024 生き方とモヤモヤ


 静樹しずきが泣き止んだあと、俺たちは二人で並んで、静樹のマンションに向かって歩いた。


 イツイツの箱を背負って、自転車を押して、夜の道をゆっくり進む。

 隣にいる静樹は足取りこそしっかりしていたが、俯いたままなにも言わなかった。


 俺は迷っていた。

 言うべきか、言わないべきか。

 俺には言う資格がないことを、それでも静樹に伝えるかどうか。


 ……いや。


 本当は迷ってなんていないのかもしれない。

 もしそれを言って、静樹に拒絶されたとしても、俺は言わずにはいられないのだ。

 むしろ、今までよく我慢してきた、とすら言えるのかもしれない。


「……静樹」


「……」


「このままでいいのか?」


「……えっ」


 静樹が驚いたような表情で、顔を上げた。


「周りの顔色を窺って、他人のイメージに合わせて、無理してるだろ」


「……」


「俺だって、お前がどんなやつなのか、それをちゃんと知ってるわけじゃない。でも、俺には学校でのお前が、必死に演技してるように見える。もちろん、それが悪いとは言わない。そんな資格は俺にはないから。でも、それで今日みたいに、お前が嫌な目にあったり、つらい思いをするなら……」


「……」


 俺がなにかを言うたびに、静樹の表情はどんどん歪んでいった。

 まるで押さえていたものが、だんだんと崩れ落ちていくみたいだった。


「……今とは違う生き方だって、あるんじゃないか?」


「……ないですよ」


 だが静樹は、そこでギュッと拳を握りしめた。

 歯を食いしばり、決壊しそうになっていた感情を、押し殺しているように見えた。


「……そんなの、ないです。ほっといてください……っ」


「……そうか」


 それが、静樹の答えだった。


 仕方ない。

 本人がそう言うなら、きっとそうなんだろう。

 ありのままでいられない、いたくない理由が、静樹にはあるのだ。

 そこまで首を突っ込むほどには、俺だって無神経じゃない。


「……すみません」


「……いや。俺の方こそ、悪い」


「いえ……。蓮見くんがこうして仲良くしてくれるのは、本当に嬉しいです……。でも、私はまだ……」


「……わかったよ。俺が言ったことは、もう忘れてくれ」


「……忘れるわけ、ないじゃないですか」


 そう言ってから、静樹は深い深いため息をついた。

 それに釣られるようにして、俺も長い息を吐く。

 いつのまにか、息が白くなるほどに、気温が下がっているらしかった。


「それから、ありがとうございました……。助けてくれて」


「礼はいいから、ホントに気をつけろよ。今回は運よく通りかかったけど、次はそうはいかないぞ」


「……はい」


 もし俺がいなかったら。

 自惚れるわけじゃないけれど、そんな想像をしてしまう。

 静樹はちゃんと、自分であいつを振り切れただろうか。

 できなかったとしたら、そのあとはどうなっていただろうか。


 俺ですらゾッとするんだから、静樹本人はそれどころじゃないはずだ。


「……蓮見はすみくん」


「……ん?」


「実は私……少し前に、告白されたんです」


 その言葉を聞いた途端、俺は自分がまた、妙なモヤモヤに襲われるのがわかった。


 それをかき消すように首を振ってから、俺は尋ねる。


「……さっきのやつにか?」


「ち、違いますっ……! ユカちゃんたちと仲の良い男の子ですっ。私はあまり、喋ったことはなかったんですけど」


 静樹の声は、少しだけ明るくなっていた。

 ただ、やっぱり表情自体はまだ硬い。


 しかし、どうして静樹は今、こんな話をしているのだろうか。


「好きだって言ってもらえて……その時は嬉しかったんです」


「……それで?」


「……でも、やっぱり気になって、『どこが?』って聞いちゃいました」


 言って、静樹は照れたように笑う。

 もちろん、気楽そうな感じではなかった。


 それにしても、春臣はるおみといい静樹といい、告白してきた相手には、理由まで聞くのが普通なのか?

 俺にはわからない世界だが。


「そうしたら、かわいくて元気で、話してて楽しいから、って言われて……」


「……おう」


「それで……私、思っちゃったんです。この人が好きだって言ってくれてるのは、こうしてみんなを騙して、作って明るく振る舞ってる、その私なんだって」


「……」


「……ぜ、贅沢ですよねっ。好きになってもらったのに……自分のせいなのに……勝手に落ち込んだりして。ホント、なんなんでしょうね、私は……。自分でも、嫌な人間だなって、思います……」


「……だから、断ったのか?」


「……はい」


 静樹は胸に手を当てて、ゆっくり頷いた。

 その様子は、まるで本当に自分を責めているかのようだった。


「その人と付き合ってしまったら、ますます自分が遠ざかっていく感じがして……。私が悪いのに。見せてない自分を好きになってもらうなんて、そんなのできるわけないのに。全部、自業自得なのに……」


「……そうだな」


 いつの間にか、俺たちはマンションの前にたどり着いていた。

 ずっと俺の隣にいた静樹が、一歩前に踏み出して、向かい合う形になる。


「……でも、時々思うんです。私、このままだと好きな人にも、自分を見せられないのかなって。もしそうなら、いったい誰の前でなら、ホントの自分でいられるんだろう、って……」


 えへへ、と弱々しい声を出して、静樹は今にも泣き出しそうな顔で笑った。


「すみませんっ……。ほっといてくれ、なんて自分から言ったくせに、こんなこと……」


 くるりと背を向けて、静樹はエントランスへの小さな階段を登った。

 少しだけ高いところから、こちらを見下ろすようにして言う。


「ありがとうございます、送ってくれて。それに……聞いてくれて」


 俺に背を向けて、静樹がガラス戸の手すりを掴む。

 けれど俺は、自分でも無意識のうちに、その後ろ姿に向けて小さく叫んでいた。


「静樹っ!」


「……え?」


 首だけをこちらに捻って、静樹が短い声を出す。


 俺は、今度は少しも迷うことなく、言った。


「俺には、お前が大事にしてるものも、優先したいものも、なにもわからない。……でも、俺は周りに合わせてるお前より、自然体で、リラックスできてる時の、地味なお前の方が……好きだよ」

 

「……っ!」


 静樹は、こちらから勢いよく顔をそらした。

 そのままドアを引いて、マンションの中へ消えていく。

 角を曲がってその姿が見えなくなるまで、静樹は一度も俺の方を見なかった。


 クロスバイクに跨って、長い坂をペダルを漕がずに下る。

 空を見ると、名前も知らない星座がかすかに輝いていた。


 我ながら、相変わらずお節介なことだ。

 けれど、こんな時になにも言わずに別れられるほど、もう俺は静樹との関係を、軽く見られなくなってしまっていた。

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