037 デビューと演技


「食べたぞー!」


「雄叫びをあげるな。片付け手伝え」


「えへへ。はーい!」


 あの後、俺たちは何事もなかったかのように、昨日と変わらない時間を過ごした。

 要するに勉強と、それからイツイツでの食事だ。

 今は空になったプラスチックの器や使い終えた箸を、分担して始末している。


「それにしても、ジュースまで用意してるなんて、気が利くようになったなぁ悠雅ゆうが


「昨日はうちで夕飯まで食うとは思ってなかったからな。静樹を送った帰りに買っておいた」


「サンキュー。いやぁ、悠雅の成長が嬉しいよ、俺は」


「お前は親か」


「親代わりの自覚はある」


「俺に子の自覚はない」


 ゴミをまとめて袋に入れて、そのままリビングのゴミ箱へ。

 昨日の分と合わせて、もうあふれそうになってしまっていた。

 解散したら、ゴミ袋を入れ替えておくとするか。


「静樹ちゃんはどうして敬語なの?」


 部屋に戻ると、ちょうど南井がそんなことを尋ねていた。


「どうして、って言われると困ってしまいますね……。小さい頃からの癖なんです。直そうとは思ってるんですが……」


「いやぁ、直さなくて良いだろー。そこも静樹さんの魅力だし」


「そ、そうですか……?」


「そうだよー! たまには良いこと言うじゃん、仙波くん」


「全部良いことだぞー、俺のセリフは」


「否定する気にもならないな」


 言いながら、俺も空いていた場所に座る。

 静樹は相変わらず楽しそうに、口に手を当ててニコニコしていた。


「聞いてもいいのかわかんないけどね」


「は、はい。……なんですか?」


「どうして静樹ちゃんは、学校ではキャラを変えてるの?」


「あっ……えっと」


 それは、実は俺も気になっていたことだった。

 ただ南井の言う通り、静樹が嫌がるのを恐れて、聞けなかったのだ。

 だからこそ、こうして踏み込んでいけるのは、やっぱり南井の凄いところなのだろう。


「……」


 静樹はしばらく目を伏せて、それからゆっくりと胸に手を当てた。

 静樹が深く息をする音を、俺たち三人は黙って聞いていた。


「私……」


「うんっ」


「……私、中学生の頃まではすごく……今よりももっと、本当に地味で、暗かったんです」


「……」


「そのせいで、友達も全然できなくて……いつもクラスで浮いていて、そんな自分がすごく嫌で……」


「……」


「……だから、新しい自分になりたくて……。高校進学をきっかけに、自分なりにメイクとかオシャレとか、研究してみたんです……。いわゆる、高校デビューというやつですね。今考えれば、みっともなかったと思います」


 南井はいつの間にか、膝に置かれた静樹の手を握っていた。

 春臣は壁に寄りかかって座り、蛍光灯を睨んでいる。


 俺は静樹の言葉を一言も聞き逃さないように、下を向いて目を閉じた。


「でも、すごいんですよ、数ヶ月前の私。そのために両親にお願いして、遠くの高校に通いながら一人暮らしなんて始めて……。それほど必死だったんだと思いますが、よくやりますよね……」


「ふふっ。そうだね」


「……だけど」


「うん」


「だけど、そうしたら……なんだかうまくいきすぎてしまって」


「……」


「それまで全然かかわらなかったような、派手なタイプの子たちのグループになってしまって……。そこまで目立つつもりじゃなかったんです。でも、そんな調整ができるほど、あの時の私は器用じゃなくて……。それは、今もそうなんですけど……」


 南井が首を振りながら、静樹の二の腕を撫でた。


「……それで、抜け出せなくなってしまって。ユカちゃんやミキちゃん、マリコちゃんたちのペースに合わせていたら……こうなっちゃいました」


「……」


「……もう、ホントに、バカですよね。自分の身の程も考えず、無理するから……。仲良くしてくれるあの子たちのことも騙して……こうして、蓮見くんたちにも迷惑をかけて……私……私は」


「静樹」


 気がつくと、声が出ていた。


 突然のことに、静樹だけじゃなく、南井と春臣も驚いた顔をしていた。


「……いや、悪い。続けてくれ」


 また、目を閉じる。


 俺は今、なにを言おうとしたのだろう。

 そしてなぜ、言うのをやめたのだろう。

 その答えは、この場では到底分かりそうになかった。


「……だから、なんだかずっと、お芝居してるような気持ちです。ユカちゃんたちもみんな優しくて、すごくいい人たちなんですけど……やっぱり、ペースや考え方が合わないことが多くて……」


「……そっかぁ」


 南井の声は優しかった。

 腕を撫でていた手が頭に移動して、あやすようにぽんぽんと軽く叩く。


「……でも、蓮見くんや南井さん、それに仙波くんには、ありのままの自分を見せられる気がして。……いえ、みんなの前では、ありのままの自分でいたくて……」


「……」


「だから……ありがとうございます。本当に」


 そこまで言って、静樹は深々と頭を下げた。

 そばにいた南井が顔を上げさせようとしても、静樹はしばらくそのままで、かすかに肩を震わせていた。

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