九日目 ミヤマクワガタ

「我が名はミヤマクワガタ! クワガタ界の姫である!」


 やけに高貴そうだと思ったら、お姫様だったらしい。別に信じていないわけではないが、こっちには本物の女王がいるんだぞ!


「だってさ、ムネアカちゃん。女王の座取られるかもよ」

「ムネアカはアリだから大丈夫です!」


 あ、そうですか……。ムネアカオオアリはオオムラサキと場所を交代して、背中に回っている。でも目の前の金髪は変わらずカニばさみをしていた。


 ちょっと、いくらなんでも怒るよ、俺。えーっと、名前なんだって? ミヤマさん? あー、深山さんね。でも変な名前だね、クワガタちゃんなんて。両親にキレて良いレベル。


「答えろ! 我が同胞をどこへやった!?」

「どう、ほう……?」


 はて、身に覚えがない。なおも頭が、この美少女の正体を拒絶する。やめよう、受け入れようと思っても、幻影がどうにも真相を霞ませていく。常識を逸脱しているだろう。だって下乳姫騎士がクワガタムシなんて、どうにも信じられないじゃないか。


「言え! でないと私のアゴで真っ二つにしてやる!」

「えっ、アゴ? 痛い痛い痛い!」


 そこは足では? と思ったけど、けっこう痛いので正直どうでも良くなった。柔らかそうなのに凶器の太ももである。


「良く見ればけっこう筋肉ついてんじゃん。……ぎや!」


 思わず触ってしまったら、さらに締め上げられてしまった。腹筋が割れる。もう割れてるけど! ウルセェな、自慢だよ!


「ちょっと、クワガタムシ! 幹也クンが苦しがってるでしょ!?」

「カブトムシが! このような野蛮人に身を捧げるとは……! 同じ昆虫とは思えぬ」

「はぁー!?」


 やっぱりカブトムシとクワガタって仲悪いのかな。一本の木を取り合ってケンカしている映像を、夏になると良く見る。おっと、つまり取り合っているのは俺か。いまさらながら気付いた。


「そんなこと言って、幹也クンの樹液には勝てないくせに! ヨダレ垂れてるよ!?」

「なっ、何を……!」


 そうだぞ、一号。俺に魅力を感じない昆虫だっているはずだ。ぜひみんなそうであってほしい。けれど悲しいかな。言われた通りにミヤマクワガタは口元を拭いていた。大丈夫、垂れてないよ。でも心当たりはあるんだね。


「フ、フン! そんな罠に引っかかるほどアホウではないわ! わたしはこちらで充分!」


 言ったかと思うと、彼女の姿が消える。いや、消えたかと思ったら足元に移動していただけだった。足首を捕まえられて指先に舌を伸ばしている。


「待って待って!? 何する気なの!?」


 そんなことをされたら、俺の癖(へき)が確実に歪んでしまう! プライドが高いのか低いのかわかりゃあしない。そんな気の強そうな恰好をして、とんだ変態娘じゃないか!

 俺は靴底を舐めさせるような男じゃない!!


「貴様のカラダを舐めるくらいなら、床にぶちまけられたモノを啜る方が有意義だ!」

「俺にとっては全然有意義じゃないんですけど!?」


 ヤメテ!! もう見てられないよ!


「そうだよ! それもこっちのものだよ!?」


 違う違う、そうじゃない。君達には床に落ちたものって感覚はないのか。そうか、虫だもんね。なんでも食べるよね。ムネアカオオアリだって地面に餌置いたし。

 しかし餌にありつく姿をうっかり幼女で想像してしまって、俺はひどく後悔した。この際一号と二号に関してはすでに頭から除外している。だって肉食系女子は苦手なのだ。


「ぐぅ、それは確かにそうかもしれぬ……!」


 だけど意外とミヤマクワガタはチョロかった。カブトムシとは敵対しているかもだが、やっぱり虫には優しい、仲間だしね。金髪クワガタは体を起こすが、俺の足をしっかり踏ん付けている。あのー、気付いてます?


 逃げられないようにするためか、それとも話を付けるためか。そう言えばクワガタの彼女は何か口走ってはいなかったか? 確か、虫攫いの極悪人だとか。だったらこのまま全員を引き取って帰ってくれるかもしれない!


「ねぇ、君。こいつらを家に帰してやってくれないか?」

「……なに?」


 ナイスアイデアだと思ったが、解放すると言ったので少し不審がられてしまった。俺のカラダに引っ付く三匹は、離れまいとぎゅっと身を寄せてくる。これが可愛い人間だったらなぁ。もっと人とイチャイチャしたい。


「あー、その、なんかしちゃってるなら申し訳ないんだけど……。どうにも話が見えなくて」

「とぼけるな! 貴様は毎年夏になると、カラダから樹液を出し昆虫を攫いに行くのだろう!? 昆虫界では有名な話だ!」

「はぁ、えっ!? 俺ってそんなに有名なの!?」


 ううん、気にするべきはそこじゃなかった。俺、そんなことしてないよ? 途中までは認めよう。不本意ながらも樹液成分は垂れ流し状態だ。別に夏に限ったことではないが、汗のせいなのか強くなるらしかった。


「だから私は罰を下しに来た。しかしその前に同胞をどこへやったのか知りたい。言え! どこに隠している!?」

「いだだだっ! いや、隠してなんかないしぃ!!」


 踏ん付けていたのは知っていたようだ。そんな尖った靴で踏まないで! そんな趣味はないです! だからって女の子に足を舐めてもらう趣味もないです!

 もっとこう、普通の青春を過ごしたかった……。


「嘘をつくな!? 毎年毎年、貴様に捕まった仲間たちは二度と森に帰ってこない!」

「森……? ちょ、ちょ、ちょっと待って!」


 さらにヒールに力を込めようとしたので、俺は焦って反論しようとした。でもこっちには材料がほとんどない。まずは訊くしかないだろう。


「その、えっと、何か思い出すかもしれないから、色々教えてよ!? あー、森って、どこの森?」


「ちっ!」


 舌打ちされた。悲しい。


「大きな建物の近くでしょ? ムネアカも森の近くに住んでるよ!」

「えっ、本当!? どこどこ!?」


 代わりに教えてくれたのはムネアカちゃんだ。子どもは知識が浅い分、快く答えてくれる。この子の家って、たぶんコンビニのベンチの近くだよな? あんなところに森なんてあった?


「わたくしも森出身でありんすよ。隣の建物は、良くは知りませんが『本』というものがたくさん収納されているのですって」

「本……? 図書館ってこと? あー! そう言えば近くに雑木林っぽいのあったね!」


 俺の記憶では遠い過去だ。しばらく図書館には足を運んでいない。途中まではランニングコースに組み込んでいるが、お堅いオレンジ色の壁を見ると引き返したくなるので止めている。

 だって、お腹痛くなるじゃん? え、外壁だから関係ないって? ……あれだよ、その、パブロフの犬だよ。うん。


「おい! 何か思い出したのか!? 早く言え!」

「ぐえー!」


 胸倉を掴んで首を振らないでください。脳震盪を起こしてしまいます。あと、ガチャガチャと鎧がウルサイです。

 というか君達そんなところから来てるの? 遠くない? 俺ってそんな臭い?


「幹也クンに乱暴なことしないで! というか、幹也クンの噂は、そんなにヒドくないでしょ!?」

「ごふごふっ、……え?」


 金髪クワガタは微妙な顔をしながら押し黙った。手も止めてくれたようで助かった。ナイスアシスト、カブトムシ。でも、何だって? 俺の噂って、いったいなに!?


「しかし、去年は父がコイツに連れ去られたのだ……! 黙って見過ごすわけにはいかない!」


 それは、申し訳ない。お父さん、知らないうちにくっつけてきちゃったのかなぁ。実は俺って、メスしか人間に見えないんだよね。いや完全に見えないわけじゃないけど。見えにくいというか……。

 だってイヤじゃん? おっさんが俺のカラダに引っ付いてるの想像したくない。


「ただいまー」


 考えを巡らせている間に、女性の声がした。母さんが帰ってきた? ……いいや、違う。この疲れた感じの声は――。


「お姉ちゃん!」


 救世主は姉の姿をして、いつも俺の目の前に現れる。ずっと俺のことを見下しているけれど。

 リビングに入ってきた姉は俺のカラダに付いている昆虫を視線で数えると、次いで足元に目を動かした。


「一号に、二号。……三号、四号。アンタは愛人がいっぱいね」


 ヤメテ。昆虫の愛人は必要ないです。というか、人間の彼女すらできたこともない。


 あれ? もしかして姉貴、そういうつもりで名前付けてたの!?

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