042 雄叫びとマリコ


「お、お、お……」


「……」


 隣の席の南井が、まるで幽霊のようにふらふらと立ち上がる。

 なんとなく先が想像できた俺は、早めに両耳を塞いでおくことにした。


「終わったーーーーー!!!」


 突然そう叫んだ南井に、クラスの連中がドン引きした視線を向ける。

 無理もない。

 防御しててもこれだけうるさいんだから、実際は爆音だったんだろう。


 それにしても、相変わらず恥ずかしげもなくよくやるな、こいつは。


「終わったよー悠雅っちー!!」


「うるさい」


 こっちに泣きついて来そうになった南井に、手を伸ばしてチョップをお見舞いする。

 南井は「うぐっ!」とうめいてから、頭を押さえて涙目になった。


「悠雅っちー、ひどい……」


「終わったのはわかったから、静かにしろ」


「だ、だって! ついに解放されたんだよ! 自由なんだよ!」


「それにしても声がデカすぎるんだよ」


 そんなことを話しているうちにも、教室からはぞろぞろと人が出て行く。

 大抵のやつが南井と同じく、肩の荷が下りたような顔をしていた。


 期末テストも全日程が終わり、いよいよもうすぐ冬休みだ。

 年の瀬ということもあってか、浮かれているやつも少なくない。


「いぇーい! 悠雅、南井ちゃん、お疲れー!」


 なにを隠そう、こいつもその一人だ。


 教室から出る人波に逆らって、春臣はるおみは上機嫌でこちらへやって来た。


「仙波くーん! お疲れー!」


「いやぁ、いけたな、これは。赤点はない」


「あたしもー! 日本史もたぶんセーフ!」


「これも悠雅塾のおかげだなぁ」


「あと、静樹塾ね!」


 南井の言葉で、俺たちはちらりと派手ガールズの方を見た。

 いつも通りに集まって、これからどこに行く、だとかを話し合っているようだ。

 そんな中で、静樹は一瞬だけこちらを見て、口パクで何か言ったように見えた。


「おっ」


「なんて言ったんだろ?」


「たぶん、『お疲れ様』だな」


 口の動き的に、それくらいしかないだろう。


 派手ガールズはそのまま、気楽そうに笑いながら出て行った。

 さて、俺もさっさと帰るとしよう。


「あ、悠雅っちー。今日の夜、またグループ通話ね。クリスマスの計画するから!」


「覚えてたら参加する」


「覚えてなくてもスマホ見なさい!」


 ビシっとそう言った南井に軽く手を挙げて、俺は教室を出た。


 今日はちょっとぶりに、イツイツの配達でもするかな。



   ◆ ◆ ◆



「イツイツでーす」


「いつもありがとねー」


 笑顔で手を振る中年の女性に見送られ、俺はマンションの一室を後にする。

 あの人は何度か配達をしたことがある客で、いつも同じ親子丼を注文しているのだ。

 たまに手に持ったまま出てくるペンを見るに、たぶん漫画家とかじゃないかと勝手に想像している。


 今日も配達は捗り、駅前を拠点にけっこうな数の案件をこなせていた。

 最近は慣れのせいか効率も良くなって、そろそろなかなかの額が貯まりつつある気がする。

 使い道があまりないのが悲しいが、まあ、漫画にでも使ってみようか。


 そんなことをぼんやり思いながら、とろとろと駅前を走る。

 少し待って、注文が来ればあと一件くらいはやっておこう。


「あっ」


 その時、突然後ろでそんな声がして、俺は反射的に振り返った。

 こういう場合、ほぼ確実に自分には関係ないはずなのだが、なんとなく、その声に聞き覚えがあったような気もして……。


「……あ」


 少し離れたところにいる女子高生が、こちらを見ている。

 知っているやつだ。

 が、目が合ったのはこれが初めてだろう。


「……蓮見はすみ?」


 そいつは俺の名字を呼んだ。

 俺もそうしたかったけれど、残念ながら珍しいことに、下の名前しか知らない。

 俺は潔く諦めて、自転車を漕ぐのをやめて黙っていた。


「バイト?」


 今まで話したこともないのに、自然に会話を振って来た。

 リア充にとっては、これが普通なのかもしれない。

 べつに後ろめたいことも……まあ、ないので、俺も答えた。


「そうだけど」


「へぇ、こんなのしてるのね。イツイツ、だっけ?」


「ああ」


 長い茶髪と、化粧のせいか大きく見える鋭い目、短いスカート。

 教室にいる時よりもやけに落ち着いて見えるそいつは、腕を組んで、意外そうに俺を眺めていた。


「……私の名前知らないでしょ」


「名前は知ってる。名字は知らない」


信濃しなのよ。信濃真理子まりこ


 言って、名もなきギャル改め、信濃は肩をすくめた。

 静樹がユカ、ミキ、マリコと呼んでいた派手ガールズのひとり、マリコだ。

 三人の中でも、比較的大人びている印象がある、リーダー的なポジションの女子。


「そっちは蓮見悠雅よね」


「よく知ってるな」


「もう二学期の終わりなんだから、普通知ってるわ」


「そうか」


 どうやら俺は普通ではないらしい。

 まあ、これは苦手分野だから仕方ない、得意分野で補おう。

 そんなもん無いけど。


 信濃は学生服の上にコートを着ていた。

 学校用のカバンを肩にかけているのを見るに、放課後からずっと外にいたのだろう。


 静樹はもう帰っただろうか。


 俺はふと、そんなことを思った。


「それで、なんの用だ」


 用が無いならもう行くぞ。

 そんな含みを持たせたセリフだったのに、信濃はこちらに近づいてきて、さらりと言った。


「今、時間ある?」


「……用件による」


「へえ。内容次第では拒否しないのね」


「……」


水織みおりのことで、聞きたいことがあるんだけど。どう?」


 信濃は、感情の読めない表情をしていた。

 対して、俺の顔にはたぶん、焦りとか困惑とか、とにかくそういう都合の悪いものが、浮かびまくっているに違いなかった。

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