八日目 ミヤマクワガタ

「幹也クンから離れてよ!」

「やだ! お兄ちゃんはムネアカのお婿さんになるの!」

「聞き捨てならないでありんすね。主様はわたくしのものです」


 待って。俺は誰のものでもないよ、俺は俺のものだよ。変なジャイアニズム振りかざさないでよ。お三方は俺の目の前で、他でもない俺を取り合っている。


 お三方ってのは人間じゃない。もうお気づきだと思うが、三匹の昆虫だ。いまは人間の形となって互いに叫び声を挙げている。


 ねぇ、もう、いい加減帰ってくれないかなぁ? なんでこうなったんだろう。俺の足元はオオムラサキとカブトムシの餌でまみれていた。あぁー、足の指の間までベトベトだ。でもハーフパンツで良かった。変に洗い物を増やすと、母さんから何を疑われるか分からない。


 どうしてこうなったかと言うと……そうそう、ムネアカオオアリが俺のカラダを登ってきたんだよ。いつもの通りいきなり現れたから驚いたんだ。俺は仕方なく一号と二号に餌やりをしようとしていた。蝶の餌の作り方も、仕方なく姉から無理やり教わったし。そう、断じて俺はノリノリで餌をやろうとしていたわけじゃない。

 小皿とゼリーを持って、意を決して蓋を開けようとした、その瞬間だった。


「お兄ちゃん!」


 テレビじゃない。もっと近くで聞こえる声。目の端に触覚が映り込む。


「ひょえ!? また君は! どっから入ってきたの!?」

「ムネアカは小さいから、どこからでも入ってこれるんだよ!」


 そんなに自信満々に言わないで。俺からしたら逆に怖いんだよ、それ。あらゆる出入り口にガムテープを張っている自分を想像して、そして家族に怒られる幻想も思い浮かべるまでがセットだ。もっと小さい頃にやったことがあるからな。虫嫌いな俺には抜かりない。


 そうこう考えているうちに、俺はオオムラサキのかごの入口を半開きにしていることに気付かなかった。手に何か粉っぽいものが触れる感触がして、不審に思って目を落とす。


「って、あれ? 二号は?」

「ここでありんすよぉ。やっと来てくれたでありんすね」

「わお!?」


 違う! 好きで来たわけじゃないし、来たとしても好きじゃない!


 耳の近くで息混じりの声がしたので振り向くと、いつの間にか背中に回り込まれてしまっていた。蝶は優雅そうに見えても、意外と行動が素早い。振り払おうとカラダを捻ったそのとき、俺の腕がもうひとつの虫かごにぶつかる。


「いっけね!」


 一号のかごだ。カラダがぶつかった拍子に、床に落下していく。取り上げようとしたけれど、中でカブトムシが動いて俺の腕を引っ込ませた。いやー! 動かないで!


 また残念なことにテーブルの上に置いていた小皿とゼリーも無残にも零れていた。ゼリーに至っては踏んでしまったようだ。あぁ、もう一度用意し直さなきゃ。いや、そんなに難しい工程でもないんだけどさぁ。やっぱり作ったものが飲食できなくなると悲しいじゃない?


 落下の衝撃で勢いあまって蓋が開き、虫かごの中の土がフローリングに広がる。ごめん、お母さん。ちゃんと掃除します。


「ぎゃ!」


 でもそれより何より、茶色い虫がこちらに向かってくるのだ。ぎゃー! カブトムシって飛べるんだ!? そりゃそうだよね! 翅あるもんね!!


「誰か、助けて……」


 怖くて半分泣いている。三匹の昆虫に動きを封じられているなんて、はたから見れば滑稽だった。虫と遊んでいるのかな? 遠目だったら、そう思われても不思議ではない。


 でも本当は足がすくんで動かないのだよ。こんなときに限って姉貴はバイト中だし、母さんは買い物中だし、父さんは仕事からまだ帰っていない。この中で頼りになるのは姉だけだから、父さん母さんは気にしなくてもいいけど。でも誰も居ないと思うと急に心細くなるのが人間だ。どうしよう、俺いつまでこうしてたらいいの?


「お兄ちゃんはムネアカに美味しいごはんくれたの!」

「それとこれと、何の関係が!? わたくしは主様のおカラダで生き長らえているようなものでありんす!」

「はぁ!? 何それ、聞いてない! 一号というものがありながら、幹也クン浮気!?」


 いやいや俺も聞いてない。恐らくはただの見栄だ。場をこじらせるようなこと言わないで。

 ……というか一号は一号でいいんだ。


「お兄ちゃん! ムネアカはお兄ちゃんのこと大好きだからね!」

「わたくしだって!」

「ちょっと! 離れなさいーっ!」


 ウルサイ。早いところ売り飛ばしてくれないのかな。一号はいつまで経っても貧乳だし、二号は標本にするには可哀想だし、三号は野生だし。……っていやいや、ムネアカちゃんは三号に認定した覚えはない。訂正だ。


「ん? ――わ! わ! こっち来ないで!?」


 途方もない口論に割り込んできたのは、カブトムシに似ているが細長い物体。どこから入り込んだかは分からないが、動けない俺の胸に飛び込んで、少女の姿になる。


「下劣な……!」


 金髪美少女が抱き付いてきたと思ったら、違った。パチンと弾ける音がして、自分が平手打ちを食らったことに気付く。ふぇ? なんで俺、殴られなきゃいけないの?


「ちょ、ちょっと誰なのよ!? 幹也クンに何するの!?」


 一番に声を上げるのは一号だ。さすがは最初に俺に引っ付いてきただけのことはある。


「何って、制裁を与えているのだ。こいつは樹液の匂いをさせながら昆虫を引き寄せ、我々同胞を攫っている極悪人なのだぞ!?」


 わーお、俺って極悪人なんだ。知らなかった。じゃあこのカラダを治す方法を一緒に考えてよ。でも君も昆虫だったよね。一瞬だったからあまり見えなかったけど、遠い昔に見たことある気がする。


「そんな……、主様はそういうお人ではありんせん!」

「しかし貴殿らはこうして掴まっているではないか!?」


 ねぇ、それ、俺の腹筋にカニばさみしながら言うことだったかなぁ? この図だけ見れば、そちらさんも掴まっているように見えるよ?


「下品にも我々をはべらし、こんなに小さな子までたぶらかして……! 万死に値する!」


 好きで、はべらしているわけではないです。勝手についてくるんです。でも言っても分かってくれるかな。眉を吊り上げて怒っている彼女は、良く見れば騎士みたいな恰好をしている。鈍い銀色の甲冑に身を包んでいるが、みぞおちの辺りに隙間が空いている。


「お姉ちゃん、たぶらかす、ってなぁに?」

「えっ!? それは……」


 よし、良くやった。甲冑のお姉ちゃんは幼女にどう説明しようか、しどろもどろだぞ。そういうことは迂闊に口に出すもんじゃない。しかし金髪の少女は、ひるまず続けて攻撃してきた。


「とっ! とにかく! こいつは悪人だ! 早く離れろ! はしたない!」

「まぁ、そのような格好をして、良く言えますこと!」


 オオムラサキは、ほほほ、と余裕たっぷりに高笑いをしている。そうなんだよ。君もはしたない恰好をしているよ。俺のカラダを足で挟んでいるだけじゃない。さっきも思ったけど、鎧の間からね、その、下から見えてるのよ。大きなプリンが。眼福眼福。……虫だけど。


「そうそう。あと、こっちは好きで幹也クンの側にいるの。あなたもこのカラダには逆らえないハズ。身をゆだねると楽だよ?」

「な、何を言って――!?」


 そうだぞ!? お前は何を口走っている!? 俺がまるでイヤらしいことをしているみたいに聞こえるじゃないか!?


「あ、あのさ!」


 このままじゃ埒が明かない。いままで黙っていたが俺は口を開くことにした。


「取りあえず、みんな離れてくれない!?」


「はぁ?」

「はい?」

「えー?」

「なに?」


 悲しいくらいに総スカンだった。

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