038 ねぎらいとありのまま
その後、俺はまた静樹を家まで送ることになった。
昨日と同じ上着を貸して、昨日と同じ道を、昨日と同じように歩く。
「……」
「……」
静樹の口数は少なかった。
ただ浮かない表情のまま、じっと下を向いていた。
俺もなにも言わなかった。
そうこうしているうちに、静樹のマンションに着いた。
時刻は20時を過ぎたあたりで、辺りは暗いがまだそこまで遅くはない。
帰ったら、また勉強だな。
今日は、あんまり進まなかったし。
そんなことを考えながら、まだ暗い顔をした静樹から上着を受け取る。
正直、柄にもなくかなり心配だった。
なにせ、あんな話を聞いてしまったのだから。
「……大丈夫か?」
思わず、そう声をかけていた。
「……え」
「いや……元気ないから」
「……
静樹の顔が、少しだけ明るくなる。
いや、正確には、驚いたように目を見開いていた。
「……元気は、ちょっとないです。えへへ、ごめんなさい……」
「い、いや……」
「……元気はないですけど、平気です。それより、ありがとうございました。今日は……聞いてくれて」
「……礼を言われる筋合いはないけどな」
俺はただ、話を聞いただけだ。
南井みたいに、慰めてやることもできなかった。
それに……。
「……悪かった」
「えっ……?」
「……静樹が、どうして今みたいになったのか。そんなの、もっと早くに聞いてやればよかったのに。……ホントに、悪かったよ」
「……そんな」
静樹は自分の胸の前で、祈るように両手を組んだ。
それからゆっくりと首を振り、俺の方をまっすぐ見る。
「でも蓮見くんはきっと、私が困るかもしれないって思って、聞けなかったんでしょう?」
「……それは、まあ」
「……蓮見くんが私のことを思いやってくれていたのは、言葉遣いや表情から、ちゃんと伝わってます。私だって、意外と察しがいいんですからねっ」
「……静樹」
「……だから、やっぱりいいんです。もし蓮見くんが尋ねてくれたとしても、たぶん以前の私なら……答えられなかったと思います」
「……そうか」
「はい。今日、ああしてちゃんと聞いてもらえただけで、私は本当に嬉しいんです。それに……」
その時、俺たちの横を、マンションの住人らしき若い男が通り過ぎた。
途端、俺と静樹はそっぽを向き合って、その男がマンションの中に消えるまで、お互いに黙っていた。
改めて向き合うと、静樹の顔はほんのりと、赤く染まっているように見えた。
「……それに、話す覚悟ができたのだって、蓮見くんのおかげなんです。ありのままの私を受け入れてくれて、私が自分に正直にいられる時間をくれた、蓮見くんの……」
「……」
「私こそずっと、ちゃんと言えなくてごめんなさい。……本当に、ありがとうございます」
「……おう」
視線がかち合う。
ふんわりと笑う静樹の顔を見ると、俺は無性に気恥ずかしくなってしまって、思わず口元に手をやった。
「……なあ、静樹」
「? ……なんですか?」
「……お前は、自分に正直に、とか、ありのままの自分で、って言うけどさ」
「……」
ありのまま、ってなんだ。
いったいどういう状態を、そんなふうに呼ぶんだ。
「……友達が欲しくて、自分を変えたくて……そのために変わろうと努力したお前だって……ちゃんと静樹だろ?」
静樹は言った。
俺や
堂々としていると、伸び伸びしていると言った。
でも、それは本人が、そういう生き方を望んでいるだけだ。
なら、変わりたいと願ったり、普段とは違う自分として振る舞いたいと思う気持ちだって、きっとそいつの本心なんだ。
「……蓮見くん?」
「……だから、そうやって頑張った自分のことも、ちゃんと認めてやってもいいんじゃないか」
「……えっ」
静樹は呆気に取られたように、小さく口を開けていた。
自分が今、なにを言われているのか、それを困惑しながらも、少しずつ紐解いていっているみたいだった。
俺みたいな、今の自分に満足してしまっているようなやつは、言い換えれば、立ち止まっているだけなんだ。
それが悪いことだとも、俺は思わない。
そんなことを言う資格は、俺にはない。
でも、変わりたいという気持ちは眩しい。
なりたい自分に近付くために、実際に行動を起こせるやつは、それだけで充分すぎるほどに、すごいに決まってる。
だから、たとえそれで失敗したって。
それで後悔したって、自分を否定するべきじゃない。
むしろ、今そいつに……静樹に必要なのは。
「今まで、よく頑張ったな」
途端、静樹の目に涙が浮かんだ。
ボロボロとあふれて、筋になって頬を伝う。
顔がくしゃくしゃになって、口元が歪んでいた。
まるで飛び込んで来るように、静樹は俺に抱きついた。
マンションの前で、俺の胸に顔を埋めて、小さな声で静樹は泣いた。
「蓮見ぐん……っ! 私……ずっと……ずっと……!」
「つらかったな。ホントにすごいよ、お前は」
ねぎらってやらなきゃいけない。
こんなに頑張って、一人で抱えていたこの子のことを、誰かが褒めてやらないきゃいけない。
そして思い上がりじゃなければ、それはたぶん、俺が果たしても良い役目なのだ。
「頑張ったんです……! 頑張ったけど……!」
「ああ、わかってるよ。お疲れ様、静樹」
腕の中にいる静樹に上着をかけて、背中をさする。
今だけは、セクハラだなんて言ってくれるなよ、南井。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます