワガタだ。彼女も一号にならって俺のカラダに引っ付くと、不機嫌な顔をしながら襟元を掴んで怒っている。……閉めてよ。
「おい、貴様。この人間も昆虫攫いの仲間だな?」
「違う違う! 羽田さんは……っ」
ちら、と羽田さんの方を見たら、今度はオオムラサキに興味津々だった。女性は移り気なのね。小声でミヤマに教えてやる。
「君のお父さんを、大事にしてくれた人だよ」
「な、に……?」
たぶんそうだ。確証はないけれど、でも羽田さんに飼われていたなら自信を持って大事にされていたと言える。知り合って間もないけれど、それでも彼女は、昆虫に対して純粋に接していると思う。
いまどき珍しい。好きなものにこんなに夢中になれるなんて、ステキだよ。
「お父さんは、というか……、ミヤマクワガタは寿命が短いんだって。けど、羽田さんがちゃんと世話をしてくれたんだ」
「そんな……、では父は、もう……」
「ミヤマちゃん……」
親の生死も知らず、いままで探し回ってたんだな。そういえばもうすぐお盆だし、ミヤマちゃんのお父さんも戻ってくるかもしれない。昆虫にその文化があるかは分からないけど。
せめてお墓参りにでも行かせてあげたいけど、羽田さんは父クワガタをどうしたんだろう。
「ね、ねぇ、羽田さん。その、去年のミヤマクワガタ、死んだあと、どうしたの?」
「え? 死んじゃったあと? 図書館の近くの雑木林に、埋めてあげたわ。だって土や木の近くの方が、安心するかなって」
「お父さまが、森に……?」
帰って来ていたのだ。残念ながら生きている間にはその場所に戻れなかったが、羽田さんの優しさで森に帰されていた。そうか、ありがとう。
「そうなんだ――ってぇ!? ちょっと羽田さん!? オオムラサキも出てるし!?」
「可愛くて、つい」
つい、じゃねぇー! やめてぇー!!
「主様ぁ」
ほら来ちゃったじゃん!? どうすんのよ、これ!?
開けて近くで見たかったんだよね!? 犬や猫なら気持ちは分かるよっ! でも昆虫は分からないよぉ!
「凄い……! みんな黒木くんに集まってる!」
そうねー。こいつらは人目を気にしないからねー。いつも埋め尽くされるんで困っているんです。
「何か甘いものでも持ってるの?」
「いやー、はは……」
持っているといえば持っている。けれど俺には全く必要ないので、このカラダの機能はぜひ羽田さんに差し上げたいところだ。代わってくれないのかなぁ。
女学生はカラダに引っ付いた虫たちをまじまじと観察し始めていた。あー、近い、近いねぇ。さっぱりしたシャンプーの香りが鼻孔をくすぐるよ。
昆虫娘はシッシッ、と人間を追い払おうと手を振っている。普通逆なんじゃない?
「幹也クン、こいつ何様!?」
「そうですよ、主様! わたくしというものがありながら!」
「貴様は最低だな」
変な誤解をしないでほしい。だからって君らが一番大切ってわけでもない。どちらかと言えば、いいや絶対に人間の女性が良いに決まっている。
「黒木くん、ねぇもっと、近くで見せてもらってもいい?」
「ぅへ!? いやそんな……っ! うわ――!!」
「きゃっ!?」
椅子で後ずさりしようとしたのが間違いだった。フローリングのつなぎ目に脚が引っかかって、それ以上下がれない。行き場をなくした力は止まった脚を支点にして後方に倒れ込む。
ガタンと、硬い木と木がぶつかる大きな音がして、俺は背中を強打した。呼吸が上手くできなくて一瞬意識が遠のく。小学生の頃にも同じことをして先生に怒られたっけ。あれけっこう痛いんだよ。
「黒木くん、大丈夫!?」
「ご、ぐあ!?」
羽田さん!? 目を開けると覆いかぶさるように彼女が俺を覗き込んでいた。吐息が、かかってるよ? ど、ど、ど、どうしよう。心臓の音が、耳にまで響く。
「アンタ、何やってんの?」
ああ、あなたはどうしてこう、タイミングが宜しいんでしょう? お姉さま。
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