023 泣き声とお兄ちゃん


 だが、もちろんここでいきなり飛び出すほど、俺は血の気が多くはない。

 早合点は禁物だ。

 それに下手をすれば、静樹の恋愛の邪魔をしかねないからな。


 俺は物陰に身を隠して、悟られないように二人の様子を伺った。

 ここなら、ちょうど会話も聞こえそうだ。


 盗み聞きは気が引けるけれど、見過ごすのもそれはそれでマズい気がする。


 問題がなさそうなら、すぐに離れる。

 それならまあ、ギリギリ許されるだろう。


「いいじゃん、カラオケ行こーよ! みんなもどっか行ってるんだしさぁ!」


「で、でも……もうけっこう遅いし、ね」


 幸い、暴力には発展していないらしかった。

 まあ、それでも女子の腕を掴むというのは、どうかと思うけれど。


 ところで、当然ながら静樹は完璧な派手モードで、薄暗いこの場でも華やかさがとどまるところを知らなかった。

 ゆるふわウェーブの艶やかな髪と、透き通る白い肌のせいか、まるで静樹自身が光っているようにすら見える。


「俺らだけなんにもしなかったって知られたら、バカにされるよ? それに水織みおりちゃん、今日何度も目ぇ合ったし、両想いじゃないの?」


「え、えぇ~……そんな、やめてよもぉ~」


 静樹の口調から、冗談で流したがっているのがわかった。

 けれど、相手の男は引き下がるつもりもなさそうだ。


 勝手な印象だが、ずいぶん遊び慣れていそうに見える。


「ちょっとだけだし、行こーよ! カラオケなら休憩もできるしさ!」


「うぅ……でも……」


「いいじゃん! とりあえず入ろ! 行ったら楽しいって、絶対!」


「い、痛っ! や、やめてよ!」


 その時、男が強い力で静樹の腕を引っ張ったのが見えた。


 問題があるか、ないか。

 それを見極めて、もし問題があれば、さりげなく割って入る。


 そう思っていたのに、気がつけば俺は、物陰から飛び出すようにして、静樹たちに駆け寄ってしまっていた。


水織みおりっ」


「……えっ?」


 突然現れた俺に、静樹と、ついでに相手の男は、呆気に取られたように目を丸くした。

 というか、静樹にはもしかすると、別の理由もあるかもしれないが。


 予定外の登場になってしまったが、第一声を決めておいて正解だったな。


 俺は改めて、心を落ち着けようと深く息を吸った。


 あくまで、冷静に。

 たまたま通りかかったように、自然体で。


「こんなとこにいたのか。帰りが遅いって、父さんが心配してたぞ」


「えっ? えっと……蓮見はすみく」


「門限過ぎてるんだから、さっさと帰るぞ、水織」


 俺の名字を呼ぼうとした静樹の声を、無理やりに遮る。

 ついでに、もう一回名前を強調しておいた。


 なんとか俺の思惑を察してくれ。

 こういう時は、たぶん身内が出てくるのが一番嫌だろうからな。


「……誰? お前」


「え、えっとね! この人は私の……お兄、ちゃん?」


 その確認するような言い方はやめろ……。


 さて、兄の設定で行くんだな、了解。


「悪いけど、今日のところはうちの妹、返してくれ」


「……」


「水織も、彼氏作るのはいいけど、門限は守れよな」


「……ちっ」


 男、もとい、たぶん他校の男子だろう。

 そいつは顔をこれでもかと歪めて、大股で歩いて行った。


 今日二度目の舌打ちに、俺の心がズキズキ痛む。

 舌打ちよくない、絶対。


「……お、お兄ちゃん」


「誰がお兄ちゃんだ」


 俺が言うと、静樹は泣いているような、笑っているような顔でこちらを見た。


「……大丈夫か?」


「……大丈夫じゃないです。……怖かったんですから」


「そうか」


 静樹は胸に手を当てて、ゆっくりと息をしていた。

 ずずっと鼻をすする音が、駅前の喧騒にかすかに響いた。


「昨日もうちょっと、強く止めてればよかったな。悪かったよ」


「……」


「さあ、帰るぞ。送ってくから」


「……蓮見くんっ」


 突然、静樹は短く叫んだ。

 そしてあろうことか、まるでぶつかるような勢いで、俺の胸にしがみついてくる。


「お、おいっ! なにやってんだ! やめろ!」


 突然の出来事に、心臓が暴れるのがわかる。

 顔が熱くなって、目眩がするみたいだった。


「こらっ……! 静樹っ……!」


「止めてくださいよ……っ! 行くなって言ってくださいよ……っ! バカァっ!」


 静樹は俺に抱きついたまま、肩に顔を埋めて泣き出してしまった。

 たぶん、緊張の糸が切れたんだろう。


 そんな静樹を見ていると、うるさかった俺の鼓動も、だんだんと静かになっていくようだった。


「どうなっちゃうかと思ったんですよ! わぁぁあーーーん!!」


 静樹はついに、声を上げて泣き出してしまった。

 何を言ってもダメそうなので、俺は静樹を支えながら、道路沿いの手すりに座って、そのままジッとしていることにした。


「蓮見くん……蓮見くん……っ!」


「……ああ、いるから。大丈夫だから」


 静樹は泣き続けた。

 道行く人の視線に晒されながら、俺はただ、静樹の背中を少しだけ撫でていた。


 風は冷たいのに、なぜだか顔と、それから身体が、妙に熱かった。


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