七日目 ムネアカオオアリ

「なんで、またいるの……?」


 どうしてかなー。送り届けたはずなんだ。あのときあのベンチの近くであの子を下ろして、ちゃんと背中も確認したはずなんだ。これでもう会うこともないと思っていた。


 なのに数日後にまた会えるなんて聞いてないぞ。


「あの!」


 幼女はまた元気よく俺の腕を掴んでいる。しかも、今度は家の中で。


「ムネアカにごはんください!」


 懐かれた? アイスあげたから? ごはんって言われても……。今日は何も持ってないぞ?


「いや、その。今日は何もなくて……」

「ええっ!? でもお兄ちゃんのカラダから、甘くて良い匂いがしてるよ!?」


 あー、えっ、アリって樹液飲むの? この言葉に順応している自分が怖い。


「ムネアカはだまされないんだから!」


 そんなこと言われても。どう説明しようか悩んでいたところに、姉の声がかかる。おや、今日はタイミングいいじゃん。


「おーい、オオムラサキの餌の作り方教えるから、来い!」


 いやいや、どちらにしても虫に行き着くじゃないか。何を選んでも同じだ。どうにかして切り抜ける方法はないものか。よーし、だったら……。


「あ、あのさ。バナナあげるから帰ってくれない?」

「ばなな……? それでムネアカは丈夫なタマゴ産めるんですか!?」


 ギリギリアウトだよ、それ。バナナなんて言わなきゃよかった。でもカルピスでもアウトだな。

 それにそんな小さな君がタマゴなんて産めるわけないじゃないか。誰から聞いたのよ。はしたない。


「いや、タマゴは、産めないと思うけど……」


 どう答えるのか正解だった? 差し当たりなく答えようとしたけど、どうしても犯罪者みたいな受け答えになってしまう。そもそも幼女に見えるのがいけないのだ。俺の頭よ、どうか元に戻ってくれ。


「どうしてですか!? ムネアカは、どうしても元気なタマゴを産まなきゃいけないのです!」

「ちょっとまだなの!?」

「いやぁ、そんなこと言われても」


 アリと姉とで板挟みだ。どうでもいいけど一文字違いだね。いったいどうすればいいんだ。


「えーっと、タマゴ、タマゴね。あー、もしかしたら産めるかもよ?」


 焦って適当なことを言ってしまう。いやでも、幼く見えるだけでもしかしたらもうタマゴが産める年なのかもしれない。だって虫ってすぐ成長するじゃん?

 だからきっと産める、産める。やだ、俺、本当に幼女誘拐したヤツみたい。婦女暴行で捕まらないよね……?


「アンタ、何やってんの?」

「姉貴!?」


 痺れを切らした姉が、キッチンから俺の部屋まで登ってきたようだ。あっといけない。勢いあまって普段呼んじゃいけない呼称で言っちゃった。お姉さまは目つき鋭く俺を睨んでいる。


「そんな野蛮な名前で呼ばないで」

「ご、ごめんなさい……」


「呼んでも来ないから、様子を見に来たけど。ムネアカオオアリじゃない、珍しい」


 姉もこの虫の正体を知っているらしい。えっ、俺が知らないだけで常識なの? でもそこからよく見えたね。


「アリにしては大きい部類だけど、この子は小さいね」


 ああ、そういうこと。でかいアリいるよね。想像したら血の気が引いた。


「あっ、あのさ、姉ちゃん。こいつ、タマゴって産めるかな?」

「は? タマゴ?」


 ごめんなさい、変な質問しました。でも早いところ追い払いたい。だってこの子が言ったんだもん。って、他の人には分からないか。


「見たところメス、翅があるから女王アリかな。でもまだ小さいし、タマゴは無理なんじゃない? 結婚飛行する時期でもないし。それに、まだ交尾してない」


「こっ――! こ、こ、こひゅ……」


 その単語が口から飛び出すのを、何とか止めた。大学生にもなるとそういうのにも免疫が付くの? 大学生ってオトナだなー! 俺はちょっと、まだ、無理……。


 待って。そんなこと言われると、女性意識しちゃうじゃん! 止めてよね!?


「そう、か。無理なんだって、さ」


 ぎこちなく笑いながら、アリに答える。残念だけど、諦めてもらうしかない。幼女も姉の言葉を聞いたのか、しゅん、と項垂れていた。


「ご、ごめん……」


 姉に気付かれないように小声で言う。さっきから謝ってばかりだ。でもどうしようもないし、俺はどうすればいいんだよ。


「にしても、どうして未熟な女王アリなんかくっつけてきちゃったのよ?」

「えー? さぁ、どうしてでしょう……?」


 それは俺に言われても困る。

 あぁ、この子って女王アリなんだ。じゃあいまはお姫様? 全然そうには見えないけど……。そんなことを考えていると、幼女の方から口を開いてくれた。


「おかあさまが病気なの。だからムネアカは栄養をつけて、立派なタマゴを産まなきゃいけないの。じゃないと、家来たちが困っちゃうから……」


 思ったよりお姫様っぽいお言葉いただきました。幼女が頑張ってるとあれだね、ドラゴンをクエストするあのゲームみたいだね。そうか、お母さん病気なのかぁ。それは心配だ。


「ね、姉ちゃん。病気のアリって、看病できる?」

「できるわけないじゃん、バッカなの?」


 鼻で笑われてしまった。蔑んだ目でこちらを見ている。どうにも仲間にできそうにない。


「でも弱ってるし、食べ物でも分けてあげたら?」


 しかし助け船は出してくれるようだ。ライバルポジションなのかもしれない。


「そ、そうだよね。じゃあ何か甘いものでも持って来ようか」

「アンタのカラダでも舐めさせてあげたら?」


 そんな冗談に聞こえない冗談言わないでよ。もしかして、姉貴って言ったことずっと怒ってる? やっぱりラスボスに昇格しよう。

 渋い顔をしていたら、幼女がぽかんとこちらを見ていた。こっちは仲間にしてほしそう。いくら可愛い顔したって、断固として側にいてほしくない。


「カラダ?」

「そんなことっ! できるわけないだろ!?」


 想像してはいけない。だって幼女だぞ!? いやいや、幼女以前にアリだ、この子は。取りあえず食べ物でも分けてあげれば今度こそ大人しく帰るだろう。

 飛ぶように一階へ降り、角砂糖をひとつ取ってアリに渡してやる。ムネアカはぶらりとただ掴まって、されるがままになっていた。


「とっ、取りあえず! これでいいよね!?」


 幼女は角砂糖を柔らかそうな手のひらで受け取ると、花が咲いたように大きく笑う。砂糖がすぐに見つかってくれて良かった。そしてそのまま玄関に向かう。


「おうちは、分かる?」

「うん! 分かる」

「じゃあここ置いておくから、持って帰ってね!」


 そうしてまた俺は油断した。幼女の姿だとほんの小さな角砂糖。でもアリの姿ならとてつもない大きさだ。どうやって運ぶんだろうと思っていたが、やがてあの子は働きアリを連れて、長蛇の列を作っていた。


「ヒィー!!」


 翌日、俺はそれを目撃して悲鳴を上げる。あのベンチから俺の家まで、赤黒い粒々がたくさん存在していた。

 怖くて足が動かせない。もうこのランニングルートは使えないじゃないか! と思っていたら、三度の声が上がる。


「お兄ちゃん!」

「えっ、あぁ、おう。ムネアカ、ちゃんか……」


 地面にうずくまるようにして、俺の足首を掴んでいる。君は首に掴まるのが好きだね。


「お母さんは良くなったの?」

「それが、まだなの……」

「そっかぁ」


 まぁ、そりゃ昨日の話だもんな。でも可哀想に、早く良くなることを祈ってるよ。そしてそれからはもう、近くに寄ってくれるな。


「ちょっと、ジャマ!」

「ぎゃっ!?」


 新しい虫でも集ってきたのかと思ったら、姉貴だった。夏休みに入って時間があるのかこれからバイトに行くらしく、キレイに顔を整えている。でも表情は最悪だ。めっちゃ怒っている。


「すみません、どきます……」

「フン!」


 鼻を鳴らして、姉は通り過ぎる。俺ではめったに見れない美人をやり過ごそうとしたが、すぐに立ち止まって足元を見た。


「甘いものだけじゃダメよ」

「えっ?」


 アリの行列を見下ろして、姉はティッシュに包んだ何かを置く。あれは、しらす……?

 あ、いっけね。俺も魚の骨捨てなきゃ。姉のお陰で数日前にポケットにしまい込んだ鮭の骨を思い出した。ありがとう、アリだけに。とっくに十匹以上は超えているけどね。


「そんなのあげて大丈夫なの……?」

「何言ってるのよ。アリは他の虫だって食べるじゃない。甘味もいいけど、たんぱく質も摂らないと。アンタと同じ」


 虫と同じにしないでほしい。でもそうだった。そこらへんにいるアリって、虫食べてるわ。こんなに小さいのに、いやアリにしては大きいほうだけど、その鋭いアゴでちぎっていると思うとゾッとする。


 ぞわりと背中が動くのと同時に、足元から幼女が離れる。わぁ、すごい。魚に一目散だ。すぐさま黒くなる白かった物体を見て気分が悪くなったので、俺はもう少し後に出かけることにした。


「そうそう、今日は遅くなるから。今夜は一号と二号に餌やっといて」


 あー、はい。そうですかぁ……。がっくりと肩を落とし、俺はきびすを返した。

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