029 席替えと悠雅塾


「あー、おはよう悠雅ゆうがっちー」


 自分の席にたどり着くや否や、小さな嵐が俺を襲った。


「お隣さんとして、改めてよろしくねー」


「……はぁ」


 昨日の放課後、先週くじを引いた席替えが予定通り行われた。

 俺は窓側の後ろから二列目、一般的にはアタリとされる席になった。

 それだけならいいのだが、右隣に来た南井みない彩美あやみが、予想通り騒がしい。


 昨日は小声で話していたくせに、今はもう周りのことも気にしていないようだ。


「ため息とは酷いなー」


「幸せが逃げたもんで」


「いや、逆ね。ため息すると幸せが逃げるんでしょ。あたしという名の幸せが逃げちゃうよ?」


「はぁ。はぁ」


「こらー! 連発しない!」


 言って、南井はケラケラ笑っていた。

 朝一発目から、このテンションとは。

 この先が思いやられるな。


「おっはよーみおりーん!」


「おはよーユカちゃん」


 俺が脱力感に耐えながら鞄を下ろしていると、教室の入り口でまた賑やかな声がした。

 ちょうど静樹しずきが登校してきたところらしい。


 派手ガールズの面々と短い言葉を交わしながら、静樹はこちらへ近づいてきた。

 当然ながら、俺とバッチリ視線がかち合う。


 静樹はそのまま俺の後ろの席に鞄を置き、イスに座った。

 なにを隠そう、俺と静樹は前後の席になったのだ。

 だからといってどうというわけではないにしろ、なんとなく運命の悪戯的なものを感じなくもない。


 隣に南井、後ろに静樹。

 せっかく窓際になったのに、なんだか落ち着かなさそうだ。



   ◆ ◆ ◆



 午前の授業が終わり、昼休みになった。


 俺は一つあくびをしてから、授業間に買っておいたパンと、英語の教科書を机に出す。

 そろそろ期末テストが近いので、しばらく昼休みの漫画はお預けだ。

 まあ、今はこれといって読むものもないんだけれど。


「うげっ。悠雅っちー、休み時間にも勉強するの?」


 愛嬌のある顔を嫌そうに歪めた南井が、隣からそんな声をかけてくる。

 南井は可愛らしい弁当箱をテーブルに広げて、なぜか身体をこちらに向けていた。


「テスト前だからな」


「あーあー。聞こえなーい」


「そうか」


 聞こえないなら仕方ない。

 さて、俺は勉強に集中するとしよう。


「ちょっとー! ずるいよ悠雅っちー! 勉強されたら焦るじゃん!」


「焦るなら勉強しろよ」


「やだやだやだ!」


 なんてことだ。

 ここまで理不尽わがまま野郎だったとは。


「勉強しないで!」


「アホかお前は」


「じゃああたしにも教えてー!」


「やだよ」


「なんで! 勉強得意でしょ?」


「べつに得意じゃないし、教えるのは性に合わないんだよ」


「いじわるー!」


 南井は嘆くように叫んでから、勢いよく弁当を食べ始めた。

 まるで、エサを頬張る猫のようだ。


「このままあたしが赤点取ったら、悠雅っちーのせいだもんね!」


「それでお前の心が安らぐなら、俺は喜んで犠牲になるぞ」


「やだーーー!」


 やれやれ。

 それにしても、こいつ赤点ラインなのかよ。


 勉強を教えるのは嫌いだ。

 自分のことでも精一杯なのに、人の面倒まで見ていられないからな。


 それに、そうでなくてもどうせあいつが……。


「おーっす悠雅ー!」


「……」


 来たか……。


 招かれざる客、仙波せんば春臣はるおみはビニール袋を掲げながら、景気の良さそうな顔でこちらへ向かってくる。

 どう考えても、面倒なことになった。


「うわ、仙波くんだー」


「ん? お、悠雅がまたぼっちじゃない!」


 春臣は俺の前の席に勝手に座りながら、珍しそうにまじまじと南井を見た。

 対する南井も、春臣と俺を交互に眺めるようにして、ふぅむと唸っている。


 ややこしい組み合わせだ。

 しかもいろんな状況が合わさって、いつも以上に周囲の注目を集めている気がする。

 けっこうな人数が、こっちをチラチラ見ているのが明らかだった。


 というか、『また』とか余計なこと言うなよな……。


「はじめまして、仙波くん」


「悠雅、誰だこの美少女は」


「南井彩美! ちゃん! です!」


「ほお、南井彩美ちゃん」


「蓮見くんの友達になったの。よろしくね、仙波くん」


「そうなのか?」


「まあ、そうかな」


 否定しても、どうせ南井が文句言うだろうし。

 それに、もはや否定する気もないしな。


「うーん。これは、ついに悠雅もぼっち卒業か」


「そうそう。悠雅っちーはあたしに任せといて」


「なんと。よかったな、悠雅っちー」


 春臣は短くこちらに目配せすると、すぐに南井に向かって胡散臭い笑顔を浮かべた。

 今度説明しろよ、というような意味を込めているのだろう。


 なんだか、どんどん状況がややこしくなっている気がする。

 これは、早めに対策を講じた方が良さそうだな。


「ところで悠雅、今回も勉強会やるぞ!」


 春臣は突然、俺が恐れていたことを言った。


「おい、今その話は」


「えっ、なにそれー!」


 これは、まずい……。


「やっぱりそういうのやるんじゃん! うわー! 仲間はずれだー!」


 俺の言葉を遮って、南井が子供のように喚く。


 春臣、恨むからな……。


「テスト前恒例の悠雅塾だよ。南井ちゃんも来る?」


「行く行くー!」


「勝手に決めるな。ひとりで手いっぱいだぞ、俺は」


 ただでさえ、春臣の勉強に付き合うだけでもきついのに。


「え、そっか……。じゃあ仙波くん、悪いんだけど今回は諦めて」


「なんだよー。南井ちゃんとも仲良くなりたかったのになぁ」


「ごめんね。じゃあ悠雅っちー、勉強会いつにする?」


「いや、俺が不参加なのかよ」


 春臣の淡々としたツッコミに、南井は感心したようにおぉーっと声を上げた。


 これでわかった。

 やっぱり、こいつら二人を抱えるのは無理だ。


「まあいいじゃん悠雅。やってみたら楽しいって」


「楽しいのはお前らだけなんだよ……」


「わーい! じゃあ週末集まろー! グループ作るねー!」


 南井は意気揚々と言って、あれよあれよという間に『悠雅っちー塾』なんて名前のメッセージグループを作成してしまった。

 勢いに押し切られる形で、俺もメンバーに入れられる。


「これであたしも赤点回避だー!」


「俺もだー!」


 うるせぇな……。


 ……仕方ない。

 どう考えてもキャパオーバーだが、腹を括ろう。

 今からいつもより多めに勉強しておけば、なんとか自分の成績は保てるだろうし。


 ふと教室の反対側を見ると、派手ガールズの面々が不思議そうな目でこちらを見ていた。

 その中にいた静樹しずきと、一瞬だけ目が合う。


 すぐに顔をそらした静樹の表情は、なにやら妙に、不機嫌そうに見えた気がした。

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