025 デートと紳士


 なんとも言えない出来事があった、その翌日。


 週末だということもあり、この日もイツイツのバイトが捗った。

 朝から昼過ぎまで配達に奔走し、夕方までは期末テストの勉強をする。

 早めの夕食を摂ってから、今度は夜の配達に向かった。


 けっこうな頻度で届く注文メールから、条件の良さそうなものを選んで受注する。

 何度か繰り返していると、推定収入が今日の目標額を超えた。


「イツイツでーす」


「ご苦労様ですー」


「ありがとうございます」


 愛想のいい若い女性客に見送られて、今回の配達が終わった。


 こういう人に当たると、普通に少し気分がいい。

 思わずこっちも丁寧になってしまうあたり、やっぱりお互い思いやりというのは大切なのだろう。


「……よし」


 なんだかやる気が湧いたので、もう一件くらい受けてみることにする。


 届いたメールの中からちょうどいい案件を選び、受注ボタンをタップした。

 そのまま注文があった海鮮丼を店で受け取り、背中の箱へ。

 クロスバイクに跨り、配達先を目指す。


 指定された住所へ向かう途中、うちの高校の制服の学生とすれ違った。

 いつか静樹しずきが言ってた通り、この辺にはあの学校の生徒もけっこう住んでいるらしい。


「ここか」


 念のため、地図アプリで住所を確認する。

 なんの変哲も無い一軒家だが、ここで間違いなさそうだ。

 イツイツユーザーにはマンション暮らしが多いので、少し珍しい。


 インターホンを鳴らすと、家の中で人が歩く気配がした。

 ガチャリ、と音がして、ドアが開く。

 それをぼんやり見ながら、俺はなにも考えず、いつものセリフを言った。


「イツイツでーす」


「あはっ、やっぱり蓮見はすみくんだ!」


「え……」


 出てきたのは見覚えのある相手だった。

 大きくも鋭い目、夜でもしっかり光沢を放つ黒髪ボブ。

 そして今にも飛び跳ねそうな、エネルギッシュなオーラ。


 そこで初めて、俺はチラリと表札を見た。


「……南井みないか」


「そうそう、南井彩美あやみちゃん! です!」


 南井はテンションが高かった。

 夜の住宅街に、元気な声が響く。

 周囲に誰もいないとはいえ、恥ずかしいからやめてほしい。


 それにしても、こんなところに住んでたのか、こいつ。

 俺とも静樹とも、わりと近所じゃないか。


「蓮見くんってこんなバイトしてたんだぁ。なんか意外」


「まあな。ほら、海鮮丼」


「あ、ありがとー」


 箱から出した袋を、南井に渡す。

 珍しそうな目つきで中身を確認したあと、南井は「へぇ~」と何度か頷いていた。

 この反応からして、イツイツを使うのは初めてなのかもしれない。


「じゃあ」


「おっと! こらこら、ちょっと待った!」


 自転車に跨った俺を、南井が呼び止めた。

 ニヤニヤと、なにやら嬉しそうな、それに不気味な顔をしている。


 なんなんだ、いったい。


「せっかくなんだし、上がってってよ」


「いや、なんでだよ」


「いいでしょー! こんなの運命じゃん!」


「こんなのが運命なもんか」


「真逆の見解!?」


 なにが楽しいのやら、南井はあははと笑った。

 相変わらず、無駄にひょうきんなやつだ。


「なんでよー。忙しいの?」


「忙しくはないが」


「じゃあいいじゃん!」


「よくない。普通に嫌なんだよ」


「いじわる~!」


 南井は大袈裟に頬を膨らませた。

 やたらと綺麗な顔が丸くなり、少しだけかわいらしさが増す。


「今うち誰もいないのにぃ」


「なら余計ダメだろ」


「あれ、けっこう紳士なんだね」


「お前はけっこうアホだな」


「あはは、ひどーい」


 いい加減疲れてきたな……。


 とりあえず、スマホで完了報告を済ませておく。

 もう配達をする気はないので、ついでに配達受付も停止しておいた。


「もういいもーん。じゃあ、買い物行くからついてきて」


「……だから、なんでだよ」


「お願い~! 女の子が夜に出歩くんだから、守るのが男でしょ!」


「せっかく届けた飯が冷めるぞ」


「海鮮丼だから平気ですー」


 ああ、そう言えばそうだったか……。


 仕方ない、どうせもう帰るところだ。

 拒否してもしつこそうだし、満足するなら適当なところまで付き合おう。


「なら、早く袋置いてこい」


「えっ、いいの! やったー!」


 南井はニッコリ笑うと、素早い動きで家の中に戻り、すぐにまた出てきた。

 さっきまでは着ていなかった、分厚いダッフルコートを羽織っている。


「行こ行こっ! コンビニこっちだから!」


 張り切って歩き出した南井のあとを、自転車を押して追いかける。

 配達用の箱を背負っているせいで、はたから見れば妙な光景になっていそうだった。


「うーん、蓮見くんと夜のデートかぁ」


「もうなんでもいいから、早く済ませてくれ」


「うわ、なにそれぇ。せっかく美少女と二人っきりなのに」


 南井は「困った男だなぁ」なんて勝手なことを言いながら、夜の空を見上げていた。

 困ったやつなのはお前だろ、とはあえて言わないでおく。


「ところで、余計なお世話かもしれないけどさ」


「ん?」


「……あたし、蓮見くんのこと、心配なんだよね」


 そう言った南井の声音は、それまでのものとは少し違っていた。

 なんとなく神妙というか、慎重というか、とにかくそんな響きを感じる気がする。


「心配?」


「そっ。すごく心配」


「……なんで」


 心配されるほど、関わりあったか?


「だって、ぼっちだし」


 おい。


「オブラートって知ってるか」


「知ってるよー。あーあぁあぁあぁってやつでしょ」


「もしかして、ビブラートのことか」


 なんか歌うまそうだな、こいつ。


「あれ。火の精霊だっけ?」


「それはイフリートな」


 まあ、実際には堕天使らしいけど。


「えーっと、じゃあねぇ」


「考えるのかよ」


「おー、いいねーツッコミ」


 南井は肩を震わせて、クスクスと笑った。

 どうやら、すっかりペースに乗せられたらしい。


「なーんだ、いけるじゃん蓮見くーん」


 南井は俺の腕を、肘でツンツンと突いてくる。


 不本意だ。

 不本意だが、一周回って許せるような気さえし始めていた。


 こいつは間違いなくアホだが、たぶん悪いやつではないんだろう。

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